武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

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国家主権、国家の尊厳と誇りを取り戻す挑戦!品格と優しさ、初志貫徹の気概を持って(滋賀四区衆議院議員武藤貴也のブログ)


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   米朝関係の軍事的緊張が増し、いよいよ武力衝突に至る可能性も高まっている。北朝鮮がこのまま核開発を続けるか、あるいは本当にグアムにミサイル攻撃を行うような事態でも発生すれば、日本のみならず周辺諸国は米朝軍事衝突に必ず巻き込まれていくことになる。

  日本のメディアも、ここまで来てようやく北朝鮮の脅威については報じてはいるものの、一方で、日本はどう対応したらよいのかという点については殆ど論じていない。米国の行動の推移を見守るだけで、我が国の「敵基地攻撃能力保有」の議論を始め、主体的に対北朝鮮政策をどうすべきか、あるいは対中、対露政策をどうすべきかという点については、殆ど触れられていないのが現状である。

   そこで、ここでは今後の北朝鮮の動向と、今後日本が取るべき安全保障政策について考察してみたい。

 

 

北朝鮮による核ミサイル開発が現実化してきた

   これまで北朝鮮は、これ以上ないくらいの強い言葉で、米国や韓国、そして日本などを非難し、敵意をむき出しにしてきた。「韓国は一撃で灰になり、日本列島は沈没し、米国本土には核が降りそそぐ」などという挑発的な発言を行い、6カ国協議をはじめ外交交渉は全て自らの我儘とも言える理屈で頓挫させてきたのは、周知の事実である。今日に至っては、豪州に対しても「米国への無条件かつ熱狂的な追従をやめなければ核ミサイルで攻撃する」と主張し、中国に対してまで「我々との関係に及ぼす破局的な結果も覚悟すべき」と言うに至っている。

   一方周辺諸国は、そうした北朝鮮の言動に対し、これまでは冷静に対応してきた。ミサイルを近海に打ち込まれる事態に至っても、日本はこれまで通り「抗議」を繰り返し行うのみで、経済制裁は維持強化するものの、北朝鮮は中国ロシアとの貿易を維持しており、その効果が限定的であることも理解していながら、それ以上の行動は取らなかった。

   その理由は二つである。一つは、北朝鮮の挑発は、あくまで食糧難や人権侵害などに苦しむ国民の不満や、国内での熾烈な権力抗争から、外へ目を逸らすことが目的だとするもの。そしてもう一つは、北朝鮮のように経済力や技術力をはじめ、国力の小さな国が、実際核ミサイル開発を実現し、まして自滅の道となる他国を攻撃することはないだろうという分析である。

   確かにこの二つの分析は、それぞれ一定の説得力がある。しかし、昨今の北朝鮮情勢を見ると、金正恩は国内外において非常に追い詰められており、状況もそれに応じて大きく変わってきた可能性がある。北朝鮮は今年に入り、既に12回ミサイル発射をし、米国ワシントンに届くミサイルを開発する可能性が現実化してきた。実際、米紙ワシントン・ポストは今月8日、北朝鮮が核弾頭を小型化し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)への搭載が可能になったとする米国防情報局(DIA)の分析を伝えている。

   そして、自滅となるはずの攻撃も辞さないと強気の姿勢を具体化し、グアムへの攻撃を明言する事態となった。北朝鮮国営の朝鮮中央通信は、「金絡謙朝鮮人民軍戦略軍司令官が、「米国に厳重な警告を送るため」として、中長距離弾道ミサイル「火星12」4発を米グアム島周辺に同時発射することを慎重に検討していると発表した」と報じた。

   北朝鮮は国内の不満を抑えきれず、核ミサイル開発の成功をもって、本当に武力攻撃や戦争を始める可能性も否定できなくなってきたのである。

 

 

トランプ大統領が北朝鮮に強硬に出た三つの理由

   こうした北朝鮮の軍事的挑発を受け、トランプ大統領は「これ以上、米国を脅さない方がいい。世界が見たこともないような炎と怒りに直面することになる」と異例の強い表現で警告した。しかもその後、「炎と怒り」では「言葉に厳しさが足りなかった」と述べ、11日には「軍事的な解決の体制は整った」と発言している。理性的とはとても言えない北朝鮮が、一連のトランプ大統領の言動に対して「理性を失っていると」批判したとのことだが、トランプ大統領の強い発言の背景には大きく言って3つの理由があると考えられる。

   まず一つ目の理由は、実際、北朝鮮の核ミサイル開発を阻止するため、先制攻撃も辞さないと考えていることだ。確かに、時間が経てば、北朝鮮の核能力が向上し、阻止することが事実上困難になる。従って、今米国は、軍事力を使って核ミサイル開発を阻止するか、核保有を容認するか、時間的に選択を迫られている(この選択を迫られているのは、実際は米国だけではなく、日本などの国際社会全体も同様なのだが)。そしてもし、核ミサイル開発を阻止する選択肢をとるのであれば、それは早い方が合理的である。一方で、核保有を容認するのであれば、北朝鮮の横暴を認めることとなり、国際社会は対北朝鮮政策やNPT体制に関しての理論を根本的に転換せざるを得ない可能性も生じる。また北朝鮮が核ミサイルを保有すれば、テロリストに拡散する恐れもある。従って、北朝鮮がグアムに攻撃をしなくても、核ミサイル開発を続ければ、米国が核ミサイル除去のために核施設などを先制攻撃することは、安全保障上、十分理にかなっていると言える。

   二つ目の理由は、北朝鮮の攻撃を支持する国内世論の存在がある。北朝鮮が米本土に届く弾道ミサイルを持つに至ったことで、米国民の間では警戒感が高まっている。8月9日に発表されたCNNの世論調査によると、米国民の62%が北朝鮮を「脅威」と認識しており、軍事行動を支持する米国民も55%に達している。しかも、共和党支持者の間では、実に74%が北朝鮮への軍事行動を支持する結果となっている。国内におけるトランプ大統領の支持率が38%と過去最低水準と言われる中、「トランプ大統領にとって北朝鮮問題は、国内の不満を外に向けるという意味で、これ以上ない好材料だ」との指摘もある。実際。就任直後に低支持率であったブッシュ大統領が、9.11と対テロ戦争をきっかけに支持率をV字回復させたこともあり、歴史的には戦争や外敵を理由に国内の対立を克服し、政権基盤を築いた指導者は多い。従って、北朝鮮への軍事行動を支持する国内世論の存在が、トランプ大統領の強気の発言の背景にあると思われる。

   三つ目の理由は、「米軍・軍需産業界からの期待」である。8月14日産経新聞は「米軍需企業の株価急上昇 北朝鮮緊迫化で業績期待」と題して、「北朝鮮の脅威が増大したことで、米国のほか日本や韓国で迎撃ミサイルの需要が高まり、業績が伸びるとの期待が背景にある。」と報じた。記事によれば、北朝鮮が7月4日に初めて大陸間弾道ミサイルを発射してから、実際ロッキード社の株価は8%以上上昇し、最高値を更新。トランプ米大統領が今月8日、米国を脅せば「炎と怒りに直面するだろう」と警告するなど米朝の応酬が激化するのに伴い、株価の上げ幅も拡大した。ノースロップ・グラマンやレイセオンの株も買われ、最高値を更新した。

   また、この北朝鮮のミサイル問題を、米軍がミサイル防衛システム(MD)の絶好の試験台と捉えているとの指摘もある。北朝鮮がグアム近辺の海に4発のミサイルを着弾させると予告している今回のケースは、限りなく実戦に近い状況で、米軍のMDを試す機会になり、また、米軍にとってMDの有効性を試すテストを行うことは、北朝鮮に対してだけでなく、ロシアや中国、イランなどをも念頭に置いた国防計画において意味があるという意見から、北朝鮮のミサイル攻撃を好機とさえ捉える考えも、米国の中では存在するのである。

 

 

中国が初めて本気で動いた

   いずれにしてもトランプ大統領の強い言動は、中国を動かしたという点でも非常に大きな意味を持つ。

   トランプ大統領は、「炎と怒り」発言を北朝鮮に向けて行う一方、依然として北朝鮮に効果的圧力を加えない中国に対しても強硬に出ている。8月14日、中国による知的財産の侵害などをめぐる問題で、関税の引き上げなど一方的な制裁措置を発動できる通商法301条の適用を視野に入れた調査の手続きを始めるよう求める大統領令に署名した。

   先にも少し述べたが、昨年の北朝鮮の対中国貿易額の割合は9割を超えている。つまり、いくら日本や米国が経済制裁をしても、中国の存在がある以上効果がないことが指摘されてきた。しかも今年、中国と北朝鮮の貿易額は第1・四半期に40%近く増加したこともわかっている。従って、米国も国際社会も中国の役割を重視し、中国の行動を変えなければ北朝鮮の核ミサイル開発は止められないという結論に達していたのである。

   そこで、トランプ大統領が、先に述べた通商法301条の適用に向けて行動を起こしたことは言うまでもない。トランプ大統領の行動は、これまでに無い強いものだと言える。そうした状況から、いよいよ中国も北朝鮮に対し、本気の経済制裁に乗り出した。中国商務省は14日、北朝鮮からの石炭、鉄、鉄鉱石、海産物などの輸入を15日以降、停止すると発表した。また、中国の王毅外相は15日、ロシアのラブロフ外相と電話会談し、21日から始まる米韓の合同軍事演習を念頭に、対立回避へ向けて協力を呼びかけたことが報じられた。これまでの中国からすれば劇的変化である。そして、これらはトランプ大統領の強い言動から導き出された状況であることは言うまでもない。

 

 

国際金融犯罪による資金調達の可能性

   一方で北朝鮮にとっては、もはや中国の経済制裁も効果がなくなりつつあるのではないかという指摘もなされるようになってきた。それは北朝鮮が「金融犯罪」によってミサイル開発やテロ工作の資金調達を行っている可能性があるからである。

   昨年2月、バングラデシュ中央銀行がサイバー攻撃に遭い、8100万ドル(約92億円)が盗まれるという事件が発生した。当初は、犯罪組織による国際金融犯罪だと思われたが、今年5月10日、米国の情報セキュリティー会社「シマンテック」の上級ディレクター、ジェフ・グリーン氏が、連邦議会上院の国土安全保障委員会で開かれた公聴会で、「北朝鮮がバングラデシュ中央銀行にサイバー攻撃を仕掛け、8100万ドルを盗み取っていた」と証言した。また、同様の被害はベトナムなど30カ国以上で確認されており、グリーン氏は北朝鮮がバングラデシュ以外でも「銀行を攻撃している」との見解を示した。シマンテックは、3年前に北朝鮮がソニー・ピクチャーズエンタテインメントにサイバー攻撃を行ったものと同じ有害なコードがバングラデシュの銀行での攻撃に使われたと指摘している。

   こうした状況を見ると、中国がようやく経済制裁に動いたことは、確かに既に時遅しかもしれない。北朝鮮は核ミサイルを開発するための資金調達を既に終えているか、新たな資金調達方法を得ている可能性があるのだ。

   しかしだからといって、今から経済制裁をやめるべきだということではなく、多方面における、かつ国際社会全体でより一層協力をした対策が必要であるということである。とりわけ先に議論になった「国際組織犯罪防止条約」などに基づき、加盟国と協力して国際金融犯罪の取締りを強化するなどの対策が必要であろう。

 

 

強硬路線が北朝鮮の譲歩を引き出したという現実

   米国はこれまで、20年以上にも渡って「戦略的忍耐」とも呼ばれる、かなり譲歩した政策を取ってきた。例えば、1994年に北朝鮮と結んだ「米朝枠組み合意」は、北朝鮮に核開発を諦めさせる代わりに、日韓が費用を分担して軽水炉を建設し、完成まで重油も提供する合意だった(日韓が費用を分担する当該枠組みは、それはそれで別の問題がある)。

   しかし、そこまで譲歩しても、こうした「戦略的忍耐」と呼ばれる甘い北朝鮮政策は、全く意味のないものであった。北朝鮮はその後も核開発を続け、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れないどころか、IAEAから脱退し、合意は水泡に帰した。北朝鮮には、譲歩や甘い政策は意味をなさないということが、この20年で証明されたと言って良い。

一方、今回のトランプの強い言動は、そうした北朝鮮から「譲歩」を引き出しつつある。事実、トランプ大統領の「炎と怒り」発言を受けて、北朝鮮の金正恩は「米国の行動や態度をしばらく見守る」と強硬路線を換え、グアムへのミサイル攻撃を見合わせる選択をしたことが既に報じられている。そうした金正恩の「譲歩」を受けて、トランプ大統領も今度は「金正恩委員長は非常に賢明で、理にかなった判断を下した」とし、「別の選択をしていれば、壊滅的な結果をもたらしていたし、到底容認できなかった」とコメントした。

   また、8月21日から始まった米韓軍事演習に関して、当初北朝鮮は「我慢にも限界がる」とし「予測や想像が不可能な無慈悲の物理的行動をとる」と軍事的措置を仄めかしていたが、現在のところ北朝鮮が取った行動は、「長中距離弾道ミサイル発射」ではなく、「短距離ミサイル発射」でもなく、「3発のロケット発射」で、しかもグアムではなく日本海に撃ったものであり、いずれも失敗だとの分析だ。また今回の「飛翔体」の発射は「弾道ミサイル」ではないので「安保理決議違反」でもない。つまり北朝鮮は、国内の不満を解消しつつ、米国を刺激しないように最大限の注意を払って行動していると言える。こうした行動からも、やはり米国の強い言動が、金正恩の「譲歩」を引き出していると言って良い。

