樹木が小さな種から巨大で精巧な生命体となり、長寿を保つ仕組みに人知は足元にも及ばない。
言っていることがおわかりだろうか、膝どころか足元にも及ばないのだ。
勝手に育つのは言うまでもない常識だが、科学はその常識にまったく及ばない。
つまりあくまで現状を言葉で示した常識であり、当たり前の仕組みさえ掴めてはいない。
育つ過程の様子は観察すれば明細にわかるが、「何故?」と言う道理が欠けているのだ。
それが科学の段階なら答えは出ない、つまり生命の仕組みは何一つわからないと言うことだ。
だから食材に生命力の存在を科学的に持ち込めない。
近代農法も園芸も、生命力の存在を考慮せず物質だけで育てようとする理由はそこにある。
人が関与しなくても野山の植物は自らの意思で育つのも当たり前。
前者は問題に悩まされ、後者は悩まされることもない、この当たり前の違いをどう判断するかが最も大切なこと、自然界がおかしい、科学が正しいと判断するのも自由なのだ。
栗を生で食う人はあまりいないだろう。
市販の立派な栗を生で食べて見ればわかるが、食えたものではなく味もしない。
しかし小粒なシバグリはたくさん食べられないが甘くて美味しい。
たくさん食べる必要もなく、生きたサプリメントと考えれば1個か2個で良いのだ。
食糧と考えるなら加熱してそれなりにたくさん食べれば良い。
前日のシバグリと今日のシバグリは採取した山も異なるが大きさも異なる。
市販の改良された栗に比べればはるかに小さいが、昔の栽培種ほどある大きさで野人にしては大発見。
来春はこの栗を種に、枝を挿し木にしてシバグリの苗を200株作ることにした。
持ち帰って生で食べてみると・・・
甘味もなく、味もない・・しかも、前日の栗は渋皮も気にならなかったのにこれは渋い。
とても同じシバグリとは思えないが、道もない山奥の急斜面だから人が植えたものではない。
う~む・・・どう考えるべきか。
はてな・・・はて・・・知の果て・・
続く・・
・・・ ・・ ?
一個生食・・ 脳ミソ クリア~
木の実がもたらす力
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