「人間は考える葦である」というけれども、
考えないでも人間でいられるんだなぁ、と思いました。
四六時中考えている人間って、意識の焦点が意識的にせよ無意識的にせよ、頭部にあてられているんだと思うんですけど、
意識の焦点を身体の正中部分の頭部以外に置くことによっても存在できるんだなぁ、と思いました。
つまり、思考をしないでも意識のありかを他の部分に置くことによって日常生活ができる。
このことへの着想は、高岡英夫さんの身体意識の概念がずいぶん助けになりました。
ユング心理学者の故河合隼雄さんが、「欧米人はビジョンを保つ能力が高く、対して日本人は腹で考えるんだ」みたいなことを言ってて、つまりそれは意識の焦点が置かれている部分が頭部よりも腹部に置かれている割合が高いということだと思います。
ホリエモンは腹芸ができないけど、三木谷さんはできる。そのことが現在でもハラ(腹)の意識を内包する日本社会での両者の明暗を分けたのかも。(あくまで一因。)
頭部よりも腹への意識の比重が多いのは、日本のみならず東アジア全般に言える(言えた)んじゃないかと思います。
例外は中国の客家(ハッカ)の人たちで、司馬遼太郎が『台湾紀行』で「客家は現実を客観視する。意識の視座が宙空にある。漢民族的現実主義から離れ、自分の視点を頑固に守る」みたいなことを言っていましたが、宙空にあるということはそのぶん頭部への意識も濃いと思うんですが、そのためか鄧小平、李登輝、こないだ亡くなったリー・クアンユーなど優秀な人が多い。
日中戦争でも中国共産党軍の将帥クラスの人には客家人が多かったみたいです。
話を戻しますが、
古来、日本では(おそらく東アジアでも)、武士階級とかでは行住坐臥おしなべて丹田に意識をおいて行動するを旨とする、みたいなことを何かで読んだんですが、
明治維新以降、知的作業に費やす割合が多くなり、腹よりも頭部への意識の焦点の移行がどんどん進んでいったんだと思います。
そのような無意識レベルでの意識の在り方の変遷も、高岡英夫さん(に限らず似たようなこと言ってる人はたくさんいると思うが)の提唱概念によって、客観的にとらえることができるし、それによって救われる人もいるんじゃないかと思います。
ハラをなくした日本人/高岡 英夫

¥1,050
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考えないでも人間でいられるんだなぁ、と思いました。
四六時中考えている人間って、意識の焦点が意識的にせよ無意識的にせよ、頭部にあてられているんだと思うんですけど、
意識の焦点を身体の正中部分の頭部以外に置くことによっても存在できるんだなぁ、と思いました。
つまり、思考をしないでも意識のありかを他の部分に置くことによって日常生活ができる。
このことへの着想は、高岡英夫さんの身体意識の概念がずいぶん助けになりました。
ユング心理学者の故河合隼雄さんが、「欧米人はビジョンを保つ能力が高く、対して日本人は腹で考えるんだ」みたいなことを言ってて、つまりそれは意識の焦点が置かれている部分が頭部よりも腹部に置かれている割合が高いということだと思います。
ホリエモンは腹芸ができないけど、三木谷さんはできる。そのことが現在でもハラ(腹)の意識を内包する日本社会での両者の明暗を分けたのかも。(あくまで一因。)
頭部よりも腹への意識の比重が多いのは、日本のみならず東アジア全般に言える(言えた)んじゃないかと思います。
例外は中国の客家(ハッカ)の人たちで、司馬遼太郎が『台湾紀行』で「客家は現実を客観視する。意識の視座が宙空にある。漢民族的現実主義から離れ、自分の視点を頑固に守る」みたいなことを言っていましたが、宙空にあるということはそのぶん頭部への意識も濃いと思うんですが、そのためか鄧小平、李登輝、こないだ亡くなったリー・クアンユーなど優秀な人が多い。
日中戦争でも中国共産党軍の将帥クラスの人には客家人が多かったみたいです。
話を戻しますが、
古来、日本では(おそらく東アジアでも)、武士階級とかでは行住坐臥おしなべて丹田に意識をおいて行動するを旨とする、みたいなことを何かで読んだんですが、
明治維新以降、知的作業に費やす割合が多くなり、腹よりも頭部への意識の焦点の移行がどんどん進んでいったんだと思います。
そのような無意識レベルでの意識の在り方の変遷も、高岡英夫さん(に限らず似たようなこと言ってる人はたくさんいると思うが)の提唱概念によって、客観的にとらえることができるし、それによって救われる人もいるんじゃないかと思います。
