今日はもう一つ放射能にまつわる「エピソード」を紹介させて頂きます。これはジャーナリストの櫻井よし子さんが取材したお話です。
福島県川内村の遠藤雄幸村長は今、「村へ帰ろう」と避難生活を送っている村民に呼びかけています。その理由は、ずばり川内村が安全だからです。川内村は、福島県双葉郡の中西部に位置し、面積2万ヘクタール、うち9割が山林、震災前の元々の人口は3000人。自然豊かな田舎の小さな村です。
しかし、この静かで自然豊かな美しい村も、2011年3月11日に発生した東日本大震災で一変しました。福島第一原発の事故でセシウムが飛散したとされ、村の住民は全員避難を余儀なくされたのです。
川内村の歴史は古く 縄文時代から人が住んでいたようです。村の人々は、太古の昔から深い森の中で井戸を掘り、山から生み出される清らかな湧水を利用し生きてきました。山菜やキノコも沢山採れ、イワナ料理で有名な村の観光地「いわなの里」もあります。湧水・川の幸・山の幸の恩恵を受けてきた村民は、水源地がセシウムで汚染されたと政府から聞かされ、避難生活を今も送っているのです。
しかしある時、その村の村長のところに、避難を余儀なくされた川内村の中学生から一通の手紙が届いたそうです。内容を要約すれば、「田舎に帰りたい」というもの。原文が川内村のHPにも掲載されています。
そこで村長は放射能を調べました。そして、その調査で政府の無策無能を実感することになったのです。なんと、避難先である郡山は毎時0.423マイクロシーベルト・年間3.7ミリシーベルトであるにもかかわらず、川内村の0.178マイクロシーベルトだったのです。つまり、川内村の人々は放射能が低いところから高いところに避難させられていた訳です。
さらに、遠藤村長は山内村の「水」についても次の様に語っています。「水質検査はもう何回もしました。放射能は全く検出されていません。ここの水は昔も今もきれいです」。奈良林直北大大学院教授によれば、セシウムは吸着性が高く、地中に浸透する過程で粘土質の層にくっつき濾過される為、湧水からはセシウムは出ないとのこと。おそらく川内村の例も、山の自然の濾過装置により、汚染された水が綺麗な水に生まれ変わっていると考えられます。
放射能の低いところから高いところへ避難させられる。さらには、安全だということが分かっても政府は正確な情報を国民に伝えていない。まさにこれこそ「人災」です。
そもそも、ICRP(国際放射線防護委員会)は、「万一事故や核テロにより大量の放射性物質が環境に漏れるような非常事態が起こった場合の許容放射線量」を「年間20~100ミリシーベルト」の間と定めています。このうち日本は一番厳しい「20ミリシーベルト」を採っています。従って、この基準を「100ミリシーベルト」に変えるだけで、福島県民は故郷に帰れることとなるわけです。
勇気を持って冷静に、真実を伝えることが政府に求められると私は思います。
まさに勇気を持って「村へ帰ろう」と呼びかける村長に、滋賀県からエールを送ります。
以下、活動写真を掲載します。
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毎年行われる「ダイハツフェスティバル」に行ってきました!
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ダイハツの役員の方々を寺島健一前竜王町議会議長に紹介して頂き、ご挨拶。
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真中は滋賀県議会議員の井坂氏。右は寺島前議長。
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右はいつもお世話になっている竜王商工会副会長の邑地礼子さん。「アワビダケ」という竜王名産品の考案者でもあります!