塩の道 むー塩物語 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

海に住む生き物はどれほど海水を摂ろうが何の問題もない。 生命の源に塩害などはない。

そこから思考を進めれば・・

 

人間だけが塩害を受ける特殊体質と言うより、人間が塩の作り方を間違えた可能性の方がはるかに高い。

同じように塩辛くとも海の潮とは異なるのだから。

何事も・・「間違えた」と認めたくないのが人間。

 

海の塩は水陸すべての生命の源であり、ミネラルを含む全てのバランスが完全でなければ生き物は生きて行けない。

その仕組みはまったくわからないのだから、どの成分が良くて悪いかなど誰にもわかるはずはないのだ。

 

塩分摂り過ぎは体に悪い」・・と世界中で断言するなら

人間の言う塩と海水を単純に摂り比べてみればよいではないか。 やってみた学者はいるのかなはてなマーク

海水を常飲しても高血圧になることはないが・・

 

ほんの少量海水を飲めば、人間が作る喉が渇く塩と違って喉の乾きも止まり、胃炎も弱まり、体調が良くなるのだから、それ以上深く考える必要もない。

実験室で難しい研究せずとも小学生でも簡単にやれるではないか。

 

海で暮らす生き物は問題ない」・・という思考の起点がなければそこに気付かない。

 

完全な塩にするには、先ほどまで魚が泳いでいた海水をそのまま乾燥させ、人間のおかしな道理で引き算も足し算もしないことだ。

塩作りが面倒なら・・毎日海水で炊いたご飯を食べていれば、高血圧や低血圧低体温などとは無縁。

 

血圧を気にする事もなく、血圧降下剤などの薬物も必要ない。 周囲に幾らでも海水があるではないか。

タダ音譜 で 正常に戻れる。

 

海水では料理に使い辛いので、そのまま煮詰めた塩をビレッジの料理に使い続けた。

古来よりの製法で作った方が何倍も楽だったが出来る塩は全く別物だ。

味も違えば体の反応も違い、にがりをほんの少し抜くか抜かないかで体の反応は天地の差が出る。

 

作った人ならわかるだろうが・・熱くて手が疲れてやってられない~ドクロ

野人はそんな読者の依頼で塩を製造するハメになった。

むー塩・・ もういや塩汗・・にしたいくらいだ。

 

古来の塩作りが間違っていたわけではない。

調味料、保存料として使うのが目的だったからであり、健康が主目的ではなく量産が前提だ。

 

農作物も同様であり、生きる為の食糧として必要だったからだ。

その塩を健康と絡めたのは不調に苦しむ現代人であり、健康を目的とするなら作り方は間違っている。

塩だけでなく、野菜果物も肉も同じであり、海水・植物・動物の仕組みを理解せず人間の道理で作り上げた人間の産物と言える。

 

むー塩は健康の為に作っているのではない。

抜群に美味しいラブラブからであり、次に、体に不調を招かない完全な塩だからだ。

つまり・・既に不調になった体も復元する。

 

海の塩とは何か・・

これがわからなければ判断の指標も決まらず、人間だけが害を受ける理由もわからない。

 

わからないから多様な塩が誕生、流通して皆さんを悩ませる。

野人が迷わずむー塩を作るようになった理由ははっきりしている。

当たり前の塩を作りたかったからであり、当たり前とは海の潮だ。

 

海の潮から水分を抜いたのが塩・・

単純な道理だな

 

塩は潮であり海そのもの

 

潮は海の生き物に不可欠

 

塩は陸の生き物に不可欠

 

山奥で塩がなくとも問題はない

 

表土は海そのもの 

 

辛くなくとも塩と同じなのだから

表土の産物を食べていればよい

 

表土を破壊すれば陸では生きて行けない・・

 

続く・・

 

 

消え行く山

http://ameblo.jp/muu8/entry-12211265671.html

 

人は潮不足 生命の聖域

http://ameblo.jp/muu8/entry-12158350703.html

 

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