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前回記事の預言の続きです。
「あなたのその、地道な作業だとかそういうものが本当に残っていく、それは誰か世代に残していかないといけないというか、弟子が必要というか、なにか教えていかなくてはいけないというか、そういう。。ですから、愛する息子よ、喜んでください、と、主は言われます。私はあなたに対してよくやったとしか言いようがないですよ、と主は言われます。
愛する息子よ、そして本当にあなたは、こう、地道な作業をしてきて、しかもそれが昔から変わらない手法でやってきて、そしてそれは本当に次の世代にもつなげていかなくてはいけない、効率があまり良くない、それでも、愛する息子よ、あなたに新しい知恵と、力をいま与えましょうと主は言われます。
それは本当にあなたが信じて、本当に忘れないで、与えられると信じるならば、そして求めるならば私は与えていきますよ、と主は言われます。そして本当に、効率を良くしたいと思うならば、効率良くしましょうと言われます。それに必要な技法も与えますし、あなたに知恵と、その為の経済も与えていきますよ、人手が必要だと、そういうならば、私はあなたに人を送りますと主は言われます。そしてもっとその技術を広めたいというならば、私はそれを与えますよ、と主は言われます。
愛する息子よ、でもこれは交換条件があるんです、と主は言われます。あなたが求めるならば与えるんです、と主は言われます。私は本当にあなたに対して、良いものだけを与えたい、聖書の中にもあるんですけども、魚を欲しがっている子供に対して蛇を与える親はいないし、パンを欲しがっている子供に対して石を与える親はいない、と聖書にありますね、と主は言われます。その通り、私は良い親ですから、それ以上のものを与えたいんです。それ以上にまさるものを与えたいんです、と主は言われます。でも本当に私は、礼儀正しく、愛に満ちていて、不作法はしません、と主は言われます。あなたの求めに応じて与えたいんです、と主は言われます。そういう関係があります、と主は言われます。
愛する息子よ、あなたのドアを開けてください、と主は言われます。さらに広く開けてくださいと主は言われます。そして私はあなたと語らって、あなたの言葉を聞きたいです。直接聞きたいです、と主は言われます。それはホント、どんな時でもいいですよ、と主は言われます。たとえば、あなたがお風呂に入っている時、なにか電車に乗っている時、ふと、あぁ、なんかお父さん(注:父なる神、イエスキリストのこと)に話したいな、と思う時があるんですね、そういう時に語ってくださいね、と主は言われます。そういう時にあなたが語ったことを私は絶対に忘れないですから、必要な時に与えますよ、と主は言われます。しるしが必要ならばしるしも与えていきますよ、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたをたてあげた、これからもたてあげていく、終わりがないと思ってくださいと、主は言われます。でも私の力によってあなたが動くならば、あなたは疲れることを知りません、と主は言われます。そして休み場も与えますよ、と主は言われます。あなたの荷物が重いならば私の荷物と交換しましょうと、主は言われます。私の荷物は負いやすくて軽いと聖書にありますから、ですからあなたは疲れないです、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたを祝福します。そしてあなたの家族、あなたの世代、さらに祝福していきますよ、と主は言われます。」
なるほどねぇ~と思わせる内容です。後でこの方に具体的なことがわかるんですか?と聞いてみましたが、そうではなくイメージとして浮かんでくるそうで、なので、プライバシーも保たれます。
聞き手を勇気づけてくれる預言でした。
さて、さる方のもとへ行く前にインド料理店「シタル」で腹を満たしてから、約束時間に訪ねました。
この方とは、もう8年ぶりだかくらいに会うのですが、その間ちょっといざこざがありまして会うことかなわず、ようやくこの日の会合と相成ったのです。
その件で、いくぶん迷惑をかけましたのでそのお詫びの気持ちとして、
事前に大阪梅田で菓子折りを買っていきました。
せっかくだから大阪でしか売っていないものをと思って、阪急百貨店のインフォメーションで梅田阪急にしかないお店を教えてもらって
http://www.bretonne-bis.com/concept/index.html
