アジのすり身で生き返る | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは



最近、アジのすり身が食いたくて、食いたくて我慢の限界に来ていた。

以前はたまに作って食っていたのだが、このところご無沙汰だ。

アジのすり身・・食わないと死んでしまう。


野人の郷里は大分県の津久見市、住んでいたのは市内だが、祖父の実家は網元だった。

野人はそこで生まれ5歳まで過ごした。

同じ市内なのに道路もなく、交通は定期船のみ、片道1時間半もかかった。

すぐ近くに保戸島がありマグロ漁船の基地だ。


アジ漁で栄えた漁村だったが今は廃れてしまった。

道路も開通し、住民は市内まで働きに出かけている。

小学校から高校まで夏休みの半分は墓参りも兼ねてそこで過ごした。

定期船が着くとそこらあたりに干してある煮干の匂いが鼻をついた。

イリコと呼んでいたが、味噌汁のダシはこればかりで、今でも煮干は好きではない。


毎日アジやイワシばかり食っていたせいで骨も丈夫になり、頭脳も明晰になった。それだけは感謝している。

櫓を漕ぐ事を覚えたのもここで、小学4年くらいだった。


夜の岸壁に集魚灯を設置、2時間くらいして櫓を漕いで一輪車一杯くらいの網を張った。

お盆で帰省していた都会の小学生仲間数人に護岸から網を引かせるとアジがトロ箱一杯くらい獲れ、浴衣姿の女の子達も大喜びで持ち帰った。

小学生の遊びにしては趣味と実益を兼ねて洒落ていたのだ。


「すっごお~い!」とおだてられると調子に乗る当時の野人は、ついでに懐中電灯をナイロン袋で防水、裸で海に飛び込みサザエやアナゴを獲って来て大好きだった都会の女の子に捧げたが、バラの花束よりも効果はあったようだ。

アジが大漁だと全村に行き渡り、村中の人はアジのすり身作りに精を出す。

小学校の頃はこのアジのすり身の煮物、揚げ物ばかり食わされて閉口したが、中学頃から中毒になってきた。

定期的にこれを食わないと禁断症状が出てくるのだ。

それくらい旨くて、全国の練り物を食い尽くした今でもダントツの練り物だと確信している。

さつま揚げもハンペンも高級蒲鉾もアジのすり身の足元にも及ばなかった。


津久見市内の幼馴染も食ったことなく、数年前だったか帰省した時に郷里まで車で連れて行ってもらった。

その時初めて食ったらしく、「なんじゃこりゃあ、無茶苦茶旨い~!」と感激、今でも食い続けているようだ。


今日は朝からアジが脳ミソを占めていた。

アジ・・アジ・・アジ買って来て練る・・釣りに行く時間ない・・とトイレでブツブツ言っていたら来客、知人がピチピチの小アジを釣ってきてくれたのだ。

渡りに「アジ」とはこのことだ。彼がアジの神様に見えた。


さっそく三枚におろして皮を指ではいでまな板で叩いてミンチにした。頭と中骨は捨てない。

30分ほど煮詰めてダシを出すと最高の味噌汁が出来る。

一番好きな味噌汁もいまだに「アジ」なのだ。


すり鉢で根気良く練り、途中で粗塩と少量の砂糖を加えてさらにこねくりまわした。粘りが出てすりこぎが動かなくなるまで練る。

イワシや他の魚ではこうならず、アジしかこの粘りと味は出ない。つなぎには卵白を入れる。

冷蔵庫で半日ほど寝かし、それを蒸し器で20分ほど蒸して出来上がり、冷凍保存して煮物や揚げ物や吸い物に使うがそのまま食うのが好きだ。


饅頭みたいなアジのすり身に丸ごとかぶりついた。

ギチ!っとした強烈な歯ごたえ・・

「旨い~!」 生き返った・・・・