顔と手は洗えば洗うほどベタつく | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

朝起きたら顔を洗う、家に帰れば手を洗う、これらの習慣は常識になっている。子供の頃から朝の洗顔と歯磨きは当然のようにやってきたが、歯磨きはやめて快適になった。しかし野人には毎日10回以上は顔を洗う習慣があり、それは何十年も続いていた。トイレで手を洗えば必ず顔も洗う。理由は簡単で単にベタつくからだ。石鹸を使わなくなって20年くらいになるが、使っていた頃も後も野人の肌は常にスベスベしていたが、何故か顔と手の平はべたつきが気になっていた。特にそこだけべたつくのは妙な話だが気にもしていなかった。汗をかく夏は近くに水道さえあれば頻繁に顔を洗っていた。べたつけば当然ホコリなども付きやすくなる。だから体には石鹸を使わなくても顔はたまに石鹸を使うこともあった。このブログを書き始めて色んな疑問を追及していたが、顔洗いの習慣までは頭が回らなかった。やっと「おかしいではないか!」と気づいて実験、顔を洗う習慣をやめて既に半年近く経った。

結果は、「顔も手の平もまったくべたつかない」と言うことだ。顔を洗うのは風呂に入った時だけで、朝は汲んできた山水で目だけ洗い顔は洗わなくなった。よくよく考えればその必要もなかったのだ。

水道水の塩素が肌に及ぼす実験をしていた最中、一番水道水に晒してきたのは手と顔だと気づき、手以外は肌に直接触れないようにしてきた。水道水で顔を洗う習慣が消えれば当然手が水道水に触れる回数も激減する。手は食器洗いやその他で、水道を使うのはある程度やむを得ない。結果は翌日から表れずっと変わらない。顔がべたつかなければ洗う必要などないのだ。飲食店のおしぼりで顔を拭くこともなくなった。今は非常に快適だ。

反面、こんな簡単な道理に気づかなかった自分が情けなかった。

肌には元々適度な脂分があり、それを洗い流せば「生命の危機」として皮膚は脂分をたくさん出そうとする。それは頭皮も同じ事だ。雨に濡れたくらいではどうということもないが、手でこすってヌルヌルを落とすのだ。そうすれば皮膚はすぐに大量に脂分を出すのは当たり前のこと。だから1時間経てばやはりヌルヌルしてくる。結局一日中洗うという「イタチごっこ」が何十年も続いていたのだ。皮膚の使命感と細胞の根性は見上げたものだ。決してあきらめるということがない。野人は顔の皮膚に謝った。「いらんことし続けてごめんなさい」と。今は体も顔もまったく同じ状態でスベスベ、水道水の無駄使いやタオルやペーパータオルで顔を拭くこともなくなった。塩素も顔に使わないから微生物も正常で顔が汚れない。もう一つ最大の発見があった。学生の頃から辛かったことから完全に開放され、あるモノも不要になった。それはまた次回に。