今の時期しかない季節ものを買っていきました。
気に入ってくれていたらいいんですが。。
「あなたのその、地道な作業だとかそういうものが本当に残っていく、それは誰か世代に残していかないといけないというか、弟子が必要というか、なにか教えていかなくてはいけないというか、そういう。。ですから、愛する息子よ、喜んでください、と、主は言われます。私はあなたに対してよくやったとしか言いようがないですよ、と主は言われます。
愛する息子よ、そして本当にあなたは、こう、地道な作業をしてきて、しかもそれが昔から変わらない手法でやってきて、そしてそれは本当に次の世代にもつなげていかなくてはいけない、効率があまり良くない、それでも、愛する息子よ、あなたに新しい知恵と、力をいま与えましょうと主は言われます。
それは本当にあなたが信じて、本当に忘れないで、与えられると信じるならば、そして求めるならば私は与えていきますよ、と主は言われます。そして本当に、効率を良くしたいと思うならば、効率良くしましょうと言われます。それに必要な技法も与えますし、あなたに知恵と、その為の経済も与えていきますよ、人手が必要だと、そういうならば、私はあなたに人を送りますと主は言われます。そしてもっとその技術を広めたいというならば、私はそれを与えますよ、と主は言われます。
愛する息子よ、でもこれは交換条件があるんです、と主は言われます。あなたが求めるならば与えるんです、と主は言われます。私は本当にあなたに対して、良いものだけを与えたい、聖書の中にもあるんですけども、魚を欲しがっている子供に対して蛇を与える親はいないし、パンを欲しがっている子供に対して石を与える親はいない、と聖書にありますね、と主は言われます。その通り、私は良い親ですから、それ以上のものを与えたいんです。それ以上にまさるものを与えたいんです、と主は言われます。でも本当に私は、礼儀正しく、愛に満ちていて、不作法はしません、と主は言われます。あなたの求めに応じて与えたいんです、と主は言われます。そういう関係があります、と主は言われます。
愛する息子よ、あなたのドアを開けてください、と主は言われます。さらに広く開けてくださいと主は言われます。そして私はあなたと語らって、あなたの言葉を聞きたいです。直接聞きたいです、と主は言われます。それはホント、どんな時でもいいですよ、と主は言われます。たとえば、あなたがお風呂に入っている時、なにか電車に乗っている時、ふと、あぁ、なんかお父さん(注:父なる神、イエスキリストのこと)に話したいな、と思う時があるんですね、そういう時に語ってくださいね、と主は言われます。そういう時にあなたが語ったことを私は絶対に忘れないですから、必要な時に与えますよ、と主は言われます。しるしが必要ならばしるしも与えていきますよ、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたをたてあげた、これからもたてあげていく、終わりがないと思ってくださいと、主は言われます。でも私の力によってあなたが動くならば、あなたは疲れることを知りません、と主は言われます。そして休み場も与えますよ、と主は言われます。あなたの荷物が重いならば私の荷物と交換しましょうと、主は言われます。私の荷物は負いやすくて軽いと聖書にありますから、ですからあなたは疲れないです、と主は言われます。
愛する息子よ、私はあなたを祝福します。そしてあなたの家族、あなたの世代、さらに祝福していきますよ、と主は言われます。」
なるほどねぇ~と思わせる内容です。後でこの方に具体的なことがわかるんですか?と聞いてみましたが、そうではなくイメージとして浮かんでくるそうで、なので、プライバシーも保たれます。
聞き手を勇気づけてくれる預言でした。
さて、さる方のもとへ行く前にインド料理店「シタル」で腹を満たしてから、約束時間に訪ねました。
この方とは、もう8年ぶりだかくらいに会うのですが、その間ちょっといざこざがありまして会うことかなわず、ようやくこの日の会合と相成ったのです。
その件で、いくぶん迷惑をかけましたのでそのお詫びの気持ちとして、
事前に大阪梅田で菓子折りを買っていきました。
せっかくだから大阪でしか売っていないものをと思って、阪急百貨店のインフォメーションで梅田阪急にしかないお店を教えてもらって
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今の時期しかない季節ものを買っていきました。
気に入ってくれていたらいいんですが。。