明治生まれの祖父は建設屋の親分だったが、母いわく本当の意味での「侠客」だった。
祖父は人望も厚く、いつも争いを鎮め、憎しみが広がる事はなかった。
小学校の時の祖父は優しく、海へ乗り出す「夢」を持たせてくれた。
釣りを教えてくれて、ドジョウも七輪で焼いて食べさせてくれた。
網目からドジョウが落ちて灰まみれになると、カルシウムで骨が丈夫になるからと灰を払ってそのまま食べさせてくれた。
海に出る為の木造船を作ってくれる約束だったが小学生の時に世を去った。
子供の自分に祖父が何度も言い聞かせてくれたのは「男は滅多に怒るものではない、常に腹にドスを呑んで生きよ」だった、タコ・・ではない。
「抜くときは死ぬ覚悟がある時だ、生涯、抜かぬに越したことはない」そう言っていつも笑っていた。
それと、「約束は絶対破るな、弱い女子供は必ず守ってやれ、たとえ自分の命を落とすことになっても」。
他にも色々言っていたがそれくらいしか覚えていない。
何しろ小学校の低学年で、お化けも怖いのにそんな覚悟が出来るわけがないではないか。
高校生くらいから東映の仁侠映画で高倉健さんや高橋秀樹さんが祖父に見えてきて、気がついたら祖父の意のままになっていたようだ。
そしてそのような生き方をしてきた。
やはり祖父の「暗示」の力だろう。
また母も祖父の言葉を何度も繰り返した。
親子そろって「武士道」の教育をほどこしてくれたのだ。
もう何年も前の話だが、自分に関わった一人の女性が卑劣な暴力団関係者の毒牙にかかり、自殺寸前に追い込まれた。
その話を聞いて会社に辞表を出した。
それまでも小さな争いは何度かあったがあくまでもボディーガードと言う職務上のことでたいしたことはなかった。
翌日、本社からわざわざ社長が来て二人だけで話をした。
理由を言え、言わないで争いになったが根負けして話すと、「バカもん!そんなことは警察の仕事だ。一生を棒に振る気か!場合によっては刑務所行きだ」。
「それにお前はその娘と結婚したいほど好きなのか」と言うから、「そうじゃない、生き方の問題で、自分に少しでも関わった人が男であろうが老婆であろうが、絶望して泣きついてきたらどんなことをしても助ける」と言うと・・
「お前は月光仮面か!せっかくここまで来たのに」と言う。
「たかがヤマハじゃないですか・・」そう言うとため息をついて・・
「わかった、何も言わん、本物の弁護士をつけてやるから思い切りやれ!」そう言って許してくれた。
最後に、「どうやるのか俺だけに教えろ」と言うから仕方なく作戦を話すと、「本当にお前は抜け目がないのう・・」と感心していた。
ここで結果報告は出来ないが、全て終わり、社長の元へお別れの挨拶へ行くと、社長は辞表を受理してはいなかった。
「そんなもん知らん」ととぼけていた。
食えないオッサンだ。
もうこの世にはいないが、生涯でただ一人、心から頭を下げた男だった。
父の記憶はなく、いつも社長に祖父と父が重なって見えていた。
言い忘れたが、祖父の言葉で一番印象に残っていたのは「武士道」ではなく、「マムシは食っても旨いが青大将は食うなよ、あれは・・マズい・・」だった。
祖父の教えはしっかりと生きている。
旨いものこそ人としての生き甲斐なのだ。