植物には大きな二つの役割がある。
数十年植物を探求して導いたこの道理は「表土の仕組み」「植物の仕組み」「循環の仕組み」など、物理的な自然界の仕組みをベースとする「協生理論」「協生農法」の基礎になっている。
最も重要なこの植物の特性を理解しなければ、農法の特徴である「耕さない」「肥料・堆肥」を一切与えない道理も理解出来たとは言えない。
協生農法の基本は「不耕起」「無施肥」・・と、言葉で覚えるのは簡単だが、「何故」そうなのか物理的な理解が必要であり、そこが自然農法とは異なる。
陸地における生命の循環はすべて表土で行われている。
この「循環」とは何か・・
無機から有機が生まれ、また無機に戻り、地球の質量は変わらない。
有機は「生命」であり、無機は「非生命」
有機が生成されれば「誕生」であり、無機に戻れば「生命の消滅」
この、誕生と消滅が繰り返されるのが循環であり、必ず表土で行われる。
消滅なくして誕生は有り得ず、その逆もない。
その重要な消滅の役割を担っているのが植物族であり、植物族を中心に微生物や昆虫をはじめとする多くの動物が手助けしている。
植物族は数億年を要して生命の聖域である「表土」の仕組みを築き上げ、多くの生き物、動物だけでなく同族の植物達の命をも支えながら、大地の「浄化槽」の役割を果たしている。
表土圏内で生を終えた動植物は、昆虫など他の動物達、さらに微生物によって無機を始めとするミクロにまで分解、表土に隙間なく張り巡らされた植物の根が水に溶解したそれを吸い上げ、さらに昆虫たちの力を借りて地表に分散、元の元素に戻す。
動物の死骸や糞などの後始末は、その許容範囲を超えて何倍にも肥大するよう植物細胞は出来ている。
それが、二つの役割の一つであり、樹木よりも寿命の短い草類のほうがはるかに肥大率は大きい。
樹木の葉と果実の肥大は限界があるが、カボチャやスイカや根菜や葉野菜などは標準の何倍にも肥大するような仕組みになっている。
それは環境によって異なり、何が標準かは植物に聞いてみなければわからないが、海水同様に、成分バランスが完全で、自力で分解消滅が容易と言うことだろう。
しかし肥大した植物はそうではなく自己管理は困難、溶けて腐りやすくなる。
植物族は自らの体を犠牲にしてでも使命を果たすように出来ている。
人が与える肥料は、有機肥料、化学肥料を問わず植物にとって廃棄物であり、喜んで育つわけではない。
果物野菜の味も形も随分移り変わり、肥料技術の賜物とも言われるが、言葉を変えれば、肥料次第で味も形もどうにでもなるということだ。
自然界の仕組みを必要とせず表土を破壊、最初から最後まで人間が関与するのだから・・
大地ではなく人知の産物と言える。
完全な生命は完全な生命によって育まれる・・
それなくして生命の健全な維持は困難。
病・不調の根幹の原因をあらためて考えていただきたい。 心身を正常に維持出来なくなった人間・・
何故、世界中でこれほど多くの人達が近代科学をもって何十年も携わり、解明・復元出来ないのかを。
植物に肥料が必要ない理由
https://ameblo.jp/muu8/entry-12202545077.html
農業の迷走は土作りから始まった
https://ameblo.jp/muu8/entry-10649960040.html
植物が築く浄化槽の仕組み1
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