動物と植物の違いはその構造から明らかであり、動物はアリから象まで自ら判断して即行動に移せる。
その為には手足や臓器などの動力手段の他に脳が必要になる。
膨大なデータを組み立て即断するのに不可欠だからだ。
指揮官である意識には必要なパソコン、ハードとも言える。
当然摩耗も激しく耐用年数、つまり寿命も限られる。
動物の寿命の頂点は数百年であり、植物は数千年・・
動物は進化と絶滅を繰り返したが植物は博物館のように存在して歴史を築き上げ続けている。
動物と植物では思考のパターンも異なるが、時間の流れが違うのだ。
生き物である以上植物には意識も心もあるし、考え行動する。
構造上の違いから動物のように表現出来ないが、野人は感じている。
魚を絞めるのと同様に、野菜を引っこ抜く時には・・
「ごめんね」・・と謝る。
動物の命を絶つ時、植物の命を絶つ時、どちらも同じ気持ちなのだ。
違いは・・
最後まであきらめない動物、鷹揚として受け入れる植物。
植物族は・・酸素を創り、海と陸の環境を築き上げ、動物を育み、その誕生と消滅を引き受け、土壌浄化と維持という最も重要な役割を担っている。
その意志は路傍の草から大樹に至るまで引き継がれている。 見事というしかない。
人がいくら築き上げた表土を破壊しようが黙々と補修し続ける、何千年も・・
だから野人は農法創設当初の思い上がりを捨て去り、素直に頭を下げて植物達から学んだ。
そうなるまでに相当な時間を費やしたが、わかって良かったと感謝している。
物理的な仕組みに気付かなければそうはならなかっただろう。感性だけで自然界の理解は不可能。
むー理論の大半は植物族が教えてくれたもの。
動物の祖先である動物性プランクトンは植物性プランクトンから派生したが、野人は進化、突然変異とは考えておらず、植物には動物が必要だったからだ。
脳機能がない植物はどうやって感じ、考え、行動するのか・・
太陽に向かえば「センサー」がそうさせると言われるが、そんな高度な機能が何処にあるかもわからない。
食虫植物がフタを閉じるのも同じで、葉を閉じるのも花が閉じたり開いたりするのも同じ。
意識、判断力があるのは間違いないのだが見えない・・
見えないから存在しないと言うものでもない、つまりいまだに謎とされているが難しくはない。
その仕組みは細胞外にあるのであり、細胞外で人間が使いこなしている見えない動力を思い浮かべれば良い。
それは動物の指揮官でもある「見えない意識」であり、心だ。
機械文明も同じで見えない電気・磁気なくして文明は成り立たない。
生き物は意識、機械は電気磁気、そこから想像を膨らませればわかる。
植物には脳も手足もなく、動物のように瞬時の行動は困難だが、意識が指示すれば末端にまで指示は届く。
何ら不思議なことでもない。
筋肉もなく、機械でもないのだから反応は遅い。
まあ・・仕方ないではないか。どちらも良さがある。
生命は数種の光に包まれ、その中に肉体と意識が共存している。
有機物は太陽光のエネルギーによって誕生するのだからおかしくもない。陽光なくして生きられない。
ミクロまで行き着けば意識も体も同じもので出来ていることもわかる。
そして 生を終えればすべては・・
ホタルの光り・・に なる
生命誕生 体が先か意識が先か 2
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