猿はノミとりで指先を鍛えた | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

猿の指先が器用なのは長年「蚤取り」で鍛えたからだ。互いに毛繕いするのを見ていれば、いつまでもしつこくやっている。コミュニケーションとは言えあの根気はどこから来るのか。視線を一点に集中、指先で器用にノミを捕まえては潰す。人間にはなかなか真似出来ない。だから木の実でもみかんでも器用に剥いて食べる事が出来る。小猿もそれを真似して小さな頃から指先を鍛えている。ノミとりは猿にとって、痒みを止めるだけでなく、親愛の情表現であり、コミュニケーションであり、教育であり、実を剥く練習であり、生きる知恵なのだ。猿は嫌なノミを最大限利用していることになる。良しに付け悪しきに付け、自然界の仕組みに逆らわず旨く活用する。人間から見れば一石五鳥でも、猿にとっては当たり前の自然の理だ。猿から学ぶ事はたくさんある。比較すればいかに人間が無駄な事をやっているかがわかる。そう感じている人も多いはずだ。農業だけでなく工業も含めて科学は試行錯誤を繰り返してきた。自然界の道理を知らず、個人の思いから生まれた技術が多すぎる。そしてそれが行き詰まるとさらに次の手を研究する。世の中にはそのようなものがゴロゴロしている。最初から理に適っていれば人の文明はもっと進化していただろう。修正の必要もなく環境に優しい、全ての生き物が共生出来る理想的な文明だ。猿を始め生き物から学ぶ事は恥ではない。野人は猿を殴るが、学ぶべきことは学ぶ。文明はこの百年で急激に進んだ。人間は足元を見失っているように思う。