野人の言う物理である「心」とは、脳と同じような臓器、器のことであり、中にある情報や思念とは異なる。
存在しないなら別だが、心が存在する以上、見えるか見えないか、人知でわかるかわからないかなどは森羅万象の物理とはまったく関係がない。
科学でわからないから、証明出来ないからと放置したから悲惨な現状を招くのだ。
消去法でも対比法でも別の方法でもいい、持てる人知を尽くして特定すれば良いではないか、非難や恥をかくのを恐れていては何も出来ない。
時代と共に移り変わる科学的?証明や改正は後世の人がやればよい。 ガリレオ・・見習いなさい
間違っていれば結果からすぐにわかるから別の答えを探せば良い。
結果が出ればそれが答えだ。
四角四面に、学者、学会のメンツにこだわり足の引っ張り合いばかりしているから皆が困るのだ。
基礎から理論を構築するより先人の知識をそのまま学んだ方が楽ではるかに早い。
先人が築いた基礎から学び、さらにそれに磨きをかけ新たな説を唱える学者ばかりだが、0から始めて基礎を作ろうとはしない。
そうしないのは、気付かないのか、覇気がないのか、出来ない社会の仕組みがあるのか・・
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まったく見えず皆目見当もつかない魂の世界は非科学的とレッテルを貼られ、敬遠され、理論の基礎すらない。
間違いなく心は存在しても、物理論はまったく存在せず、それぞれの観念の世界になっている。
生涯を費やしてもやれるかどうか、秤にかければやりたくはないだろう。
しかし、この重要な問題は何年かかろうがわかるまで探究すべきなのだ。
心とは生き物にとって最も大切なものであり、生命の仕組みを知らずして生命を救えるはずもない。
科学者でもない漁師の野人だって「協生理論」を創り上げ、こうして世界相手に発信している。
道理から答えをはっきり特定、間違いがあればどこからでもどうぞ・・と、逃げ場のない背水の陣で。
続く・・
生命の仕組みのお話4
http://ameblo.jp/muu8/entry-11414951530.html
生命とは 生き物の仕組み1
http://ameblo.jp/muu8/entry-11284358613.html
文明の歪が生み出した矛盾
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