生き物と向き合う お魚 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

動植物など生き物への思いはそれぞれ異なる。

どのような形でも思いはその人だけの感性であり理ではない。

こうあるべきだと言う運動もその人の思いから生まれたものであり自由。

地上の動物にとって動植物は食べられるかそうでないかが重要だが、人はさらに活用の範囲を広げた。

植物は、居住用、道具用、衣類用、食用、薬用、観賞用・・

動物は、食用、ペット、衣類用、工業用・・


食用とペットの違いは各国、地域と文化の違いで異なり、家畜などの食用動物もペットになり、長年食用としてきた野生動物も保護対象になり物議を呼んでいる。

時代と共に移り変わる文化、豊かさゆえの個々の思いから生まれた命の線引きとも言えるが、歴史が示すように飢餓状態になれば本来の食用に戻ってしまう。

生存本能に勝るものはなく、野生動物達は常にその状態で生き抜いている。


子供の頃、好奇心から随分無益な殺生をした。

虫達や蛇やカエル・・野生動物の子がそうであるように、本能から来る狩りの練習と言えばそれまでだが、今でも心が痛む。

中学生の頃から食べる為の狩りへと移行、無益な殺傷はしなくなった。

今はお友達として話しかけることが多いが、彼らを食べなければ生きられない時代が来れば食用になるのかも知れない。


釣りを楽しむ人は多いが、その動機は様々で自由なもの。

食べられない魚や小魚を逃がしてあげるのは古代から変わらない。

「キャッチ&リリース」とは魚を食べるのが目的ではなく、逃がしてあげて釣りそのものを楽しむ為のマナー、ルール。

ブラックバスを中心に世界中に波及、海のルアーフィッシングでも盛んに行われている。

野人もヤマハ時代、仕事上、カジキトーナメントや海のルアーフェスティバルを開催したが、キャッチ&リリースを前面に出すのは好きではない。

トレンディなスポーツ、遊び心、お洒落、保護・・いくら人が言葉で飾ろうが魚にとっては虐待なのだ。


鋭いフックを口や頭や体に打ち込まれ、逃がしてやると言われても感謝しないだろうな。

彼らは生きることに必死なのだ。

皮膚と粘膜のバリヤ機能を傷付けられれば雑菌に犯され生き残る可能性は減少する。

業界には友人も多く、個々の思いにまで口は出せないが、野人から見れば人間の遊び心を満たす為のイジメに見えてしまう。

そう感じる人も多いのではないだろうか。


続く・・



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