薄れゆく「医食同源」 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

これだけ原因不明の病気が急増した現在、「医食同源」と言う言葉は死語になりつつあるようだ。薬の元は薬草であり、薬の文字に草冠が付いているのはそれが理由だ。古代から人は植物から生きる力と自然治癒力を得ていた。肉食動物も体調を壊すと草を食べる。植物は地球上で一番バランスのとれた最高の食べ物なのだ。古代人は生き物の本能で植物を求めたが、現代人は頭で野菜を求め、その成分と効能に執着した。小さい時から、この野菜は、この成分は体に良いからと教育を受けてきた。中学では筋肉を付けるためにタンパク質の豊富な肉を食えと教えられた。植物と言うより養分、ビタミン重視の時代だった。

今は科学も医学も昔に比べれば最高峰。最高峰の時代に人は最高に病んでいるのだ。それをおかしいと感じるのは野人だけではないだろう。科学とは数学物理学の世界、言うなら、立てた方程式が間違っていたから間違った答えが出たと言う事だ。単純明快ではっきりしているのだが誰も口に出せない。皆で渡った赤信号はなかなか戻れない。大掛かりな社会の仕組みが出来上がってしまえば、言い出しっぺは破壊者であり風当たりが強いだろう。

野菜や果物を中心とした食物の効果が薄れ、人は薬やサプリや健康食品に頼るようになった。そちらの方向へ進む前に何故、何処でそうなったかを追究しないのだろうか。その気になって分析すれば簡単なことだ。それらの食品に対して、必要な事をしなかったか、余計なことをしたか、この二つしかない。太古の昔から地球の恵に対して人がやらなければならない「必要な事」などあるはずもない。それを消去すれば残る答えは「余計なこと」しかないのだ。人がやる余計なことは数え切れないほどある。それを片端から消去して行けば答えは簡単だが、人間自身がそれらを余計なことと思っていないのが最大の壁だろう。

「医食同源」「健康」の元、何十年にもわたり、野菜の成分にこだわり、成分の効能を掲げてきたのなら、今の野菜の成分が激減した理由を解明して公表するのが当たり前だと思うのだが、いまだ聞いたことがない。出した答えが、「不足気味ですから補充しましょう」ではあまりにも寂しい。おかしいと感じながらも、消費者はそれに向かってひたすら走るしかない。