気の科学16 輪廻転生とは | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

魂が何度も肉体を持って生まれ変わると言う意味で輪廻転生と言う言葉が使われるが。世界の宗教にも同じ教えが根付いている。イスラム教はそう言ってはいないが、宗派の一部はこれを信じている。世界中で根拠もなくこんな教えが生まれるはずもなく間違ってはいない。人は理性の生き物とも言われるがそんなことはない。他の生き物よりは理性が発達しているだけのことで、主体は感性であり、意識そのものなのだ。肉体は同じ遺伝子を受け継いだ兄弟でも、生まれながらにしてまるで性格が違うのは、何世も意識の本質を引き継いできたからだ。人の本質は肉体ではなく意識、つまり性格とも言える。その性格も自ら積み上げてきたものなのだ。人はその性格を持って輪廻転生する。仏教では肉体は仮の姿と言うが表現はまんざら間違ってはいない。野人は「仮」とは思ってはいない。どう表現しようが構わないのだが、肉体を持つ期間は魂を磨く上で大切な時間なのだ。脳味噌のない魂の期間は感性だけで思考が進歩しない。つまり時代の遺物のような記憶しか持っていないのだ。魂は思考と感性によって磨かれるものだ。喜怒哀楽などの感情は自らの思考が下した判断による現実の「結果」として起こるからだ。転生しない魂も存在するが、それはまた「霊魂の運命」で話す事にする。前回、人は前世などの過去を詳しく知る必要はないと述べたが、知ったからと言ってどうなるものでもないからだ。失敗を反省、修正するのは人の知恵だが、何が失敗で悪かったのかわかるはずもない。それがわかるなら転生する必要もなく神様になれる。何故リセットされて生まれてくるのか、理由はそんなことは「一切関係ない」からだ。様々なパターンの人生を送る上では役にも立たない。神はそんなことは教えてはくれない。全く異なる人生の展開で喜怒哀楽を通してどのように考え、生きるのか、そうして魂は磨かれてゆく。キリストにせよ釈迦にせよマホメッドにせよ、神の使いとして人が生きる方向性を示した。後は個々が己の判断において仕組みを知り、心を磨いて行くべきなのだ。同じ魂などはないし、決まった答えもない。だから前世も未来も知る必要もない。それを知ろうとすることは「欲」以外の何者でもない。楽してカンニングペーパーを手に入れようとするのと何ら変わりないことに気付くべきだろう。

自分の魂の過去と未来、野人はそんなことには全く関心を持たない。すべての記憶を消し去り、一体に一意識体として、霊魂を介入させないようにして世に送り出した「神の意思」に背くことになる。たとえ知る力を持っていてもやらない。野人は無宗教で、あまり神を尊重せず、時には無礼を働く事もあるが、それくらいの恩義はわきまえている。霊魂が少しでも介入するのは自分自身の魂の在り方に問題があるのだが、それもまた別の機会に話す。物質、意識、転生する仕組みを知ることは必要、前世があることも。しかし前世が何者だったか、どのように生きたかは知る必要もない。前世の業をどう修正するのかは自ら感じ取り、自ら判断すべきことだ。人がとやかく言うことでもない。

神も魔も亡者も同じ世界に存在するが、そんなものは踏み倒してでも自分の道を進む迫力が必要なのだ(笑)それくらいは神様も大目に見てくれるし罰も当たらない。