果樹が毎年実を付ける理由 1 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

 

農家の高齢化と共に荒廃農地は増え続けている。

柑橘類もそうだが放置された柿や梅林も増えて来た。

経費も手間もかかり過ぎる現在の仕組みは農業として成り立たず、後継者もなく放置するしかないのだ。

 

樹木類が子孫を残すのは相当なエネルギーを使う。

木の実がそうであるように、隔年結果、つまり年によって実を付けたり付けなかったりする。

 

隔年結果とは一年ごとと言うことでもなく、毎年実を付ける低木のベリー類などもあるが、多くはムラがあり、木の体力やその年の天候の影響で数年実を付けない木もある。

 

それでは果樹栽培は成り立たない。

肥料を与えることで毎年実を付けさせ、農薬で見た目の品質を保つことが標準になってしまった。

 

では、肥料を与えれば何故多くの実を付けるのか・・

 

海から地上へとまず植物が進出、地上の生態系を築き上げたが、それ以来植物族が果たし続けて来た役割はすべての生命の誕生と消滅

有機物の分解・消滅なくして新たな生命の誕生はない。

 

誕生は言うまでもないが、消滅とは元の元素に戻すことであり、有機は必ず地表で分解され無機となり雨ごとに水に溶けた無機を植物の根が吸い上げ地上へ分散する。

 

その為に草類は細胞を何倍にも膨らませ、樹木類は細胞の肥大を最小限に、枝葉や果実を増やすことで地上へ分散する。

 

寿命の短い草類は「体を張って」膨らみすぐに排出、進化して寿命を得た樹木類は「知恵を使って」膨らみを抑え、1年以内に地上へ分散するのだ。

 

草の実であるスイカやメロンやカボチャが肥料次第で何処までも巨大に膨らみ、木の実であるリンゴやサクランボやブドウに限界があるのもこれが理由だな。

 

いずれにせよ植物族にとって人が与える肥料は化学・有機を問わず、土中には余計なものであり、リサイクルに必要な産業廃棄物とも言える。

喜んで多くの実を付けるわけではないのだ。

 

自分で考えながら実の数を決める樹木も、肥料が入れば予定変更するしかなく、やむなくその成分を地上に捨てられるだけの実を付けることになる。

 

落葉樹の葉は秋には枯れ、常緑樹の葉はおよそ1年周期で順に更新されている。

葉は自ら生きるのに必要な器官だが、果実はそうではない。 種子は大事な遺伝子が詰まるが、果肉は種を運んでくれる動物の為のもの。

 

だから、根元に落ちる葉には少々果肉にはどっさり含ませる為に果実を多く付け、遠くへと運ばせる。

果樹栽培では実を大きくする為にさらに「摘果」をして数を減らす。

 

しかし、一つの果実に届く成分量は決まっている。

数が減れば行き場はなくなり、やむなく他の果肉に届けるしかなくなってしまう。

これが大きく立派な果物になる理由だ

 

廃棄物の量に関わらず、少しでも肥料分が入れば、草類だけでなく、樹木の葉も実も本来のものとは言えず、食材としての本質を持たない

 

肥料を与え続けたミカンはバランスがとれず、皮はボソボソで実と皮の隙間もあり、剥きやすくなるが・・

肥料を与えなければ1年で隙間もなく皮は剥きにくく、酸味と甘みのバランスのとれたミカンになる。

これが腐りやすいミカンと腐らないミカンの違いだ。

 

葉面散布の農薬は成長において植物の本質とは関係がないが、当然地表にも分散されるのだから吸い上げる根にとっては肥料と同じ廃棄物。

影響は及ぼすが、その影響は大量の肥料ほどではない。

 

しかし、どちらも植物の肥大、本質、味に影響を及ぼす異物であることに変わりない。

 

続く・・

 

 

続くナッツの思い出・・種と果肉

http://ameblo.jp/muu8/entry-12205767589.html

間違いだらけ 食の常識3

http://ameblo.jp/muu8/entry-12199808333.html

 

 

この ババロアのような しもやけミカン・・

甘味も酸味も抜群だが・・実なりも悪く 硬くて皮が剥けんパンチ!

 

にほんブログ村 健康ブログ 食育・食生活へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 健康ブログ 健康法へ
にほんブログ村