作物と呼べない協生野菜 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

読者からのメッセージで気付かされたが、確かに丹精込めて作り育てない協生農法の野菜を「作物」と呼ぶのは違和感がある。

いつから作物と言う言葉は使われ始めたのだろうか。

今では野菜を作ると言う考えが当たり前になり、野菜と山菜とは違うと言う人も多い。

野人にとってはどちらも同じ植物であり、生き物である以上呼び名はともかく中身の区別はしない。

野菜とは読んで字の如く野の菜だから野菜と言うのだ。

人が作る山菜とは異なる野菜とは何だろうか。

肉や卵、養殖魚のようにエサを与えて丹精込めるのが野菜の定義なら、それは自然の食べ物とはかけ離れたものと言うことになる。

肉や卵や養殖魚を環境と体に優しい天然物と言う人はいないからだ。

協生農法から生まれる産物の対象は「農林水産物」全般で数百種に及び、野菜とは限らないから、やはり野菜の場合は農産物と言うしかないだろう。

人に限らず地球の生き物は自然界の食べ物で命を長らえ進化して来た。

健康悪化の原因は食べ物にあると考える人は多く、その対象は農薬や食品添加物などの化学物質に集中、それに神経を尖らせているが果たしてそうだろうか。

それらは以前から存在し、種類は少なくとも今と比べて成分の規制ははるかに甘く、健康悪化の急増とは比例せず、主因とは言えない。

代謝自体が不安定な状況で、どちら側に回るか多少の影響はあるだろうが、医学は証明も断定もしていない。

動物が命を長らえるのに絶対必要なものは限られ、幾つもないのだ。

それらが元の本質を有するものかどうかだけ判断すれば事は足りる。

食文化における加工、養殖も結構なことだが、何一つ本来の本質を持つ食べ物を摂る機会がなければ体がおかしくなるのは当たり前のことだ。

余計なこととは、入浴剤やうがいで、大切な皮膚や粘膜のバリヤーを除去することだ。

必要なものとは、水と植物と塩で、塩とは塩化ナトリウムや粗塩や岩塩でもなく、生命を育む海のバランスのとれたミネラルのことだ。

それは正常な大地から生まれた植物を摂ることでも事は足りる。

繰り返し書き続けて来たが、今の水と塩と植物は本質とはあまりにもかけ離れている。

人は「何を」食べて体を元に戻そうとしているのだろうか。

その時々の症状を抑えようと奔走しているようだが、症状があること自体がおかしいのだ。

あれが良い、これが効くと奔走するより「当たり前」のものを摂れば体は元に戻る。

自然界の人間以外の生き物はそれが当たり前のように生きている。


塩は海から
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植物は大地から     当たり前のものを・・・
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