   しかし一方で、北朝鮮が核ミサイル開発を断念したわけではない。そしてトランプ大統領は、北朝鮮が更なる核ミサイルの開発を辞めなければ、軍事行動も辞さない構えを崩しておらず、事態はいつでもエスカレートする可能性があるのは事実だ。

   北朝鮮が核ミサイルを開発し、量産する体制を整えれば、もはやどこの国も手出しできなくなる。そして、核ミサイルが北朝鮮を通じて、他国やテロリストなどに拡散する可能性もある。こうした状況を打破することは、まさに日本を含めた国際社会の喫緊の課題だ。そしてそうした事態を打開することができるのは、国際社会の北朝鮮に対する「強い言動」だということが、これまでの北朝鮮を見ると明らかだろう。

 

 

「外交のソースは軍事と援助」

   国際政治学では「外交のソースは軍事と援助しかない」と言われる。確かに歴史上は、理想や道義が他国の賛同を集め行動を変えることもあるが、往々にして自国の有利なように外交を展開しようとしたら、軍事力という「ムチ」によるか、援助という「アメ」を与えることが最も効果的で現実的だという考え方である。これまでの行動を見ると、確かに北朝鮮はまさに、軍事か援助でしか動かない国だと言える。

   北朝鮮が「譲歩」や「謝罪」をした過去の事例を見ても、そのことは明らかだ。例えば、2002年北朝鮮金正日が日本人拉致を認め謝罪し、2004年に8人の拉致被害者が帰国した際、同時に当時の小泉純一郎首相から、人道支援として25万トンの食糧支援と1000万ドルの医療支援が表明された。どう考えても、経済支援が拉致を認め謝罪したことと無関係ではない。

   また大前提となる国際情勢として、拉致を認め謝罪した2002年という年は、2001年の「9.11」を受け、テロとの戦いを宣言した米国が、イラク・イランと並べて北朝鮮を「ならず者国家」として制裁を加える旨宣言していた時期であり、米朝関係の悪化という背景も日朝接近の原因となったことは言うまでもない。つまり拉致被害者の帰国は、「軍事と援助(アメとムチ)」の結果であったと言えるのである。

   また最近では、2015年8月、南北朝鮮が対立する軍事境界線を境界線とした非武装地帯で地雷が爆発して韓国軍兵士が負傷した事件において、北朝鮮を批判する韓国国内の世論の拡大に押され、韓国政府が北朝鮮に謝罪と責任者の厳重処分を強く求め、それがないと「政府は必要な措置を講じる」とまで述べると、北朝鮮は「遺憾の意」を表明し、事実上謝罪した。

   今回、トランプ大統領の強い言動で譲歩したところを見ても、結局のところ北朝鮮は、対話による説得では無く、軍事的圧力などの強い言動でしか譲歩しないことが分かる。

   「外交のソースは軍事と援助」という歴史的な外交の現実を踏まえて、経済援助で効果がないなら軍事的な行動も視野に入れることを日本も考えられるように今後の安全保障体制の整備が必要だろう。拉致問題を見てもそのことは明らかだと私は考える。

 

 

迎撃ミサイルシステムの課題と限界

   日本はこれまで北朝鮮などのミサイル攻撃に備え、迎撃ミサイル(ミサイルディフェンス:MD)の配備に力を入れてきた。防衛省の予算は5年連続の倍額要求だが、それはミサイル防衛の増強に力を入れてきたことによる。

   現在、日本のミサイル防衛システムは、イージス艦に搭載した海上配備型迎撃ミサイル(SM3:高度100キロ以上の大気圏外で迎撃する)と、地上配備型の地対空誘導弾パトリオット(PAC3:高度十数キロの大気圏内で撃ち落とす)の二段構えをとっている。

   しかし、北朝鮮がここ最近、ミサイル技術を進展させたことにより、日本の迎撃システムの無力化が指摘されている。例えば、北朝鮮は最近移動式発射台から前兆なくミサイルを撃つため、兆候を把握しにくくなっていること(しかも10分以内に着弾する)、そして、北朝鮮がミサイルを通常の軌道よりも高く上げて近くに落とす撃ち方(「ロフテッド軌道」と呼ばれ、高く上がった分だけ落下速度が増し、今のシステムでは迎撃は難しくなると言われる)を取るようになったことなどである。また、そういったミサイルでなくとも量産し、一度に撃たれた場合でも、対応が非常に困難となる。

   当然日本もこれに合わせて、通常よりも高い軌道で飛来するミサイルに対応する海上配備型迎撃ミサイル「SMブロック2A」やPAC3の防護範囲を2倍に広げる改良型、そして最新鋭の地上配備型迎撃システム「終末高高度防衛(THAAD)ミサイル」の取得といった迎撃システム向上に力を入れているが、大事なことは、米国に払う武器の購入費も膨大で、また、どれだけミサイル防衛の強化を行っても、北朝鮮が対策を講じるため「イタチゴッコ」になっているということだ。つまり、ミサイル防衛にも限界があるということである。

   米国が20年以上北朝鮮に譲歩する政策を取ってきたことは既に述べたが、これは北朝鮮の存在により、日韓が在留米軍を受け入れ、有事を想定し迎撃ミサイルなど高額な兵器を購入するなど、米国にとって利益を産む状況であったからとの指摘がある。米国にとって北朝鮮が直接的な脅威になら無いのであれば、「必要悪」として存在させていた方が、国益にかなうというものだ。残念ながら、日本にとってはMD構想を続ける限り、非常に高額なミサイルを更新し続けなければならないため、米国に膨大な費用を支払い続けなければならない(これはまた別の問題だが)。

 

「敵基地攻撃能力」を持たないと、防衛も外交も出来ない

   そこで、これらの問題を解決する方法が、「敵基地攻撃能力」の保有である。

   今月4日、小野寺五典新防衛大臣が、「敵基地攻撃能力」の保有について前向きな見解を示した一方、6日には、安倍総理は「現時点で具体的な検討を行う予定はない」と述べたことが報道された。しかし、これまでも述べてきたように、日本が「敵基地攻撃能力」を持つことは、もはや必要不可欠であると私は考えている。

   これまでの政府見解でも「攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の措置として発射基地をたたくことは自衛の範囲」となっている。つまり「敵基地攻撃能力」をもつことは憲法上認められているということであり、法的に問題はない。日本国民を守る決意があるなら、この「敵基地攻撃能力」を可能な限り早く整備すべきだと私は考える。

   ここまで、核ミサイル問題ばかり述べてきたが、日本には北朝鮮との関係で長年悩んできた「拉致問題」がある。これまでどれだけ話し合おうと、経済支援を表明しようと、「対話と圧力」と称して経済制裁を加えようと一向に進展しなかった。それは、端的に言って、日本が軍事的に全く脅威ではないからである。一方で米国に固執し、米国の言動に左右されるのは、米国が北朝鮮にとって軍事的に最大の脅威となりうるからだ。

   8月10日、ロシアが北方領土で1000人以上の兵士が参加する軍事演習を開始したと発表した。択捉島と国後島の演習場で実施しているもようだ。北朝鮮の脅威を理由に、北東アジアでの軍事力を強化する米国を牽制する狙いだと報じられているが、ここでも日本は配慮すらされていない。北方領土で共同経済活動を行い両国の信頼関係を築こうとしている矢先に、である。ロシアにとっても注視すべき最大の相手は、決して日本ではなく米国だということを意味している。

   良いか悪いかの価値判断は別として、現実主義的に考え、どう考えても日本の外交防衛体制を強化するために、「敵基地攻撃能力」保有の議論を具体的に始めるべきだ。


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 今年6月15日、「テロ等準備罪」を新たに設ける「改正組織犯罪処罰法」が成立した。この法律の適用犯罪は277、対象をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」と規定することなどが盛り込まれたわけだが、国会に法案が提出された当初、この法律は「内心の自由を侵す」「監視社会になる」といった扇動を背景に、国論を二分するような激論の対象となった。

 政治を巡る議論は次々と移り変わり、この法律も成立した今やもうメディアでは殆ど議論されなくなったが、私が様々なところで実感するのは、この法律に対する不安は国民の中から解消されたとは言い難く、選挙区内で誤解に基づく批判を聞くことも多い。

 そこで、過日8月10日、ようやく日本でも法律制定の契機となった「国際組織犯罪防止条約」の効力発生となったこともあり、テーマが難しく少し長くなるが、ここで再度「改正組織犯罪処罰法」の必要性を再確認した上で、日本では未だ殆ど論じられない「テロ」の本質的問題について記述しておきたい。

 

 

最後まで「共謀罪」と称した野党やメディア等による「ミスリード」

 まず、なぜこの法律が国論を二分するような議論の対象になったのかという点だが、これは一部メディアや野党などによる「ミスリード」が主因だと私は考えている。そのことは、例えば当該法律が成立した6月16日の翌日の新聞の見出しを見たら分かり易いだろう。

 その日、読売・産経新聞は「テロ準備罪成立」と書いた一方、朝日・毎日・東京新聞は「共謀罪成立」と書いた。実はここに、国民を分断するように一部メディアがミスリードした様が見て取れる。そもそも成立したのは、「共謀罪」を処罰する法律ではないからだ。「共謀罪」と「テロ等準備罪」では、成立する要件が大きく異なるのである。

 具体的に言えば、「共謀罪」というのが「ある特定の犯罪を行うことを話し合い、具体的・現実的に合意(共謀)することによって成立する犯罪」であるのに対し、今回成立した「テロ等準備罪」は、①「組織的犯罪集団」(継続的に存在し、指揮命令に基づきあらかじめ定められた任務の分担に従って行動する人の集まり)の関与、②重大な犯罪(死刑、無期又は長期4年以上の懲役又は禁錮に当たる重大な犯罪)の「計画」、③計画した犯罪の「実行準備行為」(犯罪に使用する武器や薬品の購入、資金の調達、犯行現場の下見など)という3つの厳格な要件を設けており、「テロ等準備罪」は「内心」ではなく「行為」を処罰するものである。従って、「テロ等準備罪」は、「共謀罪」とは大きく異なると言える。

 このように要件が異なるにもかかわらず、一部の大手新聞や地方紙は、最後まで「共謀罪成立」と報じた。私はそこに中立・公正な報道というよりも、国民の不安を煽り、法案成立を阻止しようとした意図が見えると思う。

 そしてその「ミスリード」は、マッチポンプのように野党議員や一部の学者、そして一部メディアがまるで連携しているかのような形で拡大されていった。例えば、野党議員が国会で「実行準備行為」について、「花見と下見は区別がつかない」、「トンカチを買ったら武器の購入と見なされる」などという、現実的に言えばそれだけでは「テロ等準備罪」に該当するとは到底言えない極端な事例を持ち出して法案を批判し、刑事手続法は変わっておらず捜査手法も変わらないにもかかわらず、「法案が成立したら監視社会になる」と一方的に主張し、そしてそれを再度一部学者や団体が様々な場所で発言、補強し、更に一部大手メディアがそうした発言を繰り返し報じ拡大するといった状況があった。もちろんその順序は逆も然りで、マスコミで報じられたことを基に野党議員が国会で追求する、そしてまたその様子をメディアが連日報じるという構図も何度も何度も繰り返された。

 しかし、繰り返しになるが、先に述べた「テロ等準備罪」の3要件を見れば分かるように、野党や一部メディアが3要件に当てはまらない極端な事例を勝手且つ強引に当てはめ、「共謀罪によって普通の一般国民が裁かれる」「監視社会になる」と主張し、それを繰り返して拡大していくことによって国民を「ミスリード」していったことは明白である。

 

 

「共謀罪」創設の必要性が高まった背景

 そもそも「共謀罪」創設の必要性が主張されるようになった背景には、2000年12月国連で採択された「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約、パレルモ条約)の存在がある。この条約は、国連加盟国が協力して越境する組織犯罪を防止・処罰するためにつくられ、既に国連加盟国193ヵ国の内、187の国や地域によって締結されている。未締結なのはイラン、ソマリア、南スーダン、日本などわずか11ヶ国である。「テロ国家」と呼ばれ、国際金融犯罪を国家として行っている疑いのある北朝鮮ですら加盟している。

 そして、後に詳しく述べるが、この条約はその5条第1項により「共謀罪」又は「参加罪」の少なくとも一方を創設することを義務付けている(ちなみに、第5条1項(a)(i)は「国内法上求められるときは…当該合意の内容を推進するための行為を伴うこと」として、日本が要件を厳しくしたことについてもその選択を認めている)。

 そこで、日本はこれまで、2003年当該条約を締結するための国会承認を受け、その国内担保法となる「共謀罪」を盛り込んだ法案を何度も国会に提出してきた。しかし周知の通り、議論が終結せずに3度も廃案になった。つまり、条約締結のための担保法が国内において整備できず、主要7ヵ国(G7)で国際組織犯罪の取締をリードしていかなければならない立場にもかかわらず、条約を批准できずにきたというのが事実である。

 「テロリスト」が金融犯罪によって資金を集め「テロ行為」を行っていることはこれまで何度も明らかにされてきたが、今年5月には、隣国である北朝鮮も、世界30ヵ国以上の銀行や金融機関などを狙ってサイバー攻撃を仕掛け、多額の現金を盗んだ可能性が高いことが報じられた。もちろん北朝鮮がそうして得た資金を使用してミサイル開発を続けたり、拉致被害者などを生んだ対外工作の資金として使用したりしてきた可能性があることは言うまでもない。

