旧年中に前回の続きを記しておきます。
またまた引っ張ってしまいました。時間がないというのもあるんですが。
浅草駅へ引き返してきましたが、
スカイツリーとともに見える右のほうのマキフンみたいなヤツはなんなんでしょうかね?

![]()
ま、見慣れた人にとってはなんてことない風景なのでしょうが。。
異様な風景に圧倒されつつ吉祥寺へ向かいました。
吉祥寺で人に会う約束をしていたのですが、その前に一度行ってみたいと思っていた預言カフェへ。

![]()
ここはキリスト教の教会でチャネリング…なのかな、イエスキリストの言葉を下ろしてくれるらしいです。
併設のレストランで飲食をすれば言葉を授けていただけます。僕はマテ茶を頼みました。
以下、自分への御言葉。
「主は言われます、愛する息子よ。
私はあなたを愛しています、と主は言われます。
私は本当にあなたが愛していると思っている、そういう形よりももっと愛してるんですよ、と主は言われます。ですから、息子よ、どうか安心して膝に乗っていいんですよ、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたのその努力というか、その、イメージがあったんですけども、なにかこう、、鋳物?なにかこう、、鉄をたたいてつくるというイメージがあなたを見てすごく神様に与えられたんですね。
主は言われます、愛する息子よ、あなたのその地道な作業をとても喜んでいますよ、と主は言われます。この形が、ただの固まりであったものをなにかこう、剣(つるぎ)に変えていくような、まったく違うものにに変えていくような、そういうものをあなたはしていますと主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたのそういう賜物(たまもの)、そういうものをとても喜んでいますと主は言われます。それは本当にとても地味で、かつ、でも繊細、そのものをつくらなければいけないという責任感、そして使い勝手が良くなくてはいけない、そういうことを色々創造して、まったく想像のつかないものからそれを創造してつくっていくというその技術、あなたは小さいころからそういう細かい作業というのがとても好きで、また努力を惜しまないものでしたね、と主は言われます。
愛する息子よ、私はその部分を私の賜物としてあなたに与えましたよ、と主は言われます。そしてそれが本当にあまりにも時間がかかったり、本当になにか、地味なので、なにかこう、本当にこんなことしてていいのだろうかと思うこともあるかもしれませんね、と主は言われます。愛する息子よ、いいんですよ、と主は言われます。私はあなたを喜んでいますよ、と主は言われます。それは本当に、誰もができることではないんですよ、と主は言われます。賜物というのはとても使わなくてはいけないというところがあります、と主は言われます。
聖書の中に、ある主人が、自分の部下に賜物を、、というかタラント(当時の通貨)を預けるという記事があるんですけど知っていますか?
ある者には7、ある者には5、ある者には3、で、一番多くの賜物をあずかった人はそれで商売をするんですね、預かったお金で。
そうすると、5、次の段階の小さな段階のお金を預かった人も商売をするんです。
そして、3、一番数の少ないお金の人は、それを土に埋めるんです。
それで結局、親分が帰ってきて、賜物が増えているのを見た時に喜ぶんですね。(7預けた人に)さらに多くのものを預けよう、って言うんです。
そして、次の人(5預けた人)にも増やしていたんで、あなたにももっと預けよう、と。
で、隠してしまった人(3預けた人)、、は、あなたのことを恐れていて、あなたはこの賜物を減らしてしまったらきっと私のことを処分してしまうかもしれない、だからちゃんとなくならないように隠していました、って言うんですよ。そうすると主人は、「なんで?それを貯金しておけば良かったのに。そうすれば利息でもついたでしょう?」といって、あなたにはもう預けない、ということになるんですね。
主は言われます、愛する息子よ、あなたには多く預けましたと主は言われます。だからこそあなたはその賜物をどんどん増やすことができますよと主は言われます。そしてそれは、目に見えた、なんかこう、金額とか、そういうものではないかもしれない、でもそれは本当に影響を与えているんです、と主は言われます。」
というわけで続きは来年へ。
これといった目的もなく綴っているブログですが、読んでくれる人がいないと張り合いがないので、読んでくれている方々、新年もよろしくお願いします。
またまた引っ張ってしまいました。時間がないというのもあるんですが。
浅草駅へ引き返してきましたが、
スカイツリーとともに見える右のほうのマキフンみたいなヤツはなんなんでしょうかね?

