八百年の眠り 伊勢三郎の法螺を吹く | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

 

 

 

平安時代の末期、源義経の家臣に武蔵坊弁慶に並び「伊勢三郎 義盛」がいた。

伊勢三郎については様々な説があり定かではないが、父は二見ヶ浦の生まれだったとも・・

 

この伊勢の三郎が使っていた「法螺貝」を家宝としていた家が松阪にある。

大切に木箱に納められて代々引き継がれ、開けられることなく、今の持ち主も中を見たのは一度だけと言う。

当然生まれて80年近く音色を聞いたこともない。

 

頼まれて、野人がこの法螺貝を吹くことになった。

野人は戦国の歴史に詳しく、これも何かの縁だろう。

田園地帯のこの地には伊勢三郎所縁の碑が残っている。

伊勢三郎がこの松の木に登り、敵の軍勢を見張ったという伝説がある。

 

当時の松は既に枯れて植え変えられ、この松は5代目だ。 おそらく合図の法螺貝を持って松に登っていたのだろう。

 

この松の側で野人は法螺貝を吹いた。

30年ぶりに・・・

 当日、初めてこの法螺貝を見たのだが、当然「口金」が付いていた。

 

30年前まで法螺貝は吹いていたが、屋久島在住の頃、潜って獲った法螺貝を刺身で食べた後・・有効活用。

グラインダーで先を数㎝削って穴を開けただけの手作りで、マウスピースと呼ばれる口金などはない。

先から見えている渦巻きに合わせて上手く息を吹き込まないと音は出ない。

 

40㎝を越える見事なホラ貝で・・

苦労して音が出せるようになり、鳥羽での船長当時、船の備品としてホーンの代わりに吹きまくっていたのだが・・挑戦した者で1人も音を出せた人はいない。

 

三笠宮殿下夫妻はじめ、スウェーデンのシルビア王妃、外国大使、財界人、芸能人など多くの乗船者に、海がうねるように長く響く野人流のホラ吹きを披露した。

 

ヤマハ会長だった「じいさま」も「よこせ!」と船で吹いたが法螺は鳴らなかった。国内でも3本の指に入るサックス奏者がかすれた音を出せたくらいで、マウスピースがないと無理なのだ。

 

野人にはこのような口金付きは初めてで、以前の要領で吹くとまったく音が出なかった。

水泳も、野人理論も、法螺吹きも同じ、習ったことなどなくすべて自己流・・野人独特のほら吹きと音色。

出陣や攻撃の合図ではなく穏やかな海のリズム・・

 

コツがわかるのに1分・・真っ直ぐに吹いても鳴らず、顔をやや横に向けて唇半分で吹く。

何とか思うように吹けるようになり、10分で準備完了。

この伊勢三郎ゆかりの場所で法螺を吹いた。

 

伊勢三郎義盛の法螺貝は・・

低く・・力強く優しく 魂に響くような音色

 

この画像を撮ったカメラも振動で震えたと言う。

 

空気効率の良い昔の野人の法螺貝は息次ぎせずに1分以上連続して吹き続けることが出来たが、この日は30秒以上息次ぎなしで吹き続け、10分間披露。

20代の野人の肺活量は6000ccを越えていたから苦もなくやれた。

 

おそらく、恐れ多くて三郎以来誰もこの法螺を吹いたことがないのだろう。

すぐに帰るからと・・三郎からの預かり物だったのかも知れないな。

 

他に鎧や武具もあったと言うが、今は行方知れず。

だから大切に保管しておいたのだろう。

武士の用具一式預けるのだから余程の急用だったのだ。

吹いていて、音色からそれが伝わって来る・・

この法螺貝はずっと三郎の帰りを待っていた。

 

八百年の眠りから覚めた伊勢三郎の法螺の声・・

お野人の魂に息を吹き込んだようだ。

また・・法螺貝を吹こうかな・・・

 

法螺貝は吹いて音を出してあげることで生き返る。

太陽光を浴びたのも八百年ぶりだろう。

伊勢三郎にとっても・・

 

家の中に招かれ、箱に納める前にもう一度法螺を吹いて帰途についた。

皆さん、初めて聞く家宝の音色に大感激・・

 

良かったね

 

 

ホラを吹くのが得意な野人

http://ameblo.jp/muu8/entry-10657268750.html

http://ameblo.jp/muu8/entry-10657274971.html

三笠宮殿下のご冥福を祈ります

http://ameblo.jp/muu8/entry-11270577580.html

 

ほら~ 見てごらん む~さんだよ    またねドキドキ

 

・・ ぶぅぉオ~~~ クラッカー
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