 そのような国際環境の中にあって、依然として日本が条約に加盟しないことを受け、国内では殆ど報じられなかったが、今から3年前の2014年6月、マネーロンダリングやテロ資金供与対策の国際協力を推進する政府間会合である金融活動作業部会(Financial Action Task Force: FATF)から、日本は北朝鮮とともに非難の対象とされた。FATFは各国が遵守すべき国際基準(FATF勧告)を策定し、遵守状況を監視するため相互審査を実施しているが、日本の法整備が遅れていることについて、組織犯罪防止条約の締結に必要な国内担保法の整備について早急な改善が必要であるとする声明を発表したのである。

 つまり今回の「共謀罪」創設の議論は、あくまでも国際的な観点から対応が迫られているために始められたというのが事実である。

 

 

京都大学の高山加奈子教授に反論する

 にもかかわらず、そうした国際的な経緯や状況を殆ど紹介せずに、「共謀罪」が国内的な都合やイデオロギー対立、政治的な抗争でのみ議論されてきたのは非常に残念なことである。

 そしてその矮小化された国内的議論において「反対派」の象徴として登場したのが京都大学の高山加奈子教授である。高山教授は「共謀罪」に反対する運動の先頭に立ち、国会周辺でもマイクを握り反対演説しただけでなく、国会内でも参考人として「共謀罪」創設反対の論陣を張った。

 しかし、結論から言って、高山教授の主張は全く国際的な現実や国際法・条約を無視するものであったと断じざるを得ない。高山教授はもともと刑事法学の専門家であり、国際政治や国際法、安全保障分野に精通しておられないということもあるだろうが、京都大学教授という重みのある立場からの主張は余りにも影響が大きく、多くの国民も高山教授の発言によりこの法律について誤解してしまったと考えられるので、ここでは教授の見解の主だったものについて反論しておきたい。

 一つ目は、そもそも「国際組織犯罪防止条約」は「テロ対策」ではなく「マフィア対策」であるとする見解である。高山教授の法案に対する様々な批判はこの見解に基づくが、単刀直入に言って、教授のこの見解は明確な間違いである。

 例えば、国連総会決議55/25(2000年)では「国連総会は…国際組織犯罪防止条約が…拡大している国際的な組織犯罪とテロリストによる犯罪とのつながりとの戦いのための有効な手段であるとともに国際協力のために必要な法的枠組みとなることを強く確信し…全ての国に対し、…国際組織犯罪とテロ活動のつながりを認識すること及び国際組織犯罪防止条約をその規定に従ってあらゆる形態の犯罪活動との戦いに適用することを要請し…」と記されているし、国連安保理決議第2195号(2014年)においても「国連安全保障理事会は…国際組織犯罪から資金を得ているテロ組織が、国家に対し、特にその安全、安定、統治並びに社会及び経済の発展を妨げることにつながり得ることを深刻に憂慮し…加盟国に対し…国際組織犯罪防止条約及びその付属議定書、国連腐敗防止条約並びにテロ防止関連条約及び議定書等といった関連する国際約束を優先的に批准し、加入し、実施することを要請し…」と記されている。また加えて言えば、国連事務総長報告(安保理決議第2195に基づき2015年5月作成)では、「テロ組織と国際組織犯罪集団は、理論上は区別されるが、その区別は実際には必ずしも明確ではない。」としている(「テロ組織」と「国際組織犯罪集団」が理論上分けられた理由については後述する)。つまり「国際組織犯罪防止条約」は「テロ対策」の条約として国際社会に認識されているというのが紛れもない事実である。

 しかしながら、高山教授の「国際組織犯罪防止条約はマフィア対策の条約である」という誤った主張は、例えばジャーナリストの田原総一朗氏や、首都大学東京教授の木村草太氏など多くの識者により、確認されることなくテレビ等で繰り返し主張され拡散された挙句、国民の間でも広く誤解されるに至った。

 二つ目は、当該条約への加盟は、2020年東京五輪開催のためというのは「まやかし」や「嘘」であるという見解である。これも、一つ目の内容同様に誤った認識であると断じざるを得ない。なぜならば、先に述べたように、当該条約の加盟は紛れもなく「テロ対策」を主たる目的としたものであり、条約に加盟することによって、187ヵ国の締約国と「国際組織犯罪集団(≒テロ組織)」の取り締まりについて、様々な分野で協力することが可能になったからである。これは、より安全に東京五輪を開催するにあたり、プラスにこそなれ決してマイナスになることはない。従って、例え「五輪の為」というのが「後付けの理由」であるとしても、それをもって批判することは「批判のための批判」に過ぎなく、国民のための批判とは言えない。

 三つ目は、公権力を私物化する犯罪類型が対象犯罪からかなり除かれたという指摘である。具体的に、高山加奈子教授は、「特別公務員職権乱用罪、公職選挙法違反の罪、政治資金規正法違反の罪、政党助成法違反の罪、地方自治法上の署名運動者等に対する妨害罪、最高裁判所裁判官国民審査違法の各種の妨害罪など、公権力を私物化する犯罪類型が対象犯罪からかなり除かれた」として今回の「改正組織犯罪処罰法」を批判している。

 しかし、先に述べたように制定経緯をきちんと認識していれば、当該法律の目的が「国際組織犯罪の防止」にあるのであって、「公権力の私物化規制」を目的とした改正でないことは明らかである。仮に公権力私物化を規制する目的で法改正を行うのであれば、「組織犯罪処罰法」ではなく、改めて「政治資金規正法」や「公職選挙法」など該当する法律を改正するよう訴えるべきであり、そうした活動については私も異論はない。

 以上のように、高山教授に代表される一部「専門家」の主張は、そもそも法律制定の契機となった「国際組織犯罪防止条約」の解釈を間違えており、そしてそのことが原因で批判はかなりおかしな方向にエスカレートしていった。最終的に高山教授らは「組織犯罪処罰法」の改正の目的は「テロ対策」ではないと断定し、「警察権限の拡大が目的」という見解や、「米国の圧力によるもの」といった見解など、著しく歪んだ見方を広める結果を生んだのである。現に、高山教授は、3月22日北海道新聞の寄稿で今回の法律について「真の提案理由は、取り締まり権限を広く確保しようとする思惑ではないかと疑わざるを得ない。現在日本の犯罪件数は激減し、戦後最低記録を更新中である。暴力団関係者の人数も大きく落ち込んでいる」と記し、6月11日朝日新聞への寄稿では「02年以降、犯罪の件数が半数未満に減少した一方で、人員が2万人増員されて仕事のない警察が権限拡大を強く求めている」と記している。

  国際社会から対応を迫られて条約締結のために法改正を行なった経緯からすれば、「暇になった警察官の仕事確保のために法整備をした」という見方は、余りにも飛躍し、かつ歪んだ見解と言う他無い。そしてそうした誤った見解が国民を著しく誤った方向へ扇動することとなってしまったことについて、高山教授など反対派識者の責任は非常に重いと考える。

 

 

「共謀罪を創設しなくても良い」という誤解

 そして、もう一つ大きな誤解を生んだ見解について記しておきたい。「条約加盟に当たっては共謀罪の創設は要らない」というものである。これも大きな誤解の原因となった見解であり、枝野議員ら野党議員が国会質疑の中で取り上げ、メディア等でも繰り返し主張されたものだ。

  「国際組織犯罪防止条約」では、その第5条1項において「共謀罪」又は「参加罪」の少なくとも一方を創設することが義務付けられていることは既に述べたが、「創設の必要はない」という誤った解釈は2002年「国際組織犯罪防止条約」の国内法制化ために刊行された『国連立法ガイド』のパラグラフ51に基づくものと考えられる。

 確かに、51条には「関連する法的な概念を持たない国が、共謀罪および参加罪のいずれの制度も導入することなしに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることを認める余地がある。」との記述がある。

 しかし、実は日本の法制度には既に、特定の犯罪について実行の着手前の共謀・陰謀を犯罪とする規定が存在する。例えば、刑法では77条・78条において内乱罪について陰謀を処罰する規定が存在するし、「爆発物取締罰則」第4条は爆発物使用共謀罪を定めており、平成25年に立法された「特定秘密の保護に関する法律」第25条では特定秘密の漏えい等の共謀を処罰する旨定めている。また我が国には、複数名犯罪を共謀し、一部の者が犯罪の実行に出た場合、犯罪を実行していない共謀者も処罰の対象となる「共謀共同正犯」という概念もある。つまり、「立法ガイド」で言う「関連する法的概念を持たない国」に日本は含まれないのである。

 従って、「国際組織犯罪防止条約は共謀罪の創設を義務付けていない」という主張は、「立法ガイド」をよく読んでいない為に誤解したか、あるいは国民を扇動し共謀罪の創設を阻止するために「立法ガイド」を都合良く切り取って利用したという他ないと考えられる。

 

 

一方、国会における法律制定過程には重大な問題があった

 これまでは「共謀罪」創設の必要性、また「国際組織犯罪防止条約」加盟の必要性について述べたが、一方で、当該法律を決定する過程、つまり国会審議のあり方自体には非常に大きな問題があったと私は考えている。政権与党の「奢り」と言われる部分が、確かにそこにはあったと思う。

 決定過程の問題とは、参議院において委員会での審議を終了せずに、本会議で中間報告し当該法案を議決してしまったことである。野党が問責決議を出し、国会の日程がきつくなったと与党は主張したが、別段国会を少しも延長できない合理的な理由はないため、東京都議選を見据えた与党の政治的な理由だとしか考えられず、国会史上同様の前例もなく、到底あるべき国会審議のあり方だとは言えない。野党はこれを受けて「暴挙」だと政権・与党を批判していたが、確かに委員会審議の非合理的な打ち切りと中間報告で議決することは、実に「委員会中心主義」の否定であり、国会法第56条違反に当たると考えられる。つまり違法に立法された可能性が濃厚だということである。

 日本の国会は、国会法第56条第2項により、原則として委員会に案件を付託しその審査を経て本会議に付する事となっており、これを普通「委員会中心主義」と呼んでいる。今回の「改正組織犯罪処罰法」について、委員会採決を経ずに本会議で中間報告した上で議決した件は、国会法56条の3の②に基づいているとされるが、国会法の第56条の3は「①各議院は、委員会の審査中の案件について特に必要があるときは、中間報告を求めることができる。②前項の中間報告があつた案件について、議院が特に緊急を要すると認めたときは、委員会の審査に期限を附け又は議院の会議において審議することができる。③委員会の審査に期限を附けた場合、その期間内に審査を終らなかつたときは、議院の会議においてこれを審議するものとする。但し、議院は、委員会の要求により、審査期間を延長することができる。」となっている。

 この規定について、国会法の専門家である駒沢大学の大山玲子教授は、「委員会審議が理不尽な形などでストップしたときに本会議で中間報告をし、一週間など期限を区切って議論をまとめるように促して、それでも無理な場合に委員会採決を省略して本会議で採決するための手続き」を定めたものだと述べている。野党が委員長ポストを握っている場合などはこの規定を援用する場合もあるが、今回、与党が委員長であり、かつ委員会審議を十分行えない合理的理由については全く説明されておらず、国会法56条にある「特に緊急を要する」根拠についての説明も全くなかった。大山教授はこれをとらえて「政府・与党による審議拒否だ」と強く批判している。

 国会の会期終了が差し迫っているというのが今回の理由になるならば、会期終了間近の法案は全て委員会審議をしなくて良いことになってしまうので、そもそも「時間が無い」というのは理由にならない。与党もそうしたことが分かっているので、明確な説明を行っていないのであろう。この点につき、立命館大学の松宮孝明教授は「必要性や緊急性の根拠が説明されておらず、成立自体に疑義がある」とし、法案成立過程の「違法性」を指摘していたが、これは説得力のある問題点の指摘だと私も考えざるを得ない。

 必要性の高い法案だからこそ、審議を尽くして「違法立法」だと言われないように国会法に基づく適切且つ丁寧な手続きが必要だったのではないかと思う。

 

 

「国際的組織犯罪防止条約」は、なぜ「テロ防止条約」と名付けられ無かったか

 次に、「テロ」の根本的な問題について問題提起をしておきたい。

先に述べた京都大学の高山加奈子教授らが「国際組織犯罪防止条約はテロ対策の条約ではなく、マフィア対策の条約である」と勘違いした背景には、実はそれなりの理由がある(実は、「テロ防止」と称して改正された組織犯罪処罰法にも、当初は「テロ」の文字が含まれておらず、批判されて後に付け加えたという経緯がある)。

 それは条約自体が、「テロ防止条約」ではなく「国際組織犯罪防止条約」と名付けられたことに象徴されるが、確かに、同条約には直接「テロ」という文言を用いてそれを防止するための規定が存在していないのである。

 しかし、それは当該条約が「テロ」を防止する目的のものでは無いからということではなく、「テロ」の定義について、国際社会で未だに定められないという現実があるからだ。その為に、先に言及したが、「国際犯罪組織」と「テロ組織」という実質的には殆ど同じ集団を指す両者を、形式的に理論上区別し、「国際組織犯罪防止」という表現を用いたのである。類似した「国際テロリズムに対する包括条約が締結不可能な状況に陥っているのも、そうした状況による。

