協生農法は一昔前の有機農法ではなく、人類の起源、生命の起源にまで遡り、本来の食の在り方を理解することから始まった。
協生農法の手本は農学書や人ではなく森羅万象であり、その仕組みに逆らわず最高の環境を整えることだ。
畑の野菜と違って道端の草は隙間なく密生、冬でも青々としている場所もある。
草の大半が野菜や山菜などの「有用植物」と考えればわかりやすい。
他の自然農法のように、草の中で野菜を育てるのではなく草そのものを野菜に置き換える。
農法と名が付くからには業として成り立つことが前提であり、目標は近代農法をはるかにしのぐ生産量だが、この手法からその生産量の想像がつくだろう。
野菜抜きより草抜きが大変なら、それを入れ替えることが逆転の発想ではなかろうか。
残った草の根もまた土壌形成に大切な「有用植物」なのだ。
今の農法のように植え付け野菜の間隔や、リセットして植え直し育成する期間も必要性もないので畑の全面から365日多種収穫が可能だ。
それが見えずして実験農園の誕生はなく、確信したから作ったのだ。
生き物にとって最高の条件が凝縮された協生農園には無駄なものなどなく、種以外に持ち込むものもない。
通路も畑の外もすべて野菜で埋め尽くせば良いのだ。
「野菜を持って草を制す」の精度が増すほど、狭い農地で効率は上がり農作業は楽になる。
協生農法と近代農法の大きな違いは次の通りだ。
続く・・