山法師 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは




ヤマボウシはミズキ科の落葉高木で初夏に開花、9月頃にオレンジ色の実を付ける。

花は同じ仲間のアメリカヤマボウシ(ハナミズキ)に似ているが、ハナミズキはヤマボウシのような集合果にならない。

風情も味もお野人の好む木の実だが味の評価は極端に分かれる。

ボソボソして甘くない・・舌触りが悪い・・わからん・・ジューシーで非常に美味しいラブラブ・・などだ。


だから木の実としてはそれほど重宝されていないが、何故評価が分かれるのか。

ナツメ、エビズル、サルナシなどの木の実も分かれるが、魚も猪肉も鹿肉の評価も分かれる。

その理由は簡単だ。


大半は最初の味で判断するからであり、3回食べて不味かったり臭かったりすればこれはもう決定的になる。

何度食べようが体感しようが食の本質とは関係なく物理的でもない。

ジャンケンで3回連続負けたらジャンケンは勝てないと判断するようなもの、ジャンケンを続けるのは5割の勝率がわかっているからだ。


これと同じことが暮らしの中でも繰り返されている。

最初の味覚、体感で判断を下し、野生動物もそうやって身を守る術を学ぶ。

しかし人は優れた知能を持ち、動物より深く考えることが出来る。

それが「何故」であり、その何故を解く物理的な思考回路を持っている。 その為に学校で学んだのだ。

「理」とは文明、知性そのものであり感性とは異なる。


魚にも旬があり、季節、海域、食生活、大きさ、雌雄、捕獲法、初期処理、調理法・・これらによって味は極端に変わる。最高のカツオは一本釣りではないのだ。

最高の食材も捕獲法、処理が異なれば臭くて不味くて吐き出すことだってある。

猪肉も鹿肉もまったく同じだ。

ビレッジのタコ、穴子、牡蠣、猪、ミカン、ニラ、人参などを食べてそれらの評価が激変した読者も多い。


旬と言う言葉食材の名前だけで簡単に判断する人は多いが、日常的に使われている旬の道理を明確に答えた人に会ったことはない。

言葉で判断するクセが付けばコマーシャルの言葉にも簡単に踊らされるようになり、売上にも貢献する事になる。

常識、聞いた話、本で読んだ話で現実問題を判断すれば、そのツケも必ず回って来る。

春の七草の習慣も似たようなもの・・


品質を安定させる加工食品ならともかく、どのような天然食材も「個体差」があるのは当たり前。

何故旨いか、何故不味いかなどの仕組みを理解し、季節も雌雄も決まり、処理もない木の実などは「美味しい木」を探せば済むことだ。


そもそも流通する果物や野菜は、野山を探し続け、交配を続けて誕生したものばかりではないか。

さらに、果物、野菜、肉などは人の技術と肥料と飼料で味と品質を安定させた加工食品であり、自然界の食材とはまったく異なり、人の体を創り上げてきたものではない。 毎日栄養成分に固執しようが体のバランスがとれなくなるのも当然なのだ。

まったく効果のないそれらに頼るよりも、貧相でも少々不味くても、生き物の体を制御出来るこの山法師を口に放り込んだ方がはるかに効果的で安上がりだ。


酸っぱい木の実ではなく、甘味も大きさも申し分ないものが最高の木の実。

総合評価、判断はじっくり下せば良いのだ。


お野人は子供の頃からそうやって木の実を選び、魚貝類も判断を下して来た。

条件はすべて同じ、それでも味に個体差があるのが木の実やお魚なのだ。

当たり前と言えば当たり前なのだが、その当たり前になかなか気付かない。

気付かなければ常識の矛盾にも気付かない。


山法師が結局海に下ってしまったが、次ぎは海坊主が山に上る話しにするか・・

山法師の甘味

http://ameblo.jp/muu8/entry-10142934092.html

知恵と活力の天然サプリ 木の実の踊り食い

http://ameblo.jp/muu8/entry-10833677616.html

野人の食卓 木の実乱舞

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