柿の甘さがお菓子の原点 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

売られている果物は外来のものがほとんどだ。

その中で国産は柿くらいしかない。

柿は外国へ行ってもカキだ。柿は古代から日本の山の味覚だったのだ。

そのほとんどが渋柿だったから、甘く食べられるフレッシュは熟した秋しかなかったが、干し柿にすることで年中甘さを楽しめた。

今のサイズよりはるかに小さいが、それでも柿は他の木の実と比べては大きく、大量に実った。

柿は日本人のDNAに刻み込まれた「甘さの原点」だ。

やがて年間を通して甘さを楽しむ「お菓子」が出来たが、それは柿の「甘さ」を基準にしたものだった。

だから、大昔からある「和菓子」は柿の甘さに似ている。

やがて日本人は茶の道に風情を求め、お菓子は欠かせないものになった。

茶の道は詳しくはわからないが、茶道具に「柿の木」が使われるのはそんな理由があるようだ。

昔話で「柿右衛門」と言う男が陶器に鮮やかな柿の色を出そうと苦心を重ねた話があったが、それくらい柿は日本人に親しまれていた。

最近は大きくて立派な、しかも種無し柿まで溢れている。

食べやすくて美味しいのだが、野人が一番好きな柿はやはり野山の何処にでもある「小ぶりの渋柿」だ。

硬いうちに持ち帰って干し柿にしても良いのだが、小さくて面倒だ。

完全に溶けるくらい熟した時しか食べられないが、素朴な甘さに「甘さを追い求めた古代のロマン」を感じてしまう。

今では農村の何処にでも柿の木は見かけるが、カラスも食べきれないくらいの柿が鈴なりで放置されている。

売られるのは丹精込めて作った立派な柿だけだ。

今は甘いお菓子類も果物も飽食の時代。それらの柿は見向きもされていない。

干し柿にすれば十分に美味しく食べられる。

昔はそうやって農家も作っていた。

だから柿の大木が農村の何処にでもあるのだ。

売られている干し柿が非常に高価なのは販売用の生柿を使うからだ。

だからますます干し柿が遠くなってしまう。

農村の柿の木を見る度にもったいないと思うのは自分だけではないだろう。

色々なお菓子を楽しむのもいいが、もっと干し柿を活用しても良いのではなかろうか。

そのまま食べるだけでなく、色んな料理やデザートにも使えるはずだ。

柿は日本の自然が創りあげた「丁度良い加減」の甘さの頂点で、干し柿は日本人が生み出した最高の「ドライフルーツ」なのだから。