あるじさまを探して・蔵王町歴史対談編 5 | エメラルド

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好きなことや日々の雑感を書き綴ってます

真田検定まで1週間を切ってしまった。

3級ぐらい、満点とりたいもんだなぁ・・・

などと野望は抱えつつ、試験勉強にもなる歴史対談。

6月9日の対談の続き。


前回までのあらすじ。

真っ赤な嘘でもおもしろい、真田家の来歴。



なんか、このメモ全部書いてたら、膨大な量になっちゃうんだけど・・・

そんなことしてたら、あっという間に20日になっちゃうよね。

ちょっと端折って、大まかなとこだけ書こうかな。


ともかく、殴り書きと記憶の産物なので、正確ではありません。

こんな感じのこと言ってたかもしれない程度にお読みください。


真田家中興の祖、幸隆公。

武田、諏訪、村上に信州を追われた幸隆公。

上州で羽田さんを頼ります。

羽田家がお嫁さんの実家だから(?)

(幸隆公のお嫁さん何人いるの?)

やがて、自分から売り込んだのか山本勘助の推奨か、武田家からお呼びがかかります。

そして、信玄公と組んで本領真田郷を取り戻すのでした。


真田本城に上ると、眼下に広がるのは小県のまち。

ここがみんな欲しい。

今も欲しい。


信玄公に絡んで、諏訪御寮人の話。

勝頼公の母は絶世の美女らしい。

絶世の美女は、大抵労咳。

信玄公の死因も、肺結核とかいろんな説がある。


幸隆公は、信玄さんが大好き。

信玄公の戦は孫子の兵法。

なるべく殺さないで、調略重視。

それは、幸隆公、昌幸公へと受け継がれる。


話し合いは信頼がないとできない。

義理堅くやった。

調略が得意な一方で、攻め弾正とも呼ばれている。


外様なのに、信玄公に信頼されている。

幸隆公は、信玄公の死の翌年に後を追うように亡くなっている。

「好きだったんでしょうな」とのこと。


幸隆公の長男信綱公と次男昌輝公は、長篠の合戦で討ち死に。

信綱公の子供はどうだったのかな?

これが不思議。

まだ小さかったのか?

北陸に行って北陸真田になったとか。


かくして、真田家は三男の昌幸公が継ぐこととなった・・・


端折ってとか言いながらこんなになっちゃう。

今日はもう眠いので、昌幸パパんが家督を継いだところで続くとします。


つづく