土は生きている | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

土は生きている。

何故ならそれは地上のあらゆる生き物が長い歳月を経て生み出したものだからだ。

地球が誕生して数億年の時をかけて海が生まれ、さらに数億年かけて陸地が生まれた。

無機的な岩が風化して砂になり土が出来上がるのにさらに数億年。

苔などの地表類に始まり、アメーバ、シダ類、さらに海から上がった生き物達が植物を繁栄させ、一体となって土壌を築き上げてきた。

植物は元々地上になかったリン酸を動物から得て、さらに風にまかせる裸子植物から動物に遺伝子を託す被子植物へと変わった。

植物の繁栄は動物の繁栄、その住処と糧を植物に頼った。

植物なしでは動物は生きられず、動物なしで植物の繁栄もあり得ない。

母なる海と言う言葉があるように、土壌は地上のすべての生き物にとって母なる大地なのだ。

地上のすべての生物を知り尽くした人間など一人もいない。

土壌はすべての生き物のものであり、彼らが作り上げ、また彼らを育てている。

人間はその仕組みの中の動物に過ぎず、完全な土を作る事など出来るはずもない。

人は土を柔らかくして水と肥料を与えれば植物が育つ事を早くから発見した。

それは点で捉えれば間違っていない。それが植物の特性であり使命だからだ。

植物は余計な水分も養分も吸い上げて細胞に蓄え、地表に分散させるという使命を担っている。

人を含めて動物が土のバランスを保つ事などは出来るはずもない。

人は人工的に保水力を高め、土壌を肥やす事に奔走し、土質まで調整しようとする。

植物の細胞を早く大きく膨らませるということにおいては間違っていない。

食糧増産と言う目的は達せられるだろうが、それが本来の食べ物かどうかはあらためて考え直す時期に来ているのではないだろうか。

バランスのとれた植物ではないことも間違ってはいないのだ。

堆肥を土壌に埋め込みさらに養分をまんべんなく加える。そのような不自然な土は存在しない。生き物が築き上げた土壌はそのようなことをしなくても柔らかく、微生物が土中で活動すれば温かい。

だから野人は土を破壊して自分で作ることはしない。

生き物達が築くふかふかの土と人工的な柔らかさは異なる。

土から必要な糧を得るには、土と向き合い、雑草と称される植物や多くの生き物と向き合うことだろう。

そうすれば進む道が見えてくる。

人の知恵は森羅万象の足元にも及ばない。

土は生きているのだ。

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農園体験記事で「すもも」さんと「りんの」さんが一番感動したのは、耕さない土の柔らかさと土中の温かさだったようだ。その驚愕に答える意味でこれを書いた。

野人は土も野菜も「作る」という感覚は持ち合わせていない。丹精込めて野菜を育てることもしない。種によって育たない事はあっても虫や病気の害もない。知恵は他の事に使う。主な仕事はせいぜい多年草の排除くらいだ。だからクワを使うことは初期以外ほとんどない。ゴボウを掘る時にスコップを使うくらいだ。やがてこの地にあった土が出来上がり、出来ないものが出来るのを気長に待っている。それがいつになるのかは彼ら次第で野人の知るところではない。野菜も山菜も全種あるからそれほど困らないのだ。農園経費は今は種代のみ。花咲じじいみたいに種を撒いていれば良い。マメに採種すればそれもいらないだろう。男性諸君、種は畑に撒くもの・・・