海と山と川と高原に囲まれて育ったお野人。
小学校の頃に海山で共に遊んだ仲間達は中学生になると親の言うことをよく聞くお利口さんになりお勉強、徐々に海山から遠ざかって行った。
高校卒業まで同じ遊びを繰り返し、海と山で狩猟の技を磨き続けたのはお野人だけだった。
皆が頭を悩ませた受験勉強も塾の記憶もまったくない。
本はよく読んだが、ノートも参考書もなく、家に帰ってまで残業もしないのだから毎日がバラ色だったな。
芸は身を助けると言うが、遊びの余禄、週に一度市場に水揚げしたアワビやサザエは高校生活に豊かさをもたらした。他に伊勢海老タコカニイカ、好きなだけ食える。
余禄はタバコ代、酒代、寿司代、本代、時計代などに変わり、友人達にも恵みをもたらした。
さらに大学へ進んでも卒業まで友人や後輩達に食の恵みをもたらし続け、今もなお変わらず周囲に恵みをもたらし続けている。 野生の食べ物、遊び、お笑い・・
小学生の頃からやっていたこととまったく変わりはない。
自給自足など簡単、食う為に働く必要はなかったのだ。
教科書ではなく森羅万象から60年間学び続けた野人物理は学問、仕事、スポーツなどすべてに応用、ギャンブルも例外ではなく幾らでも稼げる。
受験勉強と並んで、就職活動もやったことがない。
今の社会で生活向上を目指すならこの2つは不可欠。
何もせず一部上場企業に入り、新入社員で社長直轄・特務員になったのはお野人くらいだろう。
しかも、いやいやながら・・サラリーマン
破格の報酬だったが、命の削り方も破格・・
4回目の辞表で23年を費やしてやっと退職出来た。
人は食べて生きる為に仕事に就くが、それは動物本来の狩猟採取を放棄、獲物をお金で賄おうとする文明の道。
仕事がなければ、お金を得ることが出来なければ生きて行けない。
色んな物に恵まれた暮らしを望むならお金は必要だが、望まなければ必要ない。
望まないお野人にはさほど必要なかったのだ。
ヤマハ時代の給料は島暮らしの最初の4年間、毎月たった3日で鹿児島夜の天文館に消え、屋久島から船で三重に赴任して来た時は無一文・・
いや、会社から仮払いの未清算金数十万円の請求が来て、賞与を差し押さえられたからマイナスだ。
同じ4年間でも同期の友人は1千万の貯金が出来た。
衣食住すべて会社持ちだったからそうなるだろうな。
野人の賞与は40年前で半期30万以上だった。
飲み食いだけで綺麗に使い切りさっぱりしたな。
なくとも困らないが、あれば使うのがお金。
自力で食べて行けることは最大の強味だろう。
そのせいか、昔も今もお金や家や土地や車や物には無関心、貯金がなくとも不安はなく、老後の心配などしたことがないのだ。そもそも野人に老後などはない。
野生動物同様に、生まれ、生きて、生を終えるだけ。
会社経営とは難儀なもの、お金に不自由しなかったお野人も会社の資金繰りには苦労した。
生活費とは桁が違い、数百万円・・
商売だけは野人理論を活用出来ず下手くそだった。
下手を承知で30人近い人達が株主になってくれた。
お金ではなく他の可能性に夢を託してくれたんだな。
安いものを高く売ることに今も抵抗がある。
それは人間の道理であり、分かち合い協生する自然界の理ではないからだ。
株主や色んな人にお世話になったな。
見ず知らずの人にも、むー母にも・・
社員のいくやまむし頭や絵本男にも助けられている。
縁がなかった銀行や金融公庫もあちらからやって来た。
大勢の株主に支えられている赤字会社を評価してくれたからだ。 貯金も土地もない野人の個人保証で・・
月額報酬5万、年収60万でも許してくれた
生活保護以下、社員のアパートの保証人にもなれないのに・・1千万近く。 みんないい人達だな。
困ったな・・と思うと必ず助け船がやって来る。
そんな人達に支えられて今がある。
自然界では1人でも生きて行けると自負していたが、人間社会は1人では生きられない。
感謝の念は永久に消えることはないだろう。
その人達だけでなく、すべての人間、多くを学んだすべての生き物達に恩返ししないとな・・
お金では難しいが野人に出来ることはいくらでもある。
天然うなぎ獲りの夏
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後ろを向いて報告しろ 大前研一の川上談話
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