人は毎日生ゴミを川に流している | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

残飯を毎日川に捨てる人はいないだろう。燃えるゴミとして所定の場所で回収させているはずだ。しかし厳密に言うなら生ゴミを流していない人などいない。食器を洗えば洗剤と共に必ず流れ出して行く。代表的な生活廃水だ。近代の洗剤はともかくこればかりは太古の昔から変わってはいない。しかし川も海もその程度は自浄能力を持っている。それらの有機物は小魚や微生物など生き物のエサとなり地球を循環しているのだ。子供の頃、川に繋がる排水口の下の深みにはうなぎやカニやエビがうようよいたので絶好の漁場になっていた。流れてくるご飯粒や魚のカスは彼らには絶好のご馳走だ。しかし今はヘドロで生き物は住めない。昔も同じように食器洗いに洗剤を使っていた。違いは小川も下水溝もすべてコンクリートになり微生物がすみ辛く、分解されないままストレートに堆積するからだ。生き物が隠れる石垣すらもなくなってしまったからヘドロになるのは当然だ。昔から河川工事を見る度に人間は何をやっているのだろうかと感じていた。微生物は石垣や浅瀬や水草の根元などに住み着き、人が排出する有機物や洗剤などの化学物質も分解していた。主成分のリン酸をエサに植物性プランクトンが発生、さらに動物性プランクトンが増え、それをエサにする生き物と循環がうまく保たれていたのだ。

洗濯や入浴は昔に比べてはるかに便利になり頻繁に行われている。そこから出る生ゴミは相当な量なのだ。本来なら自己消化しなければならない皮膚の有機物を風呂で毎日洗剤と共に流し、昼間付着した衣服の有機物も洗剤と共に毎日のように川に流している。さらに歯磨きでは歯磨き粉と共に口内に溜まった有機物を川に流す。浄化作用の極端に低下した川にこれだけのものを流すのだ。町内ドブ掃除も当然といえば当然だ。

地球上の植物動物のすべては動物の糞尿以外の有機物は自然界に廃棄しない。皮膚と口内で微生物によって完全分解している。動物の糞尿は植物の種を運び、養分となり、環境の維持に不可欠のもの。無駄な仕組みなどはどこにもない。

考えてみればわかるが、集落を流れる小川や下水に何千何万人の「タンパク質」が薬品と共に絶えることなく流れ込んでいる。これでは川も海も汚染されるばかりで先は見えている。誰かが、何処かで止めなければ人は自分で自分の首を絞めることになってしまう。汚水を流すなと言うことではない。循環のバランスがとれてさえいれば何の問題もないはず。無駄な排水を控え、下水や河川の構造を変えれば済む事だ。膨大な経費を使って汚水処理場を作るのは余計なプラス思考だろう。