勉強と学習の違いは読んで字の如くはっきりしている。
勉強とは、無理を強く行う試練。
学習とは、学び習って身に付けること。
人は何の為に学ぶのか。
好きな学び、学問の為の学び、ヒマな学び、学び方は自由だが、はっきりとした目的を持って学ぶなら、学習しなければ身に付かず使いこなせない。
本を読んだことがないまむし頭の口癖は・・
「学習はするが 勉強はせん」・・だ。
しかし、まむし頭は業務で完全に使いこなしている。
勉強好きな人もいるが嫌いな人の方が圧倒的に多い。
お野人も、勉強も受験勉強もしたことがない。
高三まで毎週末、海に潜り山で狩りをしていた。
学習方法は多様で、本はその中の一つに過ぎず、やたら本を読んで覚えても使いこなせるものではない。
何故使いこなせず、役に立たないのか・・
機械技術書は重宝するが、生命に関する本の大半はあまり役には立たない。
その通りにして健康・体調が回復した人はどれほどいるかな。
農業書の通りにして、病気も問題もなく植物が健康に育つかな。
四苦八苦、さらに難しくしているのでは?
畜産、魚の養殖、常に問題を抱え、薬物に頼っているのでは?
人間だけでなく、人間が関与した動植物すべて同じ道を歩いている。
この世界の現状、自然界と比べて明らかにおかしいとは思わないかな・・・正反対なのだ。
その通りにならないのは間違っているからだが・・
何故それに気付かないのか。
そこに書いてあることが正しいかどうかの物理的判断が出来なければ・・気付きようがない。
判断出来ないものを習い覚えても役には立たない。
ここに 現学問の盲点 がある。
学び方、教え方、どちらも間違っている。
十代の頃から野人はそう言い続けたのだが、誰も理解は出来なかった。
何故、少年の野人がそこに気付いたのか、教科書に矛盾を感じたのか。
言葉では上手にまとめているのだが、人間の道理ではなく物理的道理がさっぱり繋がらなかった。
何故そうなるのかが完全に抜けていたからだ。
幼少から海山川で身に付けた自然界の仕組みが頭にあるから気付いたのであり、なければ皆と同じように教科書から学んだだろう。
役には立たないと判断した野人は、生物の学習を完全にボイコットした。
本で読んだこと、聞いたことが正しいかどうか判断するには・・・
判断出来るだけの知識、道理を持たなければ判断など出来ない。 それ以上の頭脳を持つ必要がある。
しかし、その知識も道理も最初は本で学ぶしかない。
これが学問の盲点であり矛盾。
本が間違えば間違って継承され、常識となって延々と繰り返される。
繰り返されるほど、信じる人が増えるほど、その常識は巨大な壁となって疑う者もいなくなる。
天動説はその代表だ。
この負の連鎖を止めるには・・
続く・・
学びの盲点
http://ameblo.jp/muu8/entry-12183489615.html
野人理論を理解する単純なコツ
http://ameblo.jp/muu8/entry-12017126737.html