1月早々お姿を見れただけでも幸せ。
お声が聞けてなお幸い。
そんな、110番の日の思い出。
前回までのあらすじ。
講演会のリアクションて、どーやったらいいんだろ・・・
警察の講演会ということで、いろいろ妄想していたが。
やはり、武将のメインテーマは歴史ですよねー。
というわけで、真田家の話をするらしい。
ワクワク・・・
あ、すみませんが、今回写真が一枚もありませんよー。
私の写真など期待してはいないだろうけど。
文字だけでごめんなさいです。
「じゃあみんな、戦国BASARAとかやったことあるかな」
さっきと違って、ちょっと盛り上がる小学生。
「なら話が早い。じゃあ、なんで奥州かたくらぐみにこの真田幸村がいるか?」
わかるかわかるかと子供たちに迫るが、また反応が薄くなる。
小学生の列に入っていくので、すぐ近くをお通りになった。
きゃー陣羽織が目の前・・・ドキドキ。
「もっと地元を知ろうぜ地元を・・・大きいお友達はもう知ってると思うんでご遠慮ください・・・知ってる?」
と、小学生に語りかけるのだが、やはり反応は薄い。
ちょっとぉ、白石の小学生どうなってるの?!
なーんて、ここにうちの次男がいたってきっと知らん顔するよ。
みんな知ってても積極的に発言はしないんだと思うよ。
「じゃあ、知らないんだったら説明しなきゃなんなくなったじゃないの」
と、ぼやきつつも想定の範囲内らしく、演壇へと戻り資料を広げる。
「こういうパンフレットもございます。この白石市と真田幸村・・・真田幸村は知ってるな、日ノ本一の兵と」
はーい、そのパンフレットも持ってまーす(良い子の家来は心の中で声援を送るのだ)
「白石城は片倉小十郎殿の居城ですな。そこはOKだな、片倉小十郎殿がおさめてた城だな。ハハハじゃないぞ!」
こらーっ先生の話をよく聞きなさーいっ!
「そこのお殿様」と、組長が自分を指す。
「なんでそこに真田幸村がいるかっていう話をしてるんだけど、続けてどうぞ」
組長、助け舟を出すのかと思ったら、すぐまた返す。
「大阪夏の陣と冬の陣、聞いたことあるか?ないかなぁ・・・いっぱい資料あるから、本当に勉強になると思うんで」
はいっ!喜んで勉強いたしまするー。
「で、大阪夏の陣でこの幸村と戦ったのが小十郎殿の息子重長殿、二代目小十郎殿と合戦しまして、まぁボコボコにしてやったんだけどな」
ええ、真田軍勝利してましたとも。
「やはり多勢に無勢、この幸村も危うしということになって、息子と娘をこの片倉重長殿の武勇、そして後ろについてる政宗殿だな、この2人なら託せるであろうという心からこの2人に娘と息子を頼むということでお願いしまして、この重長殿にかくまってもらったと、それが一番のきっかけです」
ちょっとごにょごにょになってきて、パンフレットをかざす。
「大阪夏の陣が終わった後白石に引き上げて、我が娘と息子は白石の地で育ててもらったと・・・」
市役所に行けばもらえるそうです。
「それにちなんだお寺なんかもいっぱいあるんでな、幸村の墓なんかもあるんだぞ」
はいっ後で行きまするー(時間なかったから、今日は寄らないで来ちゃったのよ)
「ずらっと出ておりますんでしっかり読んで、もっともっと地元のまちにこんなに素敵なところが、寺社仏閣とか多いですが、もっと知ってもらうと大変いいと思うんです」
ほんとにそうでございます。
白石には、まだまだ魅力的なところがいっぱい!
だから、私もいつか白石のガイドブック書くぞー(決意)
組長たちの方をちらちら見てる。
ちょっと、詰まってきた様子。
組長は優しい笑顔を浮かべていらっしゃる。
「はぁ・・・1人で言うのもなかなかね」
気を取り直しつつ。
「その真田の娘阿梅という姫がおって、その姫が二代目小十郎殿の妻となりまして、ここで完全に真田とこの地がつながったということわかってもらえるかな・・・反応が薄いぞ」
だ、だれか何か言ってあげてよ小学生!
組長も虎太郎殿も、笑ってないで何とか言って!
「これで、かたくらぐみにこの幸村がいるということになりました・・・」
ちょっと気持ち切り替えた感じで。
「はい、ここからは歴史の時間ですよ。歴史のお勉強ですよ、よいですか」
ほんとの先生みたい
きゃーっ幸村先生ステキです(1人はぁはぁしてる)
「やはり家康を追い詰めた真田、あと一歩で家康を討ち取るとこまでいった真田」
ほんとに、もう一歩でございましたー!
「家康はもう真田って聞くとみんなしょっ引くっていうぐらいの、結構それだけ恐怖を与えたということです。家康にとっても恐怖であったというその真田家」
信之にーちゃん、苦労したろうなぁ・・・
「やはりこの地にかくまわれても堂々と真田って名乗ることができなかった。せっかくかくまわれた・・・」
パンフレットを取り出す。
おお、それは蔵王町にあったパンフでは?!
「このマンガな、結構見やすいぞ、これも市役所にあるからな」
次男いわく、「娘より父親のほうが大人げない」というマンガです。
「この息子、大八という子がしばらくこの地にかくまわれて、その後、片倉殿から所領を与えられるくらいになったときに、じゃあそろそろ真田って名前を戻そうか、片倉家だけどやはり真田の血を引いてるんでそろそろ真田という名前を戻そうじゃないかと。戻したところ、またあの徳川が真田って何だよとおとがめがありまして・・・これ何でしたかな、真田がバレたきっかけは」
組長に話をふります。
「えっとね、大阪夏の陣が慶長20年です。それで真田幸村が討死します。今お話したように息子を預かりまして、それから急に騒ぎ始まったっていうのは1637年島原の乱というのがあります、その時にですね、真田の残党が結構入ってたんですね」
隣でうなずいて聞いてる虎太郎殿。
「まぁ、島原の乱ていうのが藩政時代では1番大きい国内戦争の代表ですから、ここに真田が絡んでいる、ところが伊達にも真田がいる、これはどこの真田だと。徳川家光の時代ですね、三代将軍の、そこで真田狩りが始まるんです。いかがですか?」
おお、組長の話、なんか説得力あってわかりやすいわー。
(いや、幸村先生に説得力ないって言ってるわけじゃないですよ)
組長、急に話ふられても動じずきちんと説明します。
その上、華麗に返しちゃいました。
「それぐらい徳川家というのは真田、この赤備え、もう毛嫌い。それぐらい嫌っているところになりましてな」
赤が嫌いな徳川家・・・(ひこにゃんの立場は・・・)
いいもーん、私も幕末までは徳川家嫌いだもーん。
「その後90年ぐらいですかな、およそ百年ぐらいたって、大八も真田という姓を結局名乗られず、もう片倉にしますと、実は真田名乗ってみただけですと」
ううっおいたわしや大八くん・・・
「その後、百年近くたってやっとほとぼりもさめたというか、もう真田という姓を戻そうかということで、やっと真田の姓が戻りましたよというのが書いてあります」
またマンガのパンフをかざしているけど。
もぉ、せっかく自分で語っておられるんだから、マンガに依存するのおやめくださいませ。
でも、自分の討死後の話をしてるわけだから、ごにょごにょでも仕方ないのかぁ・・・
ここまでで約20分。
ハラハラドキドキの講演会、もう少しおつきあいくださいませ。
つづく