 ではなぜ「テロ」の定義が定まらないか、実はそれなりの理由がある。日本や欧米諸国が「テロ」と呼ぶ行為について、他の国や団体から「テロ」ではなく、それは「レジスタンス(抵抗運動)」や「ジハード(聖戦)」、あるいは「民族自決」であるなどといった見解が存在する。つまり、ある国にとって「テロ」と呼ばれる行為が、他の国にとっては国際法上合法な武力行使だと主張される場合があるのである。

 確かに、この点は非常に難しい問題を孕んでいる。日本では「テロリズム」の定義について、「広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう」と警察庁組織令第39条では規定されている。

 しかし、国際社会において、ことはそれ程単純なものではない。なぜなら前提として、国際社会は国内と異なり、無秩序状態であり、事実上世界政府や世界警察が存在せず、国家の違法行為について確立された法に基づいて処罰されるという公平・公正さを欠いているからである。当然、どこかが法に基づいて公正に裁かれなければ、報復や抵抗運動など正当化される武力行使も存在するという見解が出てくるであろう。イスラム圏に対しても、中国、ロシア、米国に対してもそれは然りである。

 そしてそうした点は、今回の法改正の背景となった「国際組織犯罪防止条約」の「立法ガイド」にも明記されている。同ガイドのパラグラフ59は「Conspiracies with purely non-material objectives, such as ideological goals, are not required to be covered by this offence.(イデオロギーに係わる目的など、純粋に非物質的な目的を持った共謀は、この犯罪の対象とすることを求められていない)」とし、純粋なイデオロギーに基づく暴力主義的破壊活動の共謀は除外されているのだ。これはひとえに「テロ」の定義が確立できなかったことに起因する。

 従って、「テロ」を防止する苦肉の策として、「テロ集団」の殆どが国際金融犯罪などを行っていることを念頭に、当該条約の対象犯罪を「金銭的または他の物質的利益の獲得に直接または間接的に関わる目的」を持ったものと定め、「テロ」という文言ではなく「国際組織犯罪」という文言が使われたのである。つまり、形式的には「テロ」防止を謳ってはいないが、実質的に「テロ」を防止する効果を持つというのがこの条約の特徴だと言えよう。日本の外務省もこの点について、国際組織犯罪集団は、「テロ集団」であろうがそうでなかろうが、組織を維持するために全て資金を必要とし、事実「テロ集団」の殆ど全てが国際金融犯罪によって資金調達を行っているため、事実上「テロ集団」がこの条約の対象となると説明している。

 しかし一方で、確かに「テロ」は必ずしも「金銭的または物質的利益」のみを目的としたものばかりではなく、一人あるいは少人数でも、金融犯罪を行わずに、また資金調達すらせずに「テロ行為」を行う場合も存在する。つまり、当該条約の対象とならない純粋な政治目的、報復や抵抗運動などを目的として暴力的破壊活動を行う者が存在するという現実もある。この点はテロの防止を考える上で重要なので、次の項で言及したい。

 いずれにせよ、「テロ」の定義が定まらないことで、当該条約と国内法の整合性にも若干の齟齬が生まれるのであれば、名称を「テロ等準備罪」ではなく「国際組織犯罪等準備罪」とすれば、混乱を招かずに済んだかも知れない。

 

 

「テロ」がなぜ生まれるのかを議論しなければ、「テロ」を根絶することはできない

 私が学生時代に読んだ本の中で、2004年イラクの取材中に亡くなったジャーナリストの橋田信介氏が著した『イラクの中心で、バカとさけぶ』という本がある。少し古く、かつ少し長くなるが、「テロ」を理解する上で一つの手がかりになると思うので、その本の「ある自爆者の遺書」という部分を引用したい。

 

(以下引用)

 ワシはバクダッドで野菜屋を営む66歳の老人である。まだ少し時間があるから遺書を書こうと思う。

忘れもしない今年の3月25日、ワシの家にアメリカの爆弾が落ちてきた。悲しいかな、その爆弾で一家全て死んでしもうた。一家というのは、ワシの息子夫婦とその子供たち3人だ。3人はワシにとっては可愛い孫だった。7歳の息子、5歳の娘、一番下の娘は生まれたばかりでゆりかごの中に入っていた。

ワシの古女房は3年前に病気で亡くなっている。だからワシはたった一晩で天涯孤独の身となった。

最初ワシは一つのことしか考えられなかった。どうしてみんなは2階の部屋に寝ていたのか、みんながワシと同じ1階の部屋で寝ていれば。せめてそれが逆だったら。ワシは繰り返し、繰り返し、それだけを考えた。

ワシは死にたかった。ただ、死にたかった。それでも近所のモスクだけは通っていた。「天の神」と話をすることだけが慰めだったからだ。モスクに集う友達が『王書』の一節を歌ってくれて、私を慰めてくれた。皇太子である息子を亡くした王女の悲しみを歌う部分だ。

「彼女は若年のわが子を嘆き悲しみ、興奮して着物を引き裂いた(中略)悲痛な叫び声をあげ、ときどき気を失った。爪を両目に突っ込んで火中に投げ入れた。巻髪を輪なわのように巻きつけ、指で根元から引き抜いた。彼女の顔から血がしたたり、ときどき失神して倒れた。(後略)(『王書』25章)」

その詩はワシの気持ちを表していた。別の友達は古くから伝わる有名な詩を吟じてくれた。

「一滴の水、大洋に注ぎ、一粒の土、大地に合す。お前がこの世に来て去るとてなんだ。一匹の蠅が現れて、消えるだけ(『ルバイヤート』58)」

その詩句も何かをワシに教えてくれたかのように思う。

 

そんなある日、モスクで目つきの鋭い中年男に話しかけられた。彼は言ったのだ。爆弾を落としたアメリカに復讐する方法があるのだ、と。ワシは目を開かれた気持ちだった。ワシは無性にうれしかった。

ワシは生きる勇気と喜んで死ぬ目的を見つけたのだ。ワシは喜んで世界のみんながいう「自爆テロ」とやらに志願したのだ。

ワシは遠い日を思い出した。父親の膝に抱かれた遠いあの日を。そのとき、父親はアラブの古い格言を教えてくれた。

「人の命は山よりも重く、あるいは羽のように軽い」

恥ずかしながら、この年齢になって今、初めてこの詩句の意味がわかった。

ワシの孫の命は山よりも重かった。だが、今のワシの命は羽のように軽い。

 

今日の明け方、ワシは約束通りチグリス川に近いある場所に出頭した。そこに爆弾を満載したトラックが用意されていた。ワシはすぐさま米軍兵舎に向かって出発したいと思った。ところが、私を世話してくれた男が、行く先はバクダッドの「国連事務所」だというのだ。ワシは怒った、約束が違う、と。

その男は語ってくれた。国連はアメリカより卑劣なのだ、と。国連はグルだった、我々をダマしたのだ、と。彼らはアメリカとの戦争を避けてやるから、どんな兵器を持っているのか、どこにどんな部隊があるのか、世界に公開しろといった、と。

そうすれば、アメリカの侵略を防いでやる、と約束した。だから、我々は国連の査察団を受け入れてすべての軍事施設を調査させた。あげくのはては「トラの子」であるミサイルも解体させられた。

そのことはワシも知っていた。戦争を避けられるならそうすべきだとワシも思っていたからだ。

世話をする男は続けて語った。その結果はどうなったか、すべての軍事情報は査察団を通じてアメリカに流れ、我々はいいようにいたぶられた。本来、戦争が開始された時点で、国連事務総長であるアナンという男は、責任をとって辞任すべきではなかったのか。男は激しい怒りをこめて、そういった。

ワシは正直いって、政治のことはよくわからない。でも、この男の人柄と目は信用できると思った。

ワシは喜んで国連事務所に向かうことにした。ワシは無性にうれしかった。アッラーもワシを祝福してくれるだろう。生涯の最後の最後に、大きな善行をほどこせる。

ワシの人生は完結した。ワシは心からの至福につつまれて炎に燃えるだろう。

男が呼んでいる、ようやく時間がきたのだ。ワシは幸せな気分で筆をおける。

「アッラーの神は偉大である、アッラーに祝福あれ!」 

 

黒煙が上がるガレキの焼け跡で、私は一人の老人と出会った。その老人は、カラになったワラのゆりかごを抱きながら、私に向かって「ベイビー、ベイビー、ベイビー(孫が殺された!)」と、たった一つの英語をさけんだ。私に向かって、抗議するように、訴えるように、そういった。

あの老人は、こんな遺書を書いて欲しかったに違いない。私には、そう思えてならない。

バグダッドの国連事務所が自爆テロで爆破された際、ニューヨークの国連本部で行われた記者会見で、国連広報官は記者の一人に国連事務所がテロリストの標的になった理由を問われ、「わからない」と答えている。私が捧げた一文は、その答えになるだろうか。

 

 アメリカのブッシュ大統領は「これからもテロリストと闘う」と宣言しています。どうぞ闘って下さい。テロリストはまだまだたくさんいます。

あなたが落とした爆弾の数だけ、新しく生まれたのですから。

闘いはまだまだ続くのです。

 

追申

以下無用のことながら―。

イラク戦争に関して、二人の若い日本人外交官が「戦死」した。

バグダッドの老人の「戦死」と同じで、一人一人の命に様々なドラマがあることを思い知らされる。残された家族には、これからつらい人生が待っている。

東京での葬儀において日本の小泉首相は「テロに屈しない」という弔辞を述べた。さらに「人道・復興の遺志を引き継ぐ」として、イラクへの自衛隊派遣を決めた。戦後はじめて外国の「戦場」に日本の軍隊が派遣される。

日本の兵士がテロによって殺されるか、あるいはゲリラに応戦して逆に相手を殺すか、まだ誰にもわからない。

 

 2003年、ブッシュ大統領は「イラク」という毒まんじゅうを食べてしまった。その結果、ゲリラ菌によってひどい下痢になってしまった。こりゃたまらんと、大統領は日米同盟に基づいて日本にも協力を強要する。小泉首相も甘党なのだろう、年末ギリギリに毒まんじゅうを食べてしまった。熱が出るのか、寒気がするのか、下痢だけで終わるのか、これまた誰にも分からない。

 だが、どういう病状がでようと「自業自得」だと思うこと。なぜなら、これは戦争だからだ。そしてその戦争を選択したのは小泉首相であり、その小泉氏を首相に選んだのは、我々日本国民なのだから。

 

 2004年、どんなことがイラクで起きようと、「泣き言」はいわない決意を固めよう。平和ボケは許されない時代が始まった。

(引用終了)

 

 橋田氏は、イラク戦争当時、ジャーナリストとして危険を顧みずイラクで取材をし、先の本を書いた後、イラクの戦場で亡くなった。橋田氏は先の引用の中で、「推測」と「事実」をつなぎ合わせ、現地のイラク人がどのようにして「テロリスト」(あるいは「レジスタント」)になるか、具体例を挙げて非常にわかりやすく、且つ実に率直に書いていると思う。そしてこの文章は、今読めば橋田氏御自身が私たち日本人に向けて残した遺書のようにも思えるだろう。

 橋田氏は決して「日米同盟を考え直せ」とか「自衛隊派遣はやめろ」などということは書いていない。ただただ日本国民が自分自身で考えるための現地の情勢・情報をわかりやすく伝えている。

 発売当時大学生であった私はこの本を読んで、「テロ」について衝撃を受けた。なぜならば日本では「テロリスト」がなぜ生まれるのか、なぜ「テロ」という行為に訴えるのかということについて殆ど議論されず、「テロ」は「絶対悪」として、「取り締まる」ことしか考えていなかったからである。

 そして今回の法案を巡る議論を見ていて思うのは、当時と同様、今も日本は「テロ」を「取り締まる」ことしか考えていないということだ。

 しかし、本当に「テロ」をなくすには、「テロリスト」がなぜ生まれるのか、その原因をしっかりと認識し、その上での対応を考えなければならないのではないだろうか。「組織犯罪処罰法」を改正しても、「国際組織犯罪防止条約」に加盟しても、「テロ」は決して無くならないというのが現実だ。橋田氏はそのことを言っている様に思う。

 私がこうした国際社会の現実を知っていつも想うことは、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」なら、日本はもっとしっかりと自立し、独自に考え、国際社会に向けて発言する国力と信頼を身に付ける必要があるということだ。「テロ」をなくすためにも、日本はそうした国を目指すべきではないだろうか。「共謀罪」や「国際組織犯罪防止条約」に関する議論を深めると同時に、世界で今何が起こっているのか、日本人はもっと多くの現実を認識し、どういう国を目指すべきか今一度考えるべきだと私は思う。

 

 


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 6月9日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、約200年ぶりに天皇が「退位」する見通しとなった。国会やメディアは、森友学園や加計学園の問題、あるいは都議選の結果に関する議論等に終始しているが、私は日本の未来にとっては、当該特例法や、その際の議論によって注目されるようになった御皇室に関わる課題が非常に重要であると考えている。

 私は先月の衆議院本会議でこの特例法に反対したので、多くの質問が寄せられたこともあり、ここでその根拠について述べておくとともに、これを期に御皇室に関する極めて深刻な問題についてここで記し、国民の議論を喚起したい。

 

今回の特例法は安定的な皇統維持のためにならない

 今回の特例法の第一の問題点は、将来、天皇の恣意的退位や譲位を強いる先例となる可能性が有り、皇統を安定的に維持していく上でマイナスになるという点である。これは皇室典範を策定した明治時代に、過去2600年以上の歴史を調査し、「譲位は悪しき慣例」として結論が出されているので非常に重要な点だと言える。

