東シナ海流29 錨と共に暗闇の海底へ沈む | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

作戦はこうだ・・

船尾からアンカーを打ち、船尾を岸壁から離すという簡単なことなのだが、問題はアンカーが打てないことだ。

アンカー普通は水深の3倍、ここでは15mで済むが、このシケでは30mだ。

しかし、うねりで船がしゃくられアンカーが外れることも想定して50mは必要だ。

この船すら出せないのに船で打てるはずがない。

それを人間がやる、つまり自分がやるのだ。


アンカー持って50m沖まで泳ぎ、海底の岩に引っ掛けて来ると言ったらハナからバカにされた。

暗闇の荒れた海に飛び込むのも危ないのに、沖からの1m以上の波に逆らい、しかも重いアンカーを担ぎ、直径30ミリのクレモナロープ50mも引っぱりながら泳ぐなんて不可能に決まっていると。


「重い鉄を担いで泳いだら沈むに決まっている、誰が担ぐと言った?」


「じゃ・・どうやって運ぶ?」

と皆が聞く。


「アンカーが浮くだけの浮力を持った数個のブイをつけて引っ張る」

と言うと・・


「なるほど!」と感心したが、一人が・・


「相当な抵抗で、しかも風と波に逆らって人間業ではとてもそんなもの引っ張れない」

と心配する。


予定の場所で一つづつ包丁でブイを切ると、アンカーは沈み始める。

アンカーと共に5mの真っ暗な海底に沈み、残りのブイを切って、手さぐりでアンカーをデカイ岩にしっかりと引っ掛けるのだ。


とにかくブイを数個準備させた。

ロープは船にあったが、アンカーは船に積んでいた非力なものは使えない。

港にあった60キロの重いアンカーを用意した。

アンカーにブイが6個結び付けられ準備完了、裸で海に飛び込んだ。


ブイを持ち、ロープを引きずりながら波に向かって泳ぎ始めたが最初の10mは楽だったがそれからが進まない。

クレモナロープは水に沈むので重くて抵抗が大きすぎるのだ。

休むと波と風で陸へ押し戻されてしまう。

ゼ~ゼ~言いながら50m進むのに20分かかった。

呼吸を整え、ブイを切るとアンカーは沈み始めた。


しっかりとアンカーに掴まったまま共に海底へ。サーチライトは届かず暗闇だ。

手足で海底をまさぐりながら適当な岩を物色、こん身の力を込めてアンカーを固定して最後のブイを切り捨てた。

これを一気にやらないと、一度浮上したらアンカーは見つからない。

息切れで体力も消耗したまま潜り、力を出し切ったので、呼吸を止めるのも限界だった。


浮上して気が遠くなり、しばらく仰向けに波に漂っていた。

陸からは心配して盛んに呼ぶ声が聞こえていたが体が動かないのだ。

足は硬直し、握力もなかった。

声は絶叫に変わっていたが答えられなくて漂っていた。


やがて陸へ向かってゆっくり泳ぎ始めた。

サーチライトで発見出来たのか歓声が上がった。

手を挙げてロープを引くように合図するとロープは張られた。

これで当分は大丈夫だがこれ以上時化たら船はもたない。

夜が明け始めて視界が回復すればアンカーロープを切って一気に水路から脱出するしか方法はない。


岸は波が打ち寄せ上がれそうもない。船も危ないがまだマシだ。

何とか後部タラップから這い上がり、船から陸へ飛び移った。

皆大喜びで超人扱いされ、


「信じられんよ、エラかったやろうなあ~」のねぎらいに対する返事は・・

「ん~!たいしたことない、思ったよりも楽じゃあ~」だった。


死ぬ思いをしながらも、人間、多少のミエとプライドとジョークは必要なのだ。


嵐との対峙は始まったばかりでしばらく困難は続く、野生の六感がそう感じ取っていた。

どんなことをしてもジイさんの大切な船は守らなければならない。それが自分の仕事だ。

それに1億数千万の新艇のブリッジに藻を生やすのも心が痛む。


この船は国産一号の海の女王なのだ。