皆既日食 悪石島の記憶 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

ニュースでやっていたが、皆既日食でトカラ列島の悪石島が脚光を浴びていた。野人は昔、この悪石島を1年間毎日眺めて暮らしていた。悪石島から数キロ離れた隣の諏訪瀬島に住んでいたからだ。トカラ列島は南西諸島の火山列島で、屋久島から奄美大島までの島々のことだ。島民50人の諏訪瀬島には海岸線に平地が無く、切り立った崖の上に会社の私設飛行所があり、その飛行場に唯一ある管理棟で寝泊りしていた。朝起きると眼前には東シナ海が広がり、見える島はこの悪石島と平島くらいだった。仕事は海の開発が主で、ダイバー、船長、フィッシングなど、山の上からクレーンで船を降ろし、運航から修理、スクーバタンクの空気の充填、潜水調査、フィッシングからジープのパンク修理まで自分ひとりでやらなければならない国内最大の僻地だった。法も文明の恩恵もない自給の島だから当然医者も警察もいない。助かる怪我や病気も助からない自己管理の島なのだ。電気も水道もなくて天水を利用していたが、会社が発電機を設置、地下水を掘った。港も岸壁らしきものもなかったので護岸やクレーンも設置したが、大波には耐えられず安全なところまでジープで船を引き揚げていた。月に数回来る鹿児島から奄美へ就航する連絡船も欠航が多く、来てもが近寄れず素通り、会社の10人乗りのアイランダーやセスナも着陸出来ないくらいの強風が吹き、6人の社員は何度か食糧危機に陥ったが、野人が海から食料を確保した。芸は身を助ける、どんなに海が荒れようが海中は静かなもんだ。

それから数年間、不定期航路の船長として強風のトカラ列島を走り回った。秘境を潜り、悪石島にも二度ほど上陸した。この数年間の話は連載「東シナ海流」に書いてきたが、半ばにして中断している。そろそろ再開するかな・・

野人は皆既日食にはあまり関心がない。真上の空でおきても見ることもないだろう。子供の頃から今まで、常に自然界に関心を持ち、その道理を調べ続け、はっきりとした答えを求めてきた。「だろう」で終わらせることはなく、本や説を鵜呑みにすることもない。必ず自分の頭で答えを出してきた。それがわかれば次へと進む。それでもまだわからないことは山ほど残っている。あまり風情もない数学的な思考回路が皆既日食に関心を持たせないのだろう。友人達は昔から野人を文明的でない野蛮人扱いしてきたが当の本人は意に介せず弁明もせず我が道を進んでいる。本音を言わせてもらうなら、自然界、生命に関する本質と道理は今の科学も及ばないくらい先を進んでいると思っている(笑)

人は常に学びを求めるが「勉強の為の勉強」になっているようだ。つまり目的がはっきりせず、「見る、読む、聞く」が主体になっている。いくら集めても使えなければ情報のスーパーマーケットでしかないだろう。その情報は自ら組み立てたものでもなく、基本が間違えばすべてが狂う。人の科学は時代と共に「修正」を繰り返して来たのだ。だから野人はそれを参考にしても鵜呑みにすることなどは無い。人の最大の財産は知恵だ。知恵とは覚えることではなく使いこなす事で、新たな分野を切り開く事だ。それは今の矛盾だらけの文明の手助けではない。本質と道理が見えなければ知恵は使いこなせない。人間として生まれたからには生を終えるまで知恵を磨き続け、地球に恩返ししたいと願っている。それが野人の生命力であり使命感だ。しかし・・もう少し、風情が欲しいなあ~ これでは女性から「あきれられて」しまう・・・詩を書いても、川柳かダジャレか方程式になってしまうのだ。やはり人は・・知恵よりも心だなあ。