青信号を渡る猫 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

随分昔の話だが、近所に住む知人から「あんたの家の猫、駅前で青信号渡っていたよ」と言われた。「そんなバカな、駅までは1キロ近くある」と言うと、「間違いない、あの模様と面構え、それに方耳が半分ちぎれていたし、二回見かけた」と言う。確かにオス猫で喧嘩ばかりするから耳に戦傷があった。駅前は賑やかだし、そんな場所へわざわざ猫が行くのだろうか。それからしばらくして目撃する事になった。車で信号待ちしていたら、横断歩道の前で十数人と一緒に猫が座って待っていた。「ありゃ!家の猫だ」と思ったら、青信号で一緒に渡り始めたのだ。窓から顔を出して「桃次郎~!」と声をかけた。歩く人は一斉にこちらを振り向いたが、猫は知らん振りしていた。「こりゃ!桃!」ともう一度呼ぶと、今度はこっちをチラっと見たが、知らん振りしてすたすたと横断報道を渡って行った。模様も耳も尻尾も目つきの悪い顔も桃次郎に間違いない。子供の頃から何代も猫を飼ったが、迷い込んできた子猫をメスと間違えて「桃」とつけたのだが、途中で「玉」があるのに気づき、語尾に次郎とつけたのだ。桃次郎があれだけ離れた場所で、しかも社会のルールを守って横断報道を渡るには、考えられる理由は一つしかない。「メス」だ。メスの家に通っているのだ。あいつはその方面には情熱を燃やし、厚かましいくらいの根性と知性が湧いてくるのだ。前科もある。ちょっと前に10日間くらい家に帰って来なかった。ある日同じ町内の奥さんが訪ねてきて「実はお宅の猫が・・」と切り出した。そこの家に居座り、そこのメス猫と一緒にご飯を食べていた。寝る時も一緒で、引き離すと怒るらしいのだ。まるで「ヒモ」ではないか、情けない。「あのバカタレが」と連れ戻し、コッテリと言って聞かせて説教した。猫は繁殖期だけ「猫撫で声」ですり寄り後は知らん振りなのだが、桃次郎は情が深いのだろう。そこの家をシャットアウトされ、また新たなメスを見つけたのかも知れない。おそらくメスを巡って喧嘩ばかりしているのだろう、生傷が絶えなかった。喧嘩に負けないように野人が特訓もしてやった。同じオスとして出来ることはそれくらいだ。後は好きなように生きれば猫としては本望だろう、人が関知するところではない。やがて桃次郎は宿敵との争いに敗れ、その傷が元で世を去った。享年5歳だった。オス猫の寿命の短さは知っていたから別に驚きはしなかった。猫の喧嘩は致命傷を受けるほど激しい。小さい頃から頭に刺さった相手の牙を抜いてやり、薬を塗って治療した事は何度かある。当時獣医は町にはなかった。メス猫は15年生きた記憶がある。中学の時に大人から住み着き、九州の実家を出てからも生き続け、母から連絡があったがそれが15年で、それまで何年生きていたのかはわからない。メスが喧嘩をするのを見たことがないが、子供を守る為には犬にも噛み付き撃退するほど強い。言い寄る嫌いなオスにも爪を立てるのは人間と同じだ。渡り鳥や犬や猫は磁場を感知して方向がわかる。うなぎも鮭も生まれた場所に戻れる。特に猫は電子の意識体をも感知できるほど鋭い感覚を持っている。犬よりも野性の本能があり、昔から「犬は人に、猫は家につく」とも言われる。帰巣本能は犬よりも強いようだ。犬は人の元に帰ろうとするが猫は家だ。そして人間との間合いをとり、うまく付き合って行くがエサの時だけは上手に媚びる。たいしたものだ。それに飼い主よりもメスを大切にするのも見上げたものだ。思い立ったら一直線「猫まっしぐら」だ。オスは死期が近づくと姿を消す。体が動く限り人目につかない「死に場所」を探す。最期を看取ったオスは瀕死の重傷を負いながらも家に帰って来た桃次郎だけだった。