山と高原と川と海に囲まれ育ったお野人、タコやシシや植物とは親戚のようなものだが、海に次いで本格的に植物の研究を始めて25年、大半の謎は解けつつあるが、最後までわからないのが竹だ。
草でもなく木でもない竹は「謎」が多く、何故あのような構造になったのかまったくわからないから困っ竹なのだ。
国内ではクズと竹が最強の伸び率を誇るが、伸びたクズと竹の質量で見れば比べ物にならず、100倍以上の有機物が1日にして空中から出現したことになる。
地上部が増した分だけ地下茎が減ったわけでもなく、いきなり数キログラムの塊の有機物が生まれると考えればいい。
無から有を生まない植物などなく、クズ以下の植物は数㎝数g単位で続く。
竹の数キロなどはまあ論外だと言うことが理解出来るだろう。
このエネルギーは何処からどのような仕組みで生まれるのか、知る人もいない。
竹の研究は野人のライフワークになってしまった。
始めた当時は農業に関心はなく、宇宙にまで通用するエネルギーとして捉えていた。
植物の生長エネルギーは人知を超えているが、さらにその上の神知を超えそうなのが竹なのだ。
建築材料、食用など竹の利用は古くからされているが、活用法は他の植物と大差なく、その生命エネルギーに着目する人もなく、研究する植物学者もいない。
エネルギーが桁外れでなければ野人も着目しなかっただろう。
葛粉、葛根湯、衣服、つる材、飼料など、大いに活用され日本から海外へ渡ったクズは、今や侵略的外来種として海外では駆除されつつあり、国内でも竹と並び最も持て余している植物となっている。
つまり、人の手には負えないほど凄まじいエネルギーを有している。
このエネルギーを世界中で平和活用すればよいのだ。
今は増えすぎて手に負えない猪や鹿の健康活用の真っ最中。
塩は塩をもって、茶は茶をもって、肉は肉をもって制しようとしている。
果物や野菜も全く同じだ。
協生農法の世界への波及は農業だけでなく環境と健康の復元が目的。
砂漠化対策、サハラの緑化、その先鋒には、人も持て余すほどの生長エネルギーを持つクズが最適。
砂が毒なら、砂毒は緑毒をもって制し、砂を押し戻せばよい。
やがて、パワーの大御所「竹」の出番も来るだろう。
人知を使い、クズや竹にてこずることなく適材適所に採用すればよい。
砂漠化の原因は人災が多く、主因はどうであれその最前線の構図は「砂VS植物」だ。
砂に押されているのなら生長、根性のエネルギーにおいて地上最強の植物をぶつけるのが道理。
先鋒も次鋒も押されっぱなしでは中堅も大将も総崩れで全滅は免れない。
アフリカのブルキナファソでは協生農法で砂の進撃を食い止められたが、さらに大掛かりに列をなしてサハラへ進撃するならクズが最適、1年で10mは進める。
竹の特技は重力に逆らい上へ伸びる技、上横斜め自在に進めるのがクズなのだから先鋒にふさわしく、竹は適材適所に使えばよい。
協生農法において、野人はクズのエネルギーも竹のエネルギーも茶木など樹木のエネルギーも実感。
それらは肥料・成分中心の農業の常識をいとも簡単に崩すほど凄まじいものであり、これからの農業、環境復元に不可欠な植物と確信している。
竹は生長だけでなく想像をはるかに超える未知のエネルギーを持っている。
その探求はライフワークとしてふさわしく、嫌われ者ではなく誰からも好かれ歓迎される植物に出世させてあげたい。
かぐや姫とデルサイユの竹
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