真田検定まで1週間を切ってしまった。
3級ぐらい、満点とりたいもんだなぁ・・・
などと野望は抱えつつ、試験勉強にもなる歴史対談。
6月9日の対談の続き。
前回までのあらすじ。
真っ赤な嘘でもおもしろい、真田家の来歴。
なんか、このメモ全部書いてたら、膨大な量になっちゃうんだけど・・・
そんなことしてたら、あっという間に20日になっちゃうよね。
ちょっと端折って、大まかなとこだけ書こうかな。
ともかく、殴り書きと記憶の産物なので、正確ではありません。
こんな感じのこと言ってたかもしれない程度にお読みください。
真田家中興の祖、幸隆公。
武田、諏訪、村上に信州を追われた幸隆公。
上州で羽田さんを頼ります。
羽田家がお嫁さんの実家だから(?)
(幸隆公のお嫁さん何人いるの?)
やがて、自分から売り込んだのか山本勘助の推奨か、武田家からお呼びがかかります。
そして、信玄公と組んで本領真田郷を取り戻すのでした。
真田本城に上ると、眼下に広がるのは小県のまち。
ここがみんな欲しい。
今も欲しい。
信玄公に絡んで、諏訪御寮人の話。
勝頼公の母は絶世の美女らしい。
絶世の美女は、大抵労咳。
信玄公の死因も、肺結核とかいろんな説がある。
幸隆公は、信玄さんが大好き。
信玄公の戦は孫子の兵法。
なるべく殺さないで、調略重視。
それは、幸隆公、昌幸公へと受け継がれる。
話し合いは信頼がないとできない。
義理堅くやった。
調略が得意な一方で、攻め弾正とも呼ばれている。
外様なのに、信玄公に信頼されている。
幸隆公は、信玄公の死の翌年に後を追うように亡くなっている。
「好きだったんでしょうな」とのこと。
幸隆公の長男信綱公と次男昌輝公は、長篠の合戦で討ち死に。
信綱公の子供はどうだったのかな?
これが不思議。
まだ小さかったのか?
北陸に行って北陸真田になったとか。
かくして、真田家は三男の昌幸公が継ぐこととなった・・・
端折ってとか言いながらこんなになっちゃう。
今日はもう眠いので、昌幸パパんが家督を継いだところで続くとします。
つづく