 明治20年3月、有名な高輪会議において伊藤博文は、井上毅らが策定した旧皇室典範原案第12条の譲位に関する規定を削除させた。この原案第12条は天皇が身体や精神に重い疾患を抱えた場合、例外として譲位を容認する規定であったが、伊藤は「不治の重患を抱えていても摂政を置けばよい」と主張したのである。

 伊藤が譲位について強硬に反対した根拠については、明治22年に記された『皇室典範義解』にはっきりと書かれている。その部分のみ要約すると、①神武天皇から欽明天皇に至るまでの三十四世、譲位は無かったこと、②幼少の皇嗣に代わって一時的に女性天皇が即位するなどしたが、定例化したのは聖武天皇・光仁天皇に至ってからであること、③譲位が始まると互いに正当性を訴える有力臣下の派閥対立に利用されるようになり、南北朝時代のような争乱の原因となったこと、④崩御により皇嗣が即位するとしたのは、譲位の慣例を改め上代の昔に戻すものであること、以上四点がそれである。

 つまり、伊藤は、天皇の譲位が歴史上激しい争いを招いたことを良く認識し、皇室の伝統を成文化する上で「悪しき慣例」を制度化すれば、いつか再び上皇や法皇による院政による混乱や権力・権威の二分化による争乱が起こり、皇統維持の危機を招きかねないと考え、より古い時代の慣習に従い、皇位継承原因を崩御に限るとしたのであった。

 伊藤らがそのように結論づけたことについて、明治維新を成し遂げた政治家たちは戊辰戦争や西南の役などを経験しており、内戦の回避こそ現実的かつ重要な問題であったからだとの見解もあるが、『皇室典範義解』などにある伊藤らの論拠を見ると、自身の体験よりも、やはり二千六百年以上の歴史をつぶさに調査し、その上で百年単位はおろか、千年単位の視点で議論していたことが分かる。つまり千年後も見据えた上で、皇統を安定的に維持するためには、譲位はマイナスになると判断したのである。そう考えてみると、旧皇室典範の制定会議にご臨席された明治天皇をはじめ、譲位を否定した明治の政治家たちの視点は、やはり卓見であったと言えるだろう。そして、だからこそ私は今回の特例法は国家百年、いや千年の計を誤ったかも知れないと思うのである。

 

 

「退位」ではなく「譲位」とすべきではなかったか

 そして特例法の二つ目の問題点は、その法律の名称にある。今回の特例法の名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」となっている。しかし既に多くの識者によって指摘されているように、私も「退位」ではなく「譲位」という言葉を使うべきではなかったかと考えるのである。

 「譲位」という語を用いるべきとする根拠について、竹田恒泰氏は次のように主張している。「「退位」は単に位を退くことであり、実に無味乾燥な言葉である。清朝最後の皇帝は「退位」して王朝が滅亡した。将来の天皇が単純に「退位」だけなさり、「譲位」なさらなければ、日本の王朝は滅びることになる。」

 つまり万世一系の皇統がつながることを前提としているのであれば、「次に譲り渡す」ことが最も重要であり、だからこそ歴史上は「退位」という語は用いず「譲位」という語が使用されてきた。法律文書なら後世に残るため、なおさら「譲位」という語を用いるべきではなかったかと私は考えるのである。

 

 

二重の違憲性は未だ解消されていない

 三つ目の問題は、特例法制定は二つの点で違憲の可能性があるというということだ。これは憲法や皇室典範そのものに根本的な問題があるために引き起こされているのだが、それは後に言及するとして、今回の特例法による天皇退位は日本国憲法に抵触するとの指摘が有力な識者からなされている。

 まず一つ目の違憲性は、天皇陛下のお言葉を受ける形で成立した今回の特例法は、天皇の政治的介入を禁じた憲法第四条「天皇は、国政に関する権能を有しない。」との規定に反するとの指摘である。以前にも述べたが、大石眞氏は「天皇の意向だからという理由で一気にその方向に動いてはならない。天皇は政治的権能を持たない象徴の立場にあるからだ。天皇陛下が退位の意向を示されたからといってすぐさま制度を変えれば、陛下が法律の変更を要請されたようにとらえられる。国政に影響を与えたようにみえることは避けるべきだ」とし、早急な制度変更に関して憲法上の問題点を指摘している。

 それから二つ目の違憲性は、「特例法による譲位は違憲」だとの指摘である。憲法第二条は「皇位は…国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と定めている。つまり特例法による譲位ではなく、あくまでも皇室典範改変による退位ないし譲位を憲法は求めているとの指摘である。この点につき平川祐弘氏は「特例法、憲法違反に近い」と題した文書を記し、「もし世間の同情に乗じ、特例法で対応すれば憲法違反に近いのではないか。極めて良くない先例になり得る。陛下の「お言葉」だからといって、超法規的に近い措置をとることはいかがなものか」と特例法による対応を批判している。

 二点目の指摘に関しては、確かに皇室典範の「附則」に特例法は皇室典範と一体を成すものであるとの規定を盛り込むことを決定したが、これは単なる「アリバイ」作りでしかなく、憲法の求める趣旨と合致しないことは明白である。従って二重の違憲性は未だ解消されないまま特例法は制定されてしまったのである。

 

 

陛下の御意志に沿わない形での退位を強制することになるのではないか

 そして特例法の四つ目の問題点は、これが最も問題であるとする人もいると思うが、今回の特例法による退位が、天皇陛下の御意志に合致していない可能性があるという点である。

 5月21日付の毎日新聞によれば、天皇陛下は「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」と政府方針に不満を示したという。

 この記事が出た次の日、宮内庁は全面否定する見解を発表したが、毎日新聞もそれに対し「十分な取材に基づいて報道しております」とのコメントを発表し、記事内容は正しいと強調した。

 どちらが正しいか、陛下にご意志を確認することもできないし、すべきでもない以上難しい問題ではあるが、6月9日特例法が国会で議決された日、時事通信も毎日新聞の記事を裏付けるかのような記事を配信している。

 その記事は、「拙速な決着で残念」と題して、天皇陛下のご学友で陛下から直接電話でお話を聞いた明石元紹氏の話である。その記事の中で明石氏は「陛下のお気持ちをあまり考えずに決まってしまったことは残念だ。国家の将来にわたる重大事項だけに拙速に決めず、もう少し慎重に議論してほしかった」と述べ、陛下は「自分だけではなく、次の代、その次の代でも当然出てくる問題」なので特例法ではなく恒久制度化を望まれていたと話をしている。

 私は、明治の政治家たちが判断したように、皇統を安定的に維持していくためには基本的に譲位はない方が良いと考えている。しかし確かに明治の政治家たちが想像したであろう以上に医学の進歩は目覚しく、人間の平均寿命は伸びる一方である。可能性の話ではあるが、100年後いや1000年後になれば、医学の更なる進歩によって、生命維持という観点のみから言えば「死なない」時代が来るかもしれない。そういう時代が来れば、ご意思を表すことができなくなっても生命は維持されているという状況下で、皇位継承をどうするか、摂政や権限代行はどうするかという問題を今議論しておくことは大切なことであろう。私は、陛下のお言葉は、今後来るであろう医学の進歩によってもたらされる超高齢社会における皇位継承のあり方の議論を提起なされたものであり、ご自身のみの高齢化あるいは56歳になられる皇太子様についてお考えになりお言葉を発したとは到底思えないのである。

 そういう意味で、立法府もメディアも今、天皇陛下の御意志を曲解し、望まない形での退位を強いているように思えてならない。そんなことはあってはならないのではないか。その点、国民の不安も払拭されていないように思う。

 

 以上、これまで述べてきた四つの点が、私が特例法に反対した理由である。

 

 

昭和天皇は国体護持の為に譲位なさらなかった

 話は少し変わるが、生前私もお世話になった渡辺昇一先生が、天皇陛下の退位・譲位に反対する論文の中で、昭和天皇について以下のように記している。

 

「戦後、昭和天皇が退位されなかったというのは、我が国にとって計り知れぬほど大きなご功績でした。戦後まもなく、戦勝国はもちろん、日本人にも退位を求める声があり、その中には「天皇のためにも退位を」という論理もありましたが、昭和天皇はそれらの圧力、誘惑を断ち切り、退位、譲位されることは決してありませんでした。これは独立を回復してみて、考えるに、日本にとって極めて大きな力になったと思うのです。戦前、戦中、戦後に渡って一貫して同じ天皇が君臨したという歴史的事実を、私は考えるのです。たとえ戦争に負けたとしても、日本という国は変わらず同じ国であり、日本は神話時代から今も変わらぬ国であった。そう考えるとき、昭和天皇が日本の国体を、身を持って守られたということがはっきり分かってきます。私自身の経験で言うと、60年前ドイツに留学していたとき、「君の国は戦争中、テノー(天皇)というのがいたな。あの人はどうしているんだ」と尋ねられ、「戦前も戦中も、今も同じです」と答えると、大変驚かれるということがありました。戦争に敗れても元首が代わらなかったということが、彼らにとっては大変な驚きだったわけです。(中略) 確かに日本は敗戦国として約7年近くにわたって占領されました。しかし、長い皇室の連続性が保たれていれば、百年か二百年か経った時に、わずか七年の占領期間など、一エピソードに過ぎなくなります。万世一系とはそういう歴史的な力の根源なのであるとも言えます。私は、昭和天皇はそれがよく分かっていたから、退位や譲位ということはお考えにならなかったのだと思います。」

 

 この渡辺先生の文章は、退位や譲位がいかに日本国にとって重要かという本質を指摘していると思う。先般亡くなられた渡辺先生のこれまでの御功績は既に色々なところで記されているのでここでは触れないが、渡辺先生は「言論界の巨大な星」と言われ、本当に碩学であった。その渡辺昇一先生は、亡くなられる直前に務められた「天皇陛下の生前退位を巡る有識者会合」の意見陳述において、「摂政を設置して、陛下にはゆっくりおやすみ頂ければ良い」とし、皇室典範の改変や特例法制定はおろか譲位自体に強く反対の意見を表明しておられた。そして安倍総理に、天皇陛下を説得するように求められた。渡辺先生の指摘を立法府はもっと重く受け止めなければならなかったのではないか。ちなみに私が知る限り、渡辺先生をはじめ、有識者会議のヒアリングの対象となった大原康男氏、平川祐弘氏、櫻井よしこ氏など保守派の論客の殆どは、摂政設置で対応すべきとし、譲位に反対の見解を示していた。皇統を安定的に維持し日本の国体を守るためには、やはり譲位が無い方が良いというのが歴史から導き出される見解であろう。

 

 

憲法同様、皇室典範の根本的問題

 先に少し言及したが、ここで皇室典範の根本的問題を記したい。

 日本国憲法については、5月1日「現行憲法はマッカーサーの超法規的力が働いた」と当時を良く知る中曽根康弘元総理が発言したように、その制定過程に瑕疵があったことは広く知られている。しかしながら日本国憲法に関しては、一応形式的には大日本帝国憲法の第73条の規定に従い改正しており、手続きの点から言えば法的連続性を担保しようとした跡が伺える。

 では、一方の皇室典範は新旧どう変えられたか。実は現皇室典範は、旧皇室典範の第62条の改正手続をとらず、旧典範が効力を有しているにも関わらず、国会によって別途一法律として新しい皇室典範が制定された。つまり旧皇室典範と現皇室典範に法的連続性は全くなく制定されたのである。

 どうしてそのようになったかと言えば、その目的はもちろん憲法同様GHQの占領政策遂行のためであったが、制度的には戦前の法体系が現在と異なっていたからであった。あまり知られていないことだが、戦前の日本は、憲法を頂点とし法律・勅令などから構成される「国務法」と、皇室典範を頂点とし皇室令・宮内省令などから構成される「宮務法」による「二大法体系」であった。大日本帝国憲法は、その告文等において皇室典範は憲法と同格ないしそれ以上の権威を有する旨記しているし、帝国憲法の第74条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とあり、旧皇室典範の改正には政府も帝国議会も一切関わることが出来なかった。それだけ権威を有していたということである。

 ところが敗戦によって、こうした法体系がGHQによって突然かつ無理矢理に変えられ、皇室典範は日本国憲法の下に置かれる単なる一法律となった。GHQがそのように制度改正した理由は、簡単に言って日本国の国体の中心であった天皇を弱体化し、占領政策を遂行する為であった。大原康男氏によれば、GHQは天皇の地位を「統治権の総覧者」から「国政に関する権能を有しない象徴」に変更するとともに、それに見合った皇室制度を樹立することによって、「天皇の政治的・軍事的権能を剥奪した」のである。

 

 

今でも続いている御皇室を巡る深刻な弊害

 そしてそのGHQの天皇弱体化政策は、政治的軍事的権能の剥奪にとどまらなかった。皇室を財閥の一種と見なして皇室財産の殆どを国有財産に編入するとともに、皇室経費のすべてを国会のコントロール下に置いて、皇室の経済的自立の基盤を喪失させた(現在、天皇陛下は財産権を憲法第8条により極めて厳しく制限されているにも関わらず、住民税や相続税など納税の義務は一般国民同様課せられており、極めて不公平な状況になっている)。そして、神道指令の発出、修身・地理・国史教育の停止、いわゆる〝人間宣言〟詔書の発布、御真影の回収と奉安殿の撤去、宮城遥拝や聖壽万歳の禁止、教育勅語の排除、祝祭日の改変等々の措置によって国民の天皇崇拝意識を除去したこともまた然りであった。

