野菜に品質を求めた農業 2 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人知の創意工夫は農業に浸透、近代は益々工業製品と同じように品質を重視するようになった。

品種改良、交配が盛んになり、芸術的とも言える品種の恩恵を受けていることは間違いない。

元は野草や木の実であり、それが今は人類の主食になっている。

自然界のものには個体差があり、その中から最も優良なものを選び、さらに手を加え続けて今の食料がある。

それらは人類にとって財産であることは間違いないし野人もそう思っている。

問題は、その品種をさらに早く立派に育てて収穫しようとすることにある。

それが人の言う「効率」なのだが、生き物にそれが当てはまるのだろうか。

野菜や果物だけでなく、家畜も魚貝類も今はそれが当たり前になっている。

鴨も真鯛も天然と比べると味の違いは明らかなのだが、それだけではないだろう。

野菜も牛肉も同じだ、柔らかく食べやすくはなっているが明らかに天然とは異なる。

他の生き物に可能なら人間に当てはめて見るとわかりやすい。

十数年かかるところをその半分で大人にしたらどうなるのか。

それで本質が保て、中身も変わらないと言う人はいないだろう。

他の生き物は可能でも人間は不可能と言うのも矛盾している。

人はまだ生命を完全に理解してはいない。

わからないから治療法も病気の原因すらもわからないのだ。

わからなくて当たり前で、時代と共にその常識を修正し続けてきた。

今がその時だと思って野人はこの記事を書いている。

そこに気付かなければ、さらに多くの人が苦しみ、多くの人がそれに巻き込まれて行く。

人は苦しむ為に生きているのではない。