東シナ海流30 過酷な海上サバイバルが始まった | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

船の船尾は何とか岸壁から離したが船首右舷は相変わらず危険に晒されていた。

船と陸に分かれて、大波で激突する瞬間に一斉にロープで吊るしたタイヤを当てた。

完全に手作業で、その状況が夜明けまで続き、睡眠不足で重労働、皆へとへとに疲れていた。

波と風はさらに高まり、船首の衝撃をタイヤでは受け切れなくなった頃、やっと空が白み始めた。

リーフの状況も見える。

うねりと波で真っ白になっていた。


ここから出て行くのは大変だがやるしかないのだ。

船長に出航を促すと承知した。彼も船が置かれた状況は理解していた。

船長と一緒に来たクルー、それに水先案内として自分が乗り込み、アンカーロープを切る段階になって船長は躊躇した。やはり自信がないのだ。

こんなデカイ船を運転したことのない24歳の新入社員に向かって

「お前・・やってくれ」と言い出したのだ。


小学生で櫓を漕ぐ事を覚え、中学高校では動力船を自在に乗り回し、ここでも3トンの船を動かしていたのだが、この船はデカ過ぎる。

スェーデンの高出力のシェーバー社製エンジンが2基ついていて、ラダーの他に操船レバーも4基あった。左右のクラッチとスロットルだ。

やったことないが二つ返事で了解した。

迷っている時間はない、自信がないなら絶対にやらないほうが良い。


自信とは技術力ではなく自分の可能性を信じる事成功するかどうかではなく、脱出する可能性を自分に見出せるかだ

操船技術は船長に負けても、思い切りと可能性ならまだ自分のほうがありそうだ。


5分で操船講習を終えて出航した。

アンカーロープは音を立てて軋み、危険で触れる状況ではなく、合図と共にナタで切られた。

同時に両舷後進、プロペラに巻かないようロープが沈むのを待って左舷前進、右舷後進を同時にかけた。

船尾を沖に向けてデッキまで大波をかぶりながらしばらく後進、それから180度旋回、船首を沖に向けた。


船はその場で360度旋回出来る。

後は掘られたリーフの水路を進むだけだ。

波しぶきを上げ、激しく船底を叩きながら船は水路を進み無事に沖に出た。

岸壁で見送る仲間も含めて全員ほっとした瞬間だ。

そこで船長を交代、元浦港へ向かった。


切石港は東向き、元浦港は南向き、うねりは東から、風は南東からで、元浦港も白波が立ちテトラポットを越えていた。

これでは接岸は無理だ、そのまま風裏の静かな海域に回る事にした。

3人とも睡眠不足で疲れ果てていたのだ。波のない入り江にアンカーを打ち、とにかく休む事にして熟睡した。


この場所は静かだが、沖は風が吹き荒れ、うねりは高まり、波が砕けて海上は真っ白になって来た。

あのまま出航出来なかったら船は木っ端微塵になっていたことだろう。

その日は一日中その場所から動けなかった。


非常食はカップヌードルと缶詰が少々、夜食程度でサバイバルを想定してなかったのだ。

翌日も嵐は治まりそうもなく長期戦になりそうだ。

港にも戻れない、どう食料を確保するかが問題だった。

こんなことなら脱出前に食料を積み込めば良かった。


すぐ沖を見ると海鳥が海に突っ込んでいる。

魚の群れだ、たぶんカツオだろう。

それくらいは何とか走れそうだ。

3人が生きる為の漁労・・波しぶきをあげてクルーザーを迷わずナブラに向けた。