防腐剤無用の腐らない弁当 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

今や弁当はスーパーやコンビニなどいたるところで売られている。多様なサンドイッチも悩むくらいある。歴史のある名物駅弁はまあそこそこ旨いのだが、他は50歩百歩でまったく旨くない。胃袋に燃料みたいに放り込むようなものだ。安いからと言えばそれまでだが、この売れ残りの弁当が社会問題になっている。食中毒が怖くて6時間くらいで廃棄するようだが、防腐剤や緑のビニルのヒラヒラにミニ醤油、容器やラップまでご丁寧にやった挙句ゴミになるのだ。その量たるや家庭ごみの比ではない。食の安全が叫ばれ、消費期限や添加物、農薬、産地、成分など監視の目がきつくなり、消費者の信頼を裏切ったとすぐに責められる時代だ。食べられるかどうかは自分の鼻と舌で判断すれば良いではないか。もったいない話だ。傷んでいるなら持ち込めば交換する、これが昔からのやり方ではなかったのか。すべて責任を押し付けられる業者が神経質になるのも当然だ。企業生命がかかっている。そもそも消費期限など正確にわかるはずもない。保管条件がみな違うのだ。だから安全策をとって極端に短くするしかないのだろう。食の安全とはもっと別の方向だと思うが。進む方向がトンチンカンだから病気が増えるとは考えないのだろうか。

小学校の遠足ではリュックサックに入れて持ち帰った弁当の残りも夕方食えていた。当時は通気性の良い木の折箱が中心だったし今のような腐る梅干もない。防腐効果の高い古人の知恵の「竹の皮」もプラスチック容器やラップにとって代わられ、防腐殺菌作用の強い南天の葉やバランもヒラヒラの緑のビニルに代わった。南天は江戸時代から武家屋敷の便所と廊下の横に植えられるようになったが、毒殺による毒を吐き出す為だ。殺菌力があり赤飯などにも使われる日本の食文化だ。竹や南天などいくらでも余っているのだが10円、1円を争うコスト競争の歪だろう。その為にどれだけの石油と燃料を消費して環境を汚すのだろうか。これだけ農地や竹薮が放置されているのに何で復活させて利用しないのか。材料はいくらでもあるのだ。本物とビニルでは気分も違う。その為に10円寄付する人も多いだろう。コンビニ弁当も防腐剤なしで日持ちすればそれだけの価値は出るはずだ。消費者の認識を変えようと頑張る事業者はあまりいないようだ。とにかくやってみれば良い。その付加価値に賛同する人がどれくらいいるのか。

もう何十年前の話だが、亜熱帯に近い鬼界ヶ島でヤマハが作って客に持たせた「俊寛弁当」は本物の梅のおにぎりとから揚げと玉子焼きを竹の皮で包み早朝の釣り客、島内観光客に持たせた。炎天下の中、食べるのは昼頃だったが夕方まで日持ちして腐りもしないし食あたりした人もいない。本当に旨くてヤマハの社長も釣り磯で満足していた。四国では葉っぱ産業も盛んだ。化学産業ではなく田舎の高齢者産業として復活させれば良い。料亭だけが市場ではないのだ。折箱や竹の皮や南天の葉やバランを使い、本物の梅干おにぎりの弁当が出来たら、たとえ30円高くても野人は迷わずそちらを買う。