最高のアジのすり身 | 野人エッセイす

野人エッセイす

森羅万象から見つめた食の本質とは

蒲鉾を買って食べたが、表示を見ると、魚肉(たら)の他、調味料、甘味料、着色料、保存料と、色々なものが入っている。わさび醤油で食べるとそれなりには旨いのだが物足りない。原料が魚でも魚を食べた気がしないのだ。今は蒲鉾、竹輪、はんぺんなどは「練り物」と言う独立した食品で、何の魚かはあまり重要視されていない。しかも安い。十数年前、反骨精神からムキになってすり鉢で魚をこね回した。子供の頃に九州で食べていたアジのすり身が無性に食べたくなったからだ。さつま揚げも、いわしのつみれも、小田原の高級蒲鉾も、胃袋を説得出来ず。いくら食べ比べても「アジのすり身」の上を行くものはなかった。とれ立てのゴリゴリした小アジを三枚におろし、皮を剥ぎ、卵白と塩と砂糖少々を入れながら粘るまで根気よくこねる。一晩冷蔵庫で寝かせ、蒸して出来上がりだ。そのままで冷凍保存する。そのまま食べたり、油で揚げたり煮付けたり鍋に入れたりもする。ギチギチする歯ごたえとアジの旨みが引き出されたすり身は「旨い!」としか言いようがない。アジの鮮度で味が左右されるが、他の練り物にはこれほどのこだわりは感じられない。

次にこね回したものは釣ってきたエソで、最高のかまぼこの原料と言われている材料だ。そのまま食べるには小骨が多くて人気がなく、釣り人もがっかりして捨ててしまう。ところが、蒲鉾にするとタイもヒラメも敵わない逸品に変身する。実際やって見るとよくわかる。もっとも最初はタイヤみたいに硬くてとても食えたものではなかった。

昔は蒲鉾も竹輪もその土地で捕れた魚を早朝に仕上げて朝早く店頭に並べていた記憶がある。だから蒲鉾工場の大半は漁港などの近くにあるはずだ。今はその海で揚がる魚を使う事はほとんどない。設備や従業員のことを考えると、いつどれだけ揚がるかわからない魚を当てには出来ないのだ。しかも価格は漁獲量で大きく変動する。だから時価などという蒲鉾はない。最初からサメやタラなどがすり身の形で入ってきてそれを製品にしないと生産が追いつかない。原料も輸入物が多く、それで低価格が維持出来ている。現在のスーパー中心の食生活ではやむを得ない事かも知れないが、魚の練り物は立派な日本の食文化だ。地元の魚をふんだんに使った食文化を復活させてもらいたい。現在の流通は企業だけでなく消費者の責任でもある。このままだといずれ漁業では食べて行けなくなるだろう。安い輸入物に頼り、地場産業が衰退し、その輸入までもが出来なくなった時、子孫に残せるものがまた一つ消えることになる