茶の味の特徴 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

茶の味はだいたい決まっている。

一般的なお茶から高価なお茶まで、その味の違いを見分けられる人は多いだろう。

茶に無縁だった無茶人ごときが口をはさめるものでもない。

それは紅茶についても同じことが言える。

香りや甘みや渋みの程度が味の判断の基準となっているが、無茶人がこれから手掛けるお茶と紅茶はその基準の「規格外」になるものかも知れない。

香りや甘みは強くても渋味などの雑味がない。

あえて表現するなら、体が素直に受け入れ何杯でも飲みたくなる茶だ。

茶はこうでなければならないと言う道理はなく、まったく一般的ではないのだから味の表現は難しい。

美味しいかどうかは個々の判断だが、「何杯でも飲みたくなる茶」が本来のお茶ではないだろうか。

言葉を変えれば頭や舌ではなく体が判断するお茶とも言える。

無茶人は、植物は人間が作り育てるものではないと言う道理と信念を持っている。

だから「美味しいお茶を作る」と言う考えはまったくない。

茶の味は茶自身が考えて生み出すものだ。

地域、土壌、土質、気候などで味は微妙に変って来るだろう。

それをそのままいただくだけのことだ。

人間がその味に文句を付けて講釈をたれるのは何ともおこがましい。

前年と味が違ってもそれなりに味わい深く、体が求めればそれで良いではないか、ワインもお茶も同じ生き物だ。

これは人間の本能に響くお茶とも言えるだろう。

茶園は製造工場であってはならない。

茶畑を工場にしてしまったから深刻な地下水、環境汚染を招いている。

人がその環境を整えてやれば、茶は伸び伸びと育ち自らの持ち味を出すはずだ。

音楽まで聴かせる必要はないが自然界のバランスは最低条件、今の茶園の密度の半分以下にするつもりだ。

肥料など関与はしないから成長も茶まかせだ。

極端な生産量の低下は適正価格や協生農産物で補えば良いと考えている。

無理を重ねて不完全な植物を量産するのではなく、これが本来の大地との付き合い方だろう。

無茶人はこの茶を普及させることで全国の茶畑を正常に戻そうとしている。