 そして何よりも最も問題なのは、この占領政策による日本国憲法制定と法体系の一元化等が現在でも弊害をもたらし続けているということである。

 その弊害を挙げれば切りがないが、法制度的に代表的な例を挙げれば、天皇陛下が元首かどうか現憲法では曖昧であるために、国内と国外の大使・公使等に関して一貫性を欠いた対応を続けているし、憲法の言う天皇の「国事行為」がすべて「制限的列挙」とされているために、「皇室祭祀」が「国事行為」とされず単なる「私事」に過ぎないかのような解釈がなされ続けている。「宮中祭祀」は天皇制を支える基盤であり、遥か昔から歴代の天皇が国の祭り主として「国安かれ、民安かれ」と祈ってこられた国家第一の公事であるにも関わらず、憲法上は政教分離規定に反すると解され、「国事行為」とされていない。

 そして、今まさに天皇陛下がご自身の御譲位に関して、しっかり御意見を言えないというのも、法体系一元化とともに生じた問題のひとつだという認識を、どれほどの国民が持っているだろうか。つまり旧皇室典範は憲法と同格に位置する家法であったために、皇位継承に関する皇室の自立性も確立されており、皇位継承に関して歴史的には逆に議会が関わることこそ許されなかった。旧皇室典範では、皇族会議および枢密顧問の諮詢を経て天皇が勅定するという第62条の手続きを経て、天皇陛下ご自身が関わり改正することができた。

 しかし現憲法では、皇室典範を下に置き、天皇の政治的介入を上位法である憲法で禁じたために、皇室典範の改正に皇室の御意向を反映させる仕組みが全くなくなったのである。

 大原康男氏は、皇室典範の改変が、御皇室御自身のことであるにもかかわらず、国会の議決だけでなされてしまうことについて、「現行法の致命的欠陥」とした上で、「ご自身の地位や処遇の変更について何らの発言権もないというのは、このような文脈では使いたくはないが、これほど非民主的な制度はないと断言できる」と述べ、皇室に関わる様々な法整備の不備を70年間放置してきたことは、政府の「立法懈怠」だと厳しく批判している。

 

 

日本にとって最も大切なものは何か

 以上述べてきた点から言って、敗戦による占領政策の後遺症は未だ克服されていない。しかし、昨今の国会やメディアを見ると、このことに関する根本的理解も進んでいないし、戦後GHQにもたらされた様々な弊害をすぐにでも直さなければならないという意識も薄いように思われる。

 日本にとって何が最も大切か、それは言うまでもなく日本という国が安定して続き、日本に住む国民が子々孫々まで安全に繁栄することである。そしてその為にこそ、これまで先人たちが作り上げてきた歴史的連続性が日本という国の力の源泉だということをしっかり認識して、天皇陛下のご存在や皇室にかかる制度を、陛下のお言葉があった今だからこそ、国民一人ひとりが考えることが大切だと私は思う。

 皇位継承の問題は実に、私たちの問題だけではない。伝統とは、死者と生者のデモクラシーである。民主主義は現在生きている我々だけで決定して良いということではない。今から1500年前に即位した第26代継体天皇は、先代の武烈天皇と10親等も離れた皇族だった。なぜそれほどまでして遠く離れた方を皇位継承者としたのか、それは当然皇統の危機に直面した先人たちが、それよりも古くから維持されてきた男系で皇位を継承するという伝統や慣習を守るために、そうしたのである。

 世界で唯一、神話の時代から現代の皇室まで連続した歴史を持っているという日本の力の源泉を再認識し、国家百年・千年の計を考えて、無くしてしまった神話教育をはじめ、御皇室が直面している問題・課題を冷静に論じることが今の日本で求められていると私は思う。特例法は成立してしまったが、根本的な議論は未だ始まってもいないのである。


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 昨年8月8日天皇陛下が、ご高齢による体力の衰えを理由に、「生前譲位」を示唆された。このことの国民的衝撃は大きく、政府は即座に有識者会議を設置し、これまで専門家からヒアリングを行ってきた。

 この有識者会議は先日、一代限りの譲位を認める特例法を定めるのが望ましいとする方向で論点整理を行い、自民党もこれに習い、今月13日「現在の陛下一代に限って退位を認める特別立法での対応が望ましい」との党見解をまとめた。

 おそらく今後この方向での法案が国会に提出され議論が行われることが予想される現在、この問題は国体にかかわる重要な事柄であるので、私も立法府の一員として意見を開示し、報じられているような「一代限りの退位を認める特別立法」で本当に良いのか、議論を喚起したい。

 

 

明治になぜ「生前譲位」が否定されたのか

 現在の皇室典範では「生前譲位」が否定されている。まず、なぜそうなったのかというところから話を進めたい。

 日本の歴史を見ると646年の「大化の改新」に際して、35代皇極天皇が36代孝徳天皇に皇位を譲られたのが始まりとされ、天皇在世中に皇位を譲る「譲位」は平安以降、常態となった。

 しかしその後、「譲位」が権力者の恣意によってなされるようになり、「院政」や「摂関政治」のような変則的な政体を生み出し、更には皇位継承をめぐり流血を伴う激しい争いが起こるようになった。

 これに関してはこれまで、天皇は「譲位」して「太上天皇(上皇)」となったとしても威厳や格式、品格が伴うため、どうしても皇室が二派に分かれ、勢力争いが起きやすくなることが原因だったとの分析がなされている。これは、国民的人気の高い今上天皇の御存在があるので、現代でも容易に想像できよう。「天皇」と「上皇」の存在は、「権威の二分化」を招く可能性があるのだ。

 そこで、明治維新を迎えた明治22年、時の政府は皇位継承のルールを成文化する際、混乱をもたらしてきた「生前譲位」を否定し、皇位継承原因を「天皇崩御」に限ると皇室典範で定めた。これは、混乱なく安定的に皇統を維持していく為に、歴史的教訓から考え出された結果であった。

 

 

天皇陛下のご存在意義は「万世一系という命の永続性」そのものである

 今の天皇陛下は、国民統合の象徴としての責務を、憲法に規定される国事行為だけでなく、各地で能動的に国民に触れることなども含めてお考えになっておられると拝察する。陛下のこのご努力は国民にとって誠にありがたいかぎりではあるが、しかしこれはあくまでも今の陛下の解釈ではないかという指摘が多くの有識者によってなされている。

 この点について、大原康男氏は「そもそも論になりますが、公務を執り行うことができなくなった天皇は、地位を退かなければならないのでしょうか。私はそうではないと考えます」と述べているし、平川祐弘氏も「特に問題であるのは、そのご自分で拡大解釈された責務を年を取ると果たせなくなるといけないから元気なうちに退位して皇位を次に引き継ぎたいというお考えをテレビで述べられたことである。それというのは代々続く天皇には優れた方もそうでない方も出られよう。体の強くない方が皇位につかれることもあろう」と述べている。

 つまり、天皇陛下が天皇陛下である所以は、その「能力」に求められるのではなく、第一にはあくまでも「万世一系という命の永続性」そのもの、「ご存在の継続」そのものなのである。そしてその次に「祭祀」、「国事行為」などがある。

 従って、多くの保守派識者が言うように、陛下の皇位継承に関して「能力主義」を持ち込むべきではないと私も考える。

 

 

「憲法違反」のおそれ

 また、天皇陛下のお言葉を受けた皇室典範の改正は、憲法に違反するという指摘もある。天皇陛下が8月8日の「おことば」の冒頭で「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」と断っておられたのは、そのためである。

 大石眞氏は「天皇の意向だからという理由で一気にその方向に動いてはならない。天皇は政治的権能を持たない象徴の立場にあるからだ。天皇陛下が退位の意向を示されたからといってすぐさま制度を変えれば、陛下が法律の変更を要請されたようにとらえられる。国政に影響を与えたようにみえることは避けるべきだ」とし、早急な制度変更に関して憲法上の問題点を指摘している。

 加えて、現在政府与党でまとめられようとしている「一代限りの特例法による生前譲位」自体についても違憲の疑いが指摘されている。既述の大石氏は「皇位継承は、憲法に、国会の議決した皇室典範で定めると規定されており、特例法による対応では憲法の趣旨に合致しない恐れがある」と述べているし、平川氏も「もし世間の同情に乗じ、特例法で対応すれば憲法違反に近いのではないか。極めて良くない先例になり得る。陛下の「お言葉」だからといって、超法規的に近い措置を取ることはいかがなものか」との指摘をしている。

 日本国憲法第2条では「皇室は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と規定している。つまり、現在の憲法では、特例法では無く、皇室典範によって皇位継承を決定することが定められているのである。

 「憲法改正」をするならいざ知らず、現段階で早急に法改正や特例法制定に踏み切れば、やはり憲法上の問題が生じる可能性は否定できない。

 

 

「摂政設置」で対応できる

 これまで見てきた歴史的経緯や憲法上の議論などを踏まえると、「生前譲位」は認められるべきではないと私は考える。

 皇室典範はその16条の2項で「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定している。

 将来に渡って御皇室の安定的な維持を考えると、まずはこの規定に従い「摂政設置」での対応を考えるべきである。

 しかしお身体の重患もなく、重大な事故もないが、高齢による体力の衰えによりどうしても御公務が行えないという状況であるならば、皇室典範を変え、「摂政設置」の条件に「高齢」を加えれば「譲位」をなされなくても十分対応できる。

 また逆に言えば、高齢化による体力的な課題は「摂政設置」で対応できるため、16条での対応を否定する理由にならない。

 確かに、「高齢条件」を加えると、今度は「高齢」の程度をめぐる解釈が問題となるとする意見もあるが、その議論は一般に言う定年年齢や成年年齢の議論と同様だろう。一般的に高齢とみなされる場合に、天皇のご意思の確認、皇室会議の議、そして内閣の助言と承認がある場合に、摂政を置くように法改正すれば客観性を持つと考えられる。

 

 

特例法での対応は決して最善の策ではない

 報道によると、有識者会議も政府与党も、「今の天皇一代限りに退位を認める特例立法」が望ましいと考えているようだ。

 この理由について、論点整理を行なった有識者会議の御厨貴座長は「時代時代で国民の意識や社会情勢は変わり得る。将来に渡って適用する退位を定めることは困難であり、返って混乱を招く」という意見が相次いだと言っている。

 しかし、この有識者会議が行った専門家からのヒアリングでは、ご皇室を生涯にわたって専門としてきた学識者や憲法学者の多くが特例法での対応に反対の意見を示した(ちなみに提言を行う有識者会議のメンバー自体には、ご皇室の専門家は1人もいない)。なぜならば、繰り返しになるが、「特例法による生前譲位」は「象徴の二元化」「権威の二分化」を招く恐れがあるだけではなく、憲法違反のおそれがあり、そして何より天皇の恣意的な譲位を認める前例を作ってしまうことになるからだ。

 高齢を理由とした執務不可能という事態はこれまでも起こりえたし、今後も十分に起こりうる。従って、天皇の意志に基づき譲位を認める前例を今また作れば、将来様々な理由で譲位する事態が起こるかもしれない。それこそ政治的混乱を招くのではなかろうか。

 御厨氏は「時代時代で国民の意識や社会情勢に合わせて変わりうるから、一代限りの特例法で」と言うが、連綿と続いてきた天皇の地位にかかわる事柄を、時代時代で揺れ動く国民の意識に従って変えるべきではないと考えるからこそ、一代限りの譲位を認める特例法で対応すべきではないと考えるのは私だけではあるまい。

 伝統とは生者と死者からなるデモクラシーである。現代に生きる者の民意のみで決定すべきではない。欧米的現代的思想からすれば、天皇陛下の人権などの観点から、皇室制度や国体までもを破壊する論争まで突き進んでしまいかねない。安定的な皇統の継続を確保し国体をまもる為にこそ、我々は一時の「情」による拙速な判断は避け、明治政府が判断したように、冷静に歴史的教訓から最も良い選択をすべきだと思う。

 

 


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 先月11月末、韓国の朴槿恵大統領が任期満了前の退陣を表明したことを受け、日本では昨年末の慰安婦問題に関する日韓合意などへの影響を懸念する声が広がった。そこで、昨年末の日韓合意を踏まえ、今後日本が取るべき外交の原則を再考してみたい。

 

 

事実上「法の支配」という国家原則を捨てた日本政府

 昨年2015年12月28日日韓両政府は、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という声明を発表した。いわゆる「日韓合意」の一節である。

 当初この文言だけが報道されたときは、多くの国民が安堵したに違いない。これで新たな日韓関係が構築できると。しかし、その合意内容の全体像が明らかにされるやいなや、その詳細を知った人には逆に多くの懸念が生じたことも事実だろう。

 なぜならばこの合意は、慰安婦に対し「日本政府は責任を痛感し…心からのお詫びと反省の気持ちを表明し…日本政府の予算により全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講じる」というものであったからである。

 この合意の第一の問題点は、そもそもこの「合意」は一体どういう「法的性質」のものなのかという点である。というのも、個人補償も含め、戦後処理に関する一切の対日請求権・財産権は1965年の日韓基本条約とそれに付随する日韓請求権協定で、日本が韓国に対し有償無償合わせて約11億ドルの資金供与及び融資を行うことなどによって、既に「完全かつ最終的に解決」されていたからだ。

