病は運命でも宿命でもない 1 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは


完全な治療法の見つからない病にかかれば誰だって死ぬほど辛い。

最後まで立ち向かおうとする人、悲観に暮れる人、運命だと悟り受け入れる人、それぞれだ。

 

「何で自分が・・」と、健康維持に細心の注意を払った人ほど感じるはずだ。

 

しかしこの現状は、元々一握りの人間が作った常識がやがて世界中に広がり、それに付き合った顛末であり、それが自らの寿命を縮めている。

便利な文明と共に本能は退化、世界的な情報の共有がもたらした安易な判断とも言える。

 

人に限らず生き物は本来、自らの頭脳と体力で生き抜かなければならないもの。

何万年も続いた家族単位の小群落は、農業の誕生と共に都市国家にまで発展した。

数々の古代都市もリーダーの判断の誤りで滅び去った歴史を持つ。

 

群れで生きるゾウやイルカもまたリーダーの判断の誤りが危機を招くケースが多い。

人間も象もイルカも、その判断を修正するものがいれば運命は変っていたことだろう。

たとえ自分が作った常識ではなくとも順ずれば、自らその道理を正しいと「判断」したことになる。

常識に身を委ねると言うことは自らの運命を人に委ねると言うことなのだ。


自然界の生き物の寿命はほぼ決まっている。

樹木の最高齢は屋久島の縄文杉のように数千年、事故さえなければそれだけ生きられる機能を持っている。

人間の最高齢記録が百数十歳なら、それだけ生きられる機能を持っていると言うことで特例でもない。

個人差はあるだろうが、不慮の事故がなく病がなければ人間の寿命は百歳は軽く超えるだろう。

しかもこれと言った大病にも悩まされず寿命を迎えるはずだ。

 

他の生き物と違って人間の医学は伝染病対策、事故による体の破損の修復など目覚ましく進歩した。

道路交通網、飛行機、救急車などの輸送科学技術もそれに貢献している。

それによって他の生き物が受ける事故の影響は激減、寿命も昔よりもはるかに延びた。

 

しかし病気に関してはいまだに有効策は見出せず、対処、延命療法に苦悩している。

自然界ではなるはずのない病気は人間自ら招いたもの。

戦争があれば平均寿命が縮まるが、それも自ら招いたことで同じようなもの。

 

持って生まれた宿命は変わらずとも運命は自ら切り開くものだ。

この世に生まれて去るまで敷かれた道をその通りに歩かせる・・

そんな神業は神様でさえ出来ない。 ・・・?


続く・・



一応・・聞いてみた


野人エッセイす

ムリ ムリ !


野人エッセイす
ね・・・ムリ・・