公暁のお墓 2 | エメラルド

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好きなことや日々の雑感を書き綴ってます

シリーズ化するつもりじゃないけど、引き続き考えてしまったので、2として書きます。

 

鎌倉時代、武家じゃない人たちは、どんなふうに葬られていたのだろうか?

例えば京都の化野とか。

鎌倉も、谷とか切通とか死体を置いてくところがあったんでしょ。

風葬みたいなもんだったのかな。

 

実朝は、首以外は火葬されて、骨は高野山に送られたとか。

鎌倉の実朝の墓と言われているものは、実は江戸時代につくられた伝承だとか。

(水戸の御老公が言い出したらしい・・・)

まぁ、首塚と言われるものも含めて、墓というより供養塔なんだろうね。

 

かの和田合戦のとき、和田一族の首は由比ケ浜にさらされた。

後年、その近辺からたくさんの人骨が出てきて。

それを集めて和田塚がつくられたんじゃないっけ?

武士であっても、謀反人とされてしまえばそんなもの。

塚があるだけいいよね。

 

公暁の首や遺体があったとしても。

多分、罪人として、一般人の遺体として、その辺(海岸とか切り通しとか)に放置されたんじゃないかなぁ。

生き物に食べられ、風に吹かれ、やがては自然の一部となっていく。

それこそ、成仏ってやつなのかしら。

 

公暁が800年もさまよい苦しんでるとは思いたくない。

でも、供養塔ぐらいあると思ってたのに、それすらないのね。

公暁が身を潜めた大銀杏も倒れてしまった。

思いを馳せる後世の者として、偲ぶモニュメントや祈りの場がほしいなぁとは思う。

 

公暁を弔う動きって何かないのかなぁ。

鎌倉殿放送をきっかけとして、何かあってもいいのに。

供養塔建立とか、慰霊祭とか。

鎌倉の神社仏閣で、何かそんなプロジェクトは出てこないものかしら。

なーんて、遠く奥州の地から、勝手にそんな願いを鎌倉に飛ばしてます。