生食出来ないものは本来の食べ物とは言えない1 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

人間本来の食べ物とは何かと聞かれたら野人はそう答えている。

本来とは何か、日常会話で自由に使われてはいるが、食べ物の本質を指すなら難しくはない。

哺乳類も鳥類も昆虫も、動物はすべて生まれながらにして食べ物を見分けることが出来る。

それらは主食出来るものでありそう多くはない。

むしろ1種類から数種類という種のほうが圧倒的に多い。

養育期間の長い進化した哺乳類は親が狩りの仕方やエサの判別を教えるが、教えなくてもやがてわかる。

その為に「味覚」が備わっている。

赤ちゃんが片端から口に入れて確かめようとするのも本能だ。

不味いものだけでなく、苦いもの、渋いもの、酸っぱいものは必ず吐き出すが理由があるからそのようにする。

食べるべきではない、食べるには早すぎる、毒性などの判別は生き物個々に備わった機能だ。

本来の食べ物を知るには、人間の歴史を遡ればわかる。

最も長く続いた食生活によって人の体の仕組みは成り立っている。

食の本質は地球上の他の生き物と何ら変わりないし変るはずもない。

火の発見は食において人類最大のパラダイムであり、調理、暖房、武器として使われ、食生活の幅が広がっただけでなく人類が増殖繁栄するきっかけとなった。

本来なら食べられない、食べにくいものまで食糧となり、この食と暖が大きな影響を及ぼした。

しかしこれは道具同様にたまたま生まれた知恵の産物であり、食の本質とは分けて考えるべきだ。

火の発見の時期はいまだによくわかっていないがたいした問題ではない。

人以外の生き物は例外なく生食であり、それを原則に生命は誕生して来たからだ。



続く・・


生食は人間本来の食1

http://ameblo.jp/muu8/entry-10663164898.html

生食は人間本来の食2

http://ameblo.jp/muu8/entry-10663202488.html

生食は人間本来の食3

http://ameblo.jp/muu8/entry-10663452630.html