ま、見慣れた人にとってはなんてことない風景なのでしょうが。。
異様な風景に圧倒されつつ吉祥寺へ向かいました。
吉祥寺で人に会う約束をしていたのですが、その前に一度行ってみたいと思っていた預言カフェへ。

ここはキリスト教の教会でチャネリング…なのかな、イエスキリストの言葉を下ろしてくれるらしいです。
併設のレストランで飲食をすれば言葉を授けていただけます。僕はマテ茶を頼みました。
以下、自分への御言葉。
「主は言われます、愛する息子よ。
私はあなたを愛しています、と主は言われます。
私は本当にあなたが愛していると思っている、そういう形よりももっと愛してるんですよ、と主は言われます。ですから、息子よ、どうか安心して膝に乗っていいんですよ、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたのその努力というか、その、イメージがあったんですけども、なにかこう、、鋳物?なにかこう、、鉄をたたいてつくるというイメージがあなたを見てすごく神様に与えられたんですね。
主は言われます、愛する息子よ、あなたのその地道な作業をとても喜んでいますよ、と主は言われます。この形が、ただの固まりであったものをなにかこう、剣(つるぎ)に変えていくような、まったく違うものにに変えていくような、そういうものをあなたはしていますと主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたのそういう賜物(たまもの)、そういうものをとても喜んでいますと主は言われます。それは本当にとても地味で、かつ、でも繊細、そのものをつくらなければいけないという責任感、そして使い勝手が良くなくてはいけない、そういうことを色々創造して、まったく想像のつかないものからそれを創造してつくっていくというその技術、あなたは小さいころからそういう細かい作業というのがとても好きで、また努力を惜しまないものでしたね、と主は言われます。
愛する息子よ、私はその部分を私の賜物としてあなたに与えましたよ、と主は言われます。そしてそれが本当にあまりにも時間がかかったり、本当になにか、地味なので、なにかこう、本当にこんなことしてていいのだろうかと思うこともあるかもしれませんね、と主は言われます。愛する息子よ、いいんですよ、と主は言われます。私はあなたを喜んでいますよ、と主は言われます。それは本当に、誰もができることではないんですよ、と主は言われます。賜物というのはとても使わなくてはいけないというところがあります、と主は言われます。
聖書の中に、ある主人が、自分の部下に賜物を、、というかタラント(当時の通貨)を預けるという記事があるんですけど知っていますか?
ある者には7、ある者には5、ある者には3、で、一番多くの賜物をあずかった人はそれで商売をするんですね、預かったお金で。
そうすると、5、次の段階の小さな段階のお金を預かった人も商売をするんです。
そして、3、一番数の少ないお金の人は、それを土に埋めるんです。
それで結局、親分が帰ってきて、賜物が増えているのを見た時に喜ぶんですね。(7預けた人に)さらに多くのものを預けよう、って言うんです。
そして、次の人(5預けた人)にも増やしていたんで、あなたにももっと預けよう、と。
で、隠してしまった人(3預けた人)、、は、あなたのことを恐れていて、あなたはこの賜物を減らしてしまったらきっと私のことを処分してしまうかもしれない、だからちゃんとなくならないように隠していました、って言うんですよ。そうすると主人は、「なんで?それを貯金しておけば良かったのに。そうすれば利息でもついたでしょう?」といって、あなたにはもう預けない、ということになるんですね。
主は言われます、愛する息子よ、あなたには多く預けましたと主は言われます。だからこそあなたはその賜物をどんどん増やすことができますよと主は言われます。そしてそれは、目に見えた、なんかこう、金額とか、そういうものではないかもしれない、でもそれは本当に影響を与えているんです、と主は言われます。」
というわけで続きは来年へ。
これといった目的もなく綴っているブログですが、読んでくれる人がいないと張り合いがないので、読んでくれている方々、新年もよろしくお願いします。