大地の仕組み | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

人間の文明は進化し、自由な生き方が出来る時代になった。

人は夢を持ちそれぞれの道を歩く。

これほど豊かで自由な時代はここ数十年のことだ。

しかし自由と引き換えに余計なものも背負い込んでしまった。環境、健康問題だ。

数十年前にはなかった病気に悩まされ、地球温暖化の危機にも頭を抱えている。

本当に文明が進化したのならこのような問題は起きないはずだ。

文明は「片手落ち」だったとも言えるのではないだろうか。

あちらを立てればこちらが立たずと言うようなものだが、これらは深く突き詰めようとした専門家の分業制による「弊害」だと思っている。

全体を見渡す指揮者不在のオーケストラのようなものだ。

縦割り行政と言う言葉があるように、政治家、役人の縄張り意識も拍車をかけている。

権威と言う欲に固執し、反するものを排除する狭い了見がこの事態を招いたようだ。

人は生き物である事に変わりなく、その基本的な本質は地球上の動物と何ら変わりない。

頭の中では多様な事を考えても、その肉体は地球の一部として生きている。

生きるのに必要なものは重要度の順に、空気、水、食べ物だ。

今や空気や水も汚染され食の安全も問題になっている。

工業、農業、商業、輸送、生活など全てが環境汚染の原因だが、健康は直接口に入れる食が大きな要因になっている。

ファーストフードなどの加工食品、保存料、添加物、残留農薬などに注目が集まってはいるが、人類は何万年も他の生き物と同じように「自然界」の産物で生きてきたのだ。

身体の構造も遺伝子もそのようになっているしわずか数十年でそれが変わるはずもない。

もっと生き物の本質に目を向けて再考すべきではないだろうか。

今の医学、薬学、栄養学が正しいのなら、健康に何の問題も起きないはずなのだが相変わらず迷走している。

問題が起きてからあたふたと修正するのは医学も農業も同じだ。自然界の道理に合っていればそのようなことは生じないはず。

野人の視点から見れば、毎日必ず口にするものは「穀物」「野菜」、次に自然界の「海藻」「魚介」、次に「肉」であり、これに加工食品が随時加わる。

消去法で行けば海のものはほぼ自然の産物。加工食品や農薬にばかり目は向いているが、毎日大量に体内に入れる「植物」の「捉え方」に問題がある。

山菜はともかく、今の野菜は加工食品に限りなく近くなっている。

農業が始まって以来、昭和初期までは人糞や家畜の糞、草や残飯などが肥料に使われていた。

有機という意味を深く知る人はどれくらいいるだろうか。今まで出会った農業関係者にも見当たらず、本で読んだだけの自分に必要な部分知識に過ぎない。

有機だけでなく、植物や動物の本質、大地の仕組みに至ってはほとんどいなかった。

農業とはさほど関係がないと思っているからだろう。

農学者にも同じ事が言える。

地学や自然科学、海洋学、とは線引きされている。

大地を相手にして大地から糧を得るならそれらを知ることは当たり前の事だ。

海を相手にするのも同じことが言える。

「自分」にとって必要な魚介や船や潜水の技術だけ知れば済むものでもない。

「大地の仕組み」のコーナーでは酸素の誕生から土の誕生まで数回に分けて、あまり専門用語を使わず誰にでもわかりやすく紹介して行く。

「土」とは本来どのようなものなのかを知って欲しい。

そうすれば「植物」とは、「野菜」とは何かが見えてくるはずだ。