森で育った野人農法 3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

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植物が生を営む壮大なプロセスに人間が関与出来るものではないが、植物は工場であってもエサを与えても育つ。水と光があれば発芽し、養分があれば吸収する。毎日水分と養分を吸収すればエイトマンのようにハイスピードで巨大に育つ。たとえそれがイヤでも個々の細胞が膨らむように出来ている。それも植物の本能で、そうやって大地から余分な異物を吸収して地上に分散、土壌を正常に戻す役割も担っている。

放牧の牛が、自らの糞で立派に育った牧草を食べないのはそれが理由だ。小さくても正常な細胞の草を選んで食べている。

微生物や虫達も協力して掃除屋の仕事を果たすから、大地はいつまでもバランス良く快適に保たれている。生ごみを持て余すのは人間だけなのだ。

彼らの働きが完璧なことは、人知を駆使した現農地が健全で何の問題もないか比較してみればわかるだろう。

だから野人は農業書ではなく彼らから学び、出た答えがこの農法だった。農園設計施工の指針はいたって単純だったのだ。金銭的、労力的難儀を背負いこみ、自然界の理に適わないことは野人の本能で出来ない。畑などやったことない野人が図面を描いてホイホイと造成、その結果、多少の新たな発見はあったが大半が考え通りになった。虫も鳥も微生物も想像を超えるほど集まってきた。そして野人の為に、いや、自分達の為にせっせと働いている。これで生涯土を耕さなくて済み、養分を運び込まなくて済むのだ。

予測外だったのは産物の生命力だ。自力で育った野菜の持つエネルギーは素晴らしい。これは体感したものでなければわからないことだが、鈍い野人にはいまひとつ・・

健全なる精神は健全なる肉体に宿ると言う言葉があるが、野菜にも当てはまるようだ。

草や微生物や虫や鳥、彼らには心から感謝している。最初は迷惑と感じた相当数のモグラにも同じ気持ちだ。彼らにとっても野人農園はなくてはならない桃源郷なのだ。

最近では、農園から帰る時、「ムーさん帰るからあとは頼むね~」と彼らに声をかけるようになった。無精な野人は、無敵で最高のスタッフを電卓でも数えきれないほど大勢抱えている。指示を出さなくとも土作りから除虫や施肥までやってくれるのだからこんな楽で面白いことはない。農園は生き物たちのオーケストラで真冬も賑わっている。