 従って、この日韓基本条約を破棄するならいざ知らず、有効とするのであればこの条約に関する紛争、つまり戦前の対日請求権の問題は、当該条約・協定に基づいて行わなければならない。それも「法の支配」を掲げている日本ならばなおさらである。

 しかし今回の日韓合意は、日韓基本条約・日韓請求権協定の規定を全く無視する形で、つまり「法の支配」という国家原則を自ら放棄して、非常に曖昧な形でなされてしまったのである。

 

 

河野談話よりも踏み込んだ内容

 そして日韓合意の第二の問題点は、声明に盛り込まれた「政府の責任」という言葉の性質である。

 これまで日本政府は、一貫して慰安婦問題での「責任」は日本政府にはないという立場を公式に取ってきた。それは、平成5年に談話を発表した河野洋平官房長官(当時)も、アジア女性基金を設立し「償い金」とお「詫びの手紙」を慰安婦に送った村山富市総理(当時)ですらそうであった。なぜならば、慰安所は当時の公娼制度に基づき、政府や軍ではなく、民間業者がその経営に当たっていたからである。

 河野談話や今回の日韓合意に盛り込まれた「軍の関与」というのは、慰安所の設置、規則の制定、衛生管理等を正し、むしろ慰安婦を守るための関与であり、問題があったとされる朝鮮人慰安婦の募集や慰安所の経営を政府や軍が直接行ったことはなかった。

 従って、仮に賃金未払や雇用等の問題があったとすれば、それは慰安所の経営に当たっていた民間業者に責任が存在するのであり政府が補償すべきものではない。加えて言えば、慰安所で働く女性は、朝鮮人よりも日本人の方が多かった事実も研究者によって報告されており、従って国家対国家という問題でもない。

 しかし今回の日韓合意ではその冒頭で「政府の責任を痛感している」と、日本政府の「責任」を公に認めてしまった。

 この「責任」という文言について日本政府は「道義的責任」だとの説明を行っているが、一方で西岡力氏は「法的責任」をも含むかどうかしっかり確認されていないと指摘している。

 また韓国政府は、この日韓合意が発表された後、河野談話では認められていなかった「政府の責任」について日本政府が初めて認めたもので、河野談話よりも前進したと主張する一方、確かに「責任」の性質について法的なものかどうか現段階で明言していないが、今後日本政府が「和解・癒し財団」に対し10億円を拠出したのは、「法的責任」に基づく正式な「国家賠償」ではないとして再燃する可能性を孕んでおり、将来に禍根を残しかねないということが多くの識者によって指摘されている。

 

 

この合意で本当に日米韓の安全保障環境が強化されたのか

 この日韓合意について、何人かの保守派の有識者は安全保障の文脈で評価できるという点を述べている。

 例えば、渡辺昇一氏は「河野・村山談話の継承によって日本人の、よりによっての嘘から始まった「恥」を末代まで残す危険性を除去しなければならないという「国益」。そして、現在の日本国民の生命・財産を守るという「国益」。この二つの国益の間で、安倍総理は後者を内閣の責任者として選び取ったのである」と述べ評価している。

 また、櫻井よし子氏も「私の思いを端的に述べれば、実に悔しいというのが本音である。このままの内容では将来、後悔することになると懸念もしている」と述べつつ、「この日韓合意は、政治・外交的に見れば大いに評価すべきであるとも考える」と述べている。

 更に、遠藤誉氏は「今回の合意で非常に重要なことは、これによって歴史問題で中国と韓国が共闘できなくなったという点です。…結果、中国はいままでのように居丈高に日本に歴史カードを突きつけることが不可能になる。…戦略的に見て極めて正しい判断で、安倍首相の政治決断を高く評価したいと思います」と述べている。

 しかしどうであろうか。本当にこの合意で日韓関係が将来にわたって改善され、中国が歴史問題を持ち出すことはなくなり、日本の安全保障体制が強化されるのだろうか。後述するが、そもそも合意は必ずしも守られるわけではない。むしろ今までの韓国を見ても、現在の韓国を見ても合意が必ずしも守られるとは考えられないのである。

 また、日本の安全保障環境が強化されるという点そのものについても疑義がある。確かに中国の軍事侵攻は進んでおり、北朝鮮の核開発も進んでいることから極東の安全保障環境は厳しさを増しているが、例えば実際朝鮮半島有事の際に、米軍主導で軍事的オペレーションが全て決定されていく中で、80年前の慰安婦問題が日米韓の障壁になることがあるだろうか。実際軍事衝突が起こった時は、歴史論争をしている余裕などないはずである。

 

 

慰安婦問題における日本にとっての「解決」とは何か

 それから、ある意味一番の問題は、日本にとっての「解決」とは、一体何なのかという点である。合意には「最終的かつ不可逆的に解決」とあるが、日本政府はこの「解決」という意味を根本から間違えているように思う。

 日本にとっての「解決」とは、あくまでも「先人たちの名誉を回復すること」だ。いかに米国から日韓合意に向けて執拗な圧力があったとしてもそれは変えるべきではない。世界で吹聴されている「日本軍は朝鮮半島で奴隷狩りのように少女たち強制連行し、20万人もの女性たちを性奴隷にした」という濡れ衣を晴らすことこそ、日本が目指す「解決」である。

 しかしこの日韓合意について、世界の主要メディアは「日本政府が戦時中の日本軍による強制連行・性奴隷を認め、謝罪した」と報じた。つまり今回の合意により、更に間違った情報が世界に向けて発信されてしまったのである。

 このことについて藤岡信勝氏は、「…合意内容は、私たちの祖先の名誉を深く傷つける嘘の歴史をまるで史実であるかのように扱ったもので、国家が絶対に認めてはいけない一線を越えた亡国の大罪である」と述べている。

 そして櫻井よしこ氏も、世界の主要メディアが「日韓合意を評価したが、歴史問題については相変わらずの日本悪玉論を展開している」として、「歴史問題の真実を明らかにし続けることによって国際世論を変えていく困難な仕事に、日韓合意を果たした安倍政権はいままで以上に取り組む責任がある」としている。

 しかし、現在の日本政府の外交広報、情報発信を見ると、慰安婦問題については相変わらず「何度も繰り返し謝罪した上で、償い事業も行っている」という論調のままであり、名誉回復を目的として、世界で流されている嘘について全く反論しようとしていない。

 従って、日本にとってこの慰安婦問題は全く「解決」していないのである。

 

 

「和解・癒し財団」に支出された10億円の実態

 先日私は、日韓合意に基づき設立された「和解・癒し財団」に支出された10億円の使途について、日本の外務省に説明を求めた。

 この10億円は、今年8月31日に支出され、10月から使われているということだった。

 合意が行われた当初、この財団は元慰安婦の方々の「名誉と尊厳の回復、心の癒し」の為に10億円を使うとのことだったが、外務省の説明を聞いて私は非常に大きな疑問をもった。元慰安婦の方々を対象に「医療や介護、葬儀関係、親族の奨学金等」そして「癒し金」に使っているとのことであったからだ。

 普通どの国でも名誉回復というのはまず公に謝罪することによってなされる。そしてその点については、繰り返し歴代総理が公で謝罪し、かつての村山富市元総理に至っては「お詫びの手紙」まで送り、そのことも公にしている。これ以上の名誉回復があるだろうか。医療費や介護費、親族の奨学金などの支払いをすることで、一体どうして慰安婦であったことの名誉が回復されるというのか私には全く理解できない。

 また、医療や介護、親族の奨学金等に使用されたという資金について、本当にそうした目的に使われたかどうか、領収書等を確認するなどの措置もとっていないという。韓国で設立された財団からそのような目的で使用したとの報告を受けただけとのことであった。

 加えて、死亡者199名に対し2000ウォン(約200万円)、生存者46名に対し1億ウォン(約1000万円)の現金支給された「癒し金」に関して、「賠償金」ではないのに、多額の現金を渡しただけで、名誉回復や慰安婦だったことについての癒しになると、私には到底思えない。

 かつてアジア女性基金で既に「償い金」を受け取った元慰安婦もいる。ちなみに、アジア女性基金の償い事業は、①国民からの拠出金による「償い金」一人一律200万円で総額約5億7000万円、②政府予算からの医療・福祉支援事業総額約5億1000万円、③内閣総理大臣のお詫びの手紙であった。従って、今回の一人1000万円という資金はアジア女性基金の5倍の金額だ。両方受け取っていれば二重取りということになる。

 更に、外務省によると、上記事業以外にも、日韓両国が適切と考えられる範囲内で使った資金もあるが、プライバシーの問題もあり、全ては公開できないという回答であった。

 そして財団に支払われた10億円近くが既に使われてしまったようだ。

 

 

違法設置の慰安婦像撤去はどうなったのか

 問題はこれだけではない。既に広く知られていることであるが、在韓日本大使館前や世界各国の目立つ場所に慰安婦像が建てられている。この銅像、とりわけ在韓大使館前に建てられている像は、二つの違法性があるということが指摘されてきた。一つは韓国国内法に定められている設置許可が得られていないというものと、『公館の威厳の侵害』などを禁止したウィーン条約に抵触するというものだ。

 そこで、これに関しては、これまでは様々な応酬があったが、昨年の日韓合意では「韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」ということを盛り込むに至った。

この点について私は、違法なのに努力義務で良いのかという疑問はそもそもあったが、日韓合意から約1年が経ったので、この合意に基づき韓国政府がどのような関連団体とどのような協議を行ってきたのか、解決に向けてどのような努力を行ってきたのか、外務省に説明を求めた。

 すると、現段階では合意をしたこと自体が未だに関連団体や多くの国民に受け入れられておらず、その先にある慰安婦像の撤去・移転についての具体的な努力は行われていないとの回答であった。

 それが合意の実態である。

 

 

国際社会において合意は破られるのが現実

 いくつかの日韓合意の問題点を指摘してきたが、最後に今後の日韓関係の見通しについて触れ、日本の今後の外交方針について書いておきたい。

 総じて、韓国の政治はこれまで、政権が変われば、政策も大きく変わるという特徴を持っている。そして今の韓国の政治状況を見れば、今までと同様、朴政権下での合意は間違った判断とされ、次の政権では変えられる可能性が高い。

 実際、次期大統領の有力候補をして取り沙汰されている城南市の李在明市長は、朴槿恵大統領を「日本のスパイ」とまで言い、強烈に非難している。彼が大統領になるかどうかは分からないが、このような意見が国民の支持を得ている現状を見ると、朴政権の政策は引き継がれることはなく、日韓合意も蒸し返されるだろう。報道によれば、野党は全て次の大統領選挙で日韓合意の破棄を公約とする報道さえ出ている。

 「法」よりも「情」を優先する韓国の国民性を理解していた日本の有識者の多くは、合意が成立した昨年当初から有効なのはおそらく現政権が続く2年間だけだろうと予想していたが、現状を見ると2年も続きそうにない。

 更に、韓国の司法による判断がどうなるかという問題もある。今年3月、韓国の憲法裁判所が「日韓合意は財産権を保障した韓国憲法に反する」として元慰安婦らが起こした訴えについて裁判官9人全員により審理することを決めたと明らかにした。憲法裁判所が「日韓合意は憲法違反」という判決を下す可能性もある。そうなれば、いずれにせよ次の政権は日韓合意を見直さざるを得ない状況が強制的に作られる。

 

 良いか悪いかは別にして、「力」(防衛力やインテリジェンス能力など)の後ろ盾の無い国際的合意は簡単に破られてしまう。歴史を見れば明らかなように、残念ながら、それが国際政治の現実だということを頭に入れて外交を見なければならない。「法の支配」を徹底させようとするならなおさら、それを可能にする「力」が必要となる。

 従って、いま日本が目指すべきは、交渉の後ろ盾となる「力」を自力で身に付ける努力をする一方、それまでの間は、目先の利益に惑わされず、結局は原理原則を貫くことだと思う。小手先の外交で仮に短期的に成功したように見えても、長期的に見れば失敗に終わる可能性が非常に高いことを認識しておくべきだ。「日韓合意」が今まさに失敗に終わりそうだという現実が、そのことを如実に示している。

 そして、また別稿で詳しく述べようと思うが、現在行われている対ロシア北方領土交渉でも同様だと私は確信している。日本政府は今、これまで積み上げてきた日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意について軽んじるかのように「新しいアプローチ」という言葉を使用しているが、「法と正義、及び歴史」に従って四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという原則を、二島返還や平和条約の締結という目先の利益の為に変えてはならないと私は思う。原則を変え、これまで積み上げてきた法的合意を水泡に帰してしまっては、四島の返還の法的根拠を失い、二島はおろか、経済的損失だけが残る結果になるだろう。


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 私がツイッターで、「SEALDs」は「利己的個人主義」に基づいた主張をしていると述べたことについて、様々な意見が寄せられているので、ここでもコメントさせて頂きます。ツイッターでは文字数が限られており、私の言いたいことが十分に伝えることが出来無いので、ブログで述べさせて頂きます。

 まず、読んで頂きたいのは、砂川判決における田中耕太郎元最高裁判所長官の補足意見、以下の箇所です。

 「要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
 我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」

 このように、田中裁判長は自国の防衛を考慮しない態度も、他国の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法が否定する「国家的利己主義」だと言っています。そしてその上で、真の自衛の為の努力は、正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として「各国民に課せられている」と言っています。

 つまり、「SEALDs」の方が仰る「だって、戦争に行きたくないもん」という自分個人だけの感情で、今議論されている平和安全法制に反対するのは、田中最高裁長官の言うように「真の平和主義に忠実なものとは言えない」と私も考えます。

 誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいないと思います。しかし他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならないと私は考えます。

 加えて、7月13日の平和安全法制特別委員会にお越し頂いた元外交官の岡本行夫氏は、次のように述べています。

 「一九九四年、イエメンの内戦で九十六人の日本人観光客が孤立したとき、救ってくれたのはドイツ、フランス、イタリアの軍隊でした。二〇〇〇年からだけでも、総計二百三十八人の日本人が十一カ国の軍用機や艦船などで救出されてきました。一九八五年三月、イラン・イラク戦争でイランの首都のテヘランが危機になり、日本人二百十五人が孤立しましたが、日本の民間航空機は、危険だからとテヘランまで飛んでくれませんでした。それを救ってくれたのはトルコでした。トルコ政府は、テヘランに派遣した二機の救出機のうちの一機を日本人救出に当て、そのために乗れなくなってしまった何百人かのトルコ人は陸路で脱出させたのです。日本では報道されませんでしたが、二〇〇四年四月、日本の三十万トンタンカーのTAKASUZUがイラクのバスラ港沖で原油を積んでいた際に、自爆テロボートに襲われました。そのときに身を挺して守ってくれたのは、アメリカの三名の海軍軍人と沿岸警備隊員でした。彼らは日本のタンカーを守って死に、本国には幼い子供たちを抱えた家族が残されました。みんながみんなを守り合っているのです。」

 世界にいる日本人は、各国の軍隊や警察組織によって守られています。そして岡本氏が述べているように、日本では全く報道されていませんが、日本人を守るために命を落とした外国人もいます。「みんながみんなを守りあっている」ときに、日本が、しかも日本人自身の安全に、我関せずという態度をとり続けることは、日本人の命と財産を守るリスクと負担を他の国に押し付けるということを意味します。

 以上述べたように、世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だと私は考えます。

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「外交敗北」
 昨日、「明治日本の産業革命遺産」が「世界文化遺産」に登録されたということで、各地で喜びの声が上がっている。

 しかし、事はそう単純に喜べる状況ではない。なぜならば、今回の件で日本政府は、「朝鮮人の強制連行や強制労働」(英語で「brought against their will」や「forced to work under harsh conditions」などを使用)を世界の公式の場で認めた挙句、当該遺産に関して「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と公言してしまったからである。明治産業革命は1850年代から1910年頃までであり、その間朝鮮人徴用工は一人もいないので、本来無関係であったはずなのに、韓国の言い分を受け入れてしまった。

 こんな条件付きの「世界遺産登録」では、日韓の未来志向どころか、過去に縛られる材料をまた新たに作ってしまったといっても過言ではない。今回外務省がすべきだったのは、韓国が反対しても採択に持ち込み、やむを得ない場合は韓国が反対したとしても韓国以外の国の賛同を得て「世界遺産登録」を成し遂げることだったと私は思う。


解決済みの「徴用工賃金未払問題」
 そもそも問題とされている徴用工は、1944年9月から1945年8月終戦までの11ヶ月間、労働力不足を補うために国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にもそれが適用されたというものだが、当時朝鮮半島は1910年の「韓国併合に関する条約」によって国際法上日本の一部であった為、日本人同様朝鮮人に対して徴用を行ったということ自体は、法的に問題はない。従って戦後、問題となったのは、朝鮮人徴用工の一部賃金未払に関する補償だったのだが、それに関しても1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(日韓請求権協定)で解決されたはずだった。

 50年前のこの協定により、日本が韓国に対し、無償3億ドル・有償2億ドルの計5億ドル、さらに民間融資として3億ドルの経済支援をする代わりに、韓国は個人・法人の請求権を放棄するという合意がなされた。協定の第2条1項では請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と明記されている。つまり、徴用工の賃金未払に関しては、日本政府からの経済支援金を使って、韓国政府が元徴用工らへ補償を行なうはずだったわけだ。

 しかし当時の朴正熙大統領(朴槿恵大統領の父)は、この協定の内容を国民に公表することなく、経済支援金を全て公共事業など経済政策に活用した。当時の韓国の国家予算は3億5000万ドル程度で、8億ドルの支援は文字通り莫大な額だった。それにより韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたとされるが、その一方で元徴用工の補償は行なわれなかった。

 日本の資金援助による経済発展の恩恵は、元徴用工を含む全ての韓国人が享受してきたのであるから、朴正煕大統領の経済政策が完全に誤りであったとは私は思わない。日本からの経済支援の大部分が個人補償や法人補償に当てられていたら、韓国の発展はなかっただろう。しかし個人補償に当てられなかった事を盾にして、元徴用工が日本政府を相手取り賠償請求訴訟を乱発したり、「日韓請求権協定」に合意した韓国政府自身が日本政府を責めたりする今の状況は、全く道理に合わない。日本からすると、まさに開いた口がふさがらない。


国際法無視の韓国政府
 朝鮮問題に詳しい東京基督教大学の西岡力教授は次のように述べている。「反日姿勢を鮮明にしていた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、2005年に日韓国交正常化交渉の外交文書を公開し、『韓日会談文書公開の後続対策に関連する民官共同委員会』を作って日本への賠償請求を検討させました。そこでの検討ですら、日本に補償を求めるのは無理と2006年に結論づけられ、元徴用工らには韓国政府が支援すべきだとしていました。しかし、それを『個人の請求権は消失していない』と無理矢理ひっくり返したのが2012年5月の韓国大法院(最高裁判所)判決です。元徴用工や遺族9人による新日鉄(現・新日鉄住金)と三菱重工を相手取った訴訟で、原告の請求権を認める判決を下したのです。これは国際法を無視した判決です。もし、こういうことが今後も起きるのなら、どの国も韓国とは何の条約も結べなくなります」

 今回の「世界遺産登録」の際に日本政府・外務省がすべきだったのは、世界各国にこうした歴史的経緯を繰り返し何度も説明することであり、それに加えて解決済みの問題を覆し、国際法を無視する韓国政府を批判することであったと思う。その上で、どうしても韓国の賛成を得られないのであれば、採決で反対に回られてもやむなしという態度で臨むべきだっただろう。日本的な「和」の精神は、冷厳な国際政治には通用しない。従って、「全会一致」、「日韓関係の未来志向」にこだわったことで、日韓に未来に続く新たな禍根を残した可能性は否めない。


「第二の河野談話」になりかねない
 日韓関係は、目前の問題から目をそむけ友好関係を作ろうとしても、逆効果だと私は思う。「これさえ認めてくれれば幕引きだ」と言われ、信用して譲歩したら、また新たなスタートラインに立つ。慰安婦問題もそうであった。「全てこれで幕引きだ」と言われ、譲歩して発表した「河野談話」から問題が広がることとなった。今回の問題が「第二の河野談話」にならないか、新たな問題の幕開けにならないか、私は大きな懸念を抱く。

 与党の議員の一人として、外務省に対して対韓補償問題は既に「日韓請求権協定」で決着済みのはずだということを再度確認し、更に今回登録された世界文化遺産には徴用工に関しての広報はすべきでないということを改めて主張しようと思う。


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「中国共産党の運転するバス」
 中国が主導するAIIB(アジア・インフラ投資銀行)が注目を集めている。当銀行は、アジアにおけるインフラ整備の高い需要に応えることを目的として、2013年10月に習近平国家主席が提唱したものだ。既にイギリス、ドイツ、フランス、オーストラリア、韓国なども参加申請し、その数は50ヶ国以上に上っている。
 多くの国の参加をもって設立されたAIIBだが、その中身はいまだ不透明であり、設立のしっかりとした理念もなく、投資基準やガバナンスに関する疑義が持たれている。
 周知のように、日本は一次募集での参加は見送ったが、次は6月に二次募集が行われるということで、国内においては「バスに乗り遅れるな」という意見が目立つ。
 しかし、参加することになれば、ヨーロッパのような「域外国」と異なり、「域内国」として約3600億円を拠出することになると試算されている日本は、AIIBのガバナンスはさることながら、中国の覇権主義、膨張主義を抑制することも含め、乗る「バス」がどのような「バス」か、しっかりと見定めてから、「乗るか、乗らないか」を判断する必要がある。


中国がAIIBを設立した意図①(国内事情)
 中国がAIIBを設立しようとした意図は大きく言って二つあると考えられる。一つは「国内事情」である。拓殖大学総長の渡部利夫氏によれば、現在の中国は「ステートキャピタリズム(国家資本主義)」ともいうべき経済に変質しているという。具体的には「央企」と称される独占的企業群が政治権力と結託し、高利潤を謳歌しているという。「央企」は、中国にある約15万社の国有企業のうち、わずか113社。それが15万社全ての総利潤及び納税総額の6割を占める。「フォーチュン」誌によれば、世界売上高上位500社のうちで中国企業が91社だが、その殆どが「央企」である(ちなみに日本企業は57社)。中国ではこの「央企」が政治権力と結託し、公共事業の受注や銀行融資の豊かな恩恵に浴して、「資源、エネルギー、通信、鉄道、金融」の5分野で大きな収益を上げ、これが中国共産党独裁の財政的基盤となっている。渡辺氏は、この「央企」を「現代の浙江財閥」と称している。
 この「央企」が中国国内では力をもてあまし、高い投資依存と過剰生産状態を巻き起こし、そのはけ口と、合わせて中国企業の海外進出をもくろみ、AIIBを設立したのである。
 渡辺氏は現在の中国を以下のように表現している。今の中国を知る上で分かり易いと思うので引用したい。

 「貧困農民のとめどない都市流入、少数民族の抵抗、環境劣化、官僚の腐敗・汚職、所得格差の拡大はすでにおぞましいレベルに達している。限界ぎりぎりまでに膨れ上がる中国の社会的不満に国内政策で対応する術は、「和諧社会」実現を求めて挫折した胡錦濤前政権で尽きた。習近平政権は対外膨張路線によりフロンティアを拡大し、そこで得られる富と権威で内政に臨もうと決意したのであろう。第一次大戦後に追い詰められたドイツ国民の鬱積する不満が、アドルフ・ヒトラーをして激しい対外侵略に駆り立てた真因である。「第三帝国」の興隆は、しかし周辺国と米国の反発を招いて惨たる崩落を余儀なくされたという歴史的事実が想起される。膨張する中国の帰結がいかようであれ、備えに怠りがあっていいはずがない。」


中国がAIIBを設立した意図②(覇権主義)
 中国がAIIBを設立したもう一つの意図は、世界における「覇権」を取るためである。
 もちろん第一義的には「金融秩序への新たなる挑戦」だろう。1944年に構築され、ドルを基軸通貨として国際通貨制度の再構築、安定した為替ルートに基づいた自由貿易体制を整えるべく合意されたいわゆる「ブレトンウッズ体制」は、リーマンショック以降様々な課題に直面している。IMFや世銀、そしてADBに対しても、発展途上国の意見や利害がもっと反映されるべきだという意見寄せられている。しかし今まで構築してきた経済・金融秩序を見直すとしても、中国がそれに代わる新秩序を作ることはありえない。
 更に、中国の意図はもっと大きい。それは金融秩序だけではなく、世界秩序そのものを変え、中国が覇権国家として世界をリードする枠組みの構築である。それを分かり易く言えば「ウェストファリア体制」への挑戦と言って良い。「30年戦争」と言われる大宗教戦争を経て疲弊したヨーロッパ諸国は、1648年「ウェストファリア条約」で「国家における領土権」「領土内の法的主権」「主権国家による相互内政不可侵の原理」などを取り決めた。要するに、おびただしい数の人が死に、侵略戦争はもうやめようという取り決めを行ったのである。これによって近代外交および現代国際法の根本原則が確立され、その体制のことを「ウェストファリア体制」と呼ぶ。日本が目指している「法の支配」の源もここにある。
 しかし現在中国が行っていることは、「かつての中国が持っていた領土の回復」という名目の領土への主権侵害、侵略の連続であり、国際社会が積み上げてきた現在の国際秩序「ウェストファリア体制」への挑戦だといっても過言ではない。AIIBはその一環として位置づけて見なければならないと私は思う。
 従って、もはやこれを食い止めるためには周辺諸国の「抑止政策」(=「封じ込め政策」)しかないと私は感じる。安全保障で中国に対し何らの脅威も感じないヨーロッパには、日本からしっかりと説明する必要があるだろう。


見えてくるAIIBの実態
 現在構想されているAIIBは既に多くの問題点が指摘されている。まずはガバナンスをどのように効かせるのかという点である。各国代表による理事会を設けず、本部は北京、初代総裁は中国の金立群氏(ADB元副総裁)と目されている。中国の出資率は50%で、中国のAIIBにおける議決権も50%になると見られている。これでは当然公正・公平とは言えない。
 中国では、人民銀行や国有商業銀行など銀行は当然全て共産党の支配下に置かれており、今回のAIIBもその延長線上に位置づけられているとみられる。つまり極端に言えば、AIIBは習近平の命令下にあり、資金だけを他国から拠出させ、使い道に関しては中国がリードするという構造である。その影響は既に出ていて、韓国がAIIBに参加する際「AIIB総会の承認を得られれば、北朝鮮への融資を可能にする」と、中国は合意しているという。
 そもそもAIIBは当初「シルクロード構想(一帯一路)」実現のために設立すると謳っていた。「シルクロード構想」とは古代シルクロードの範囲を基本としつつも、陸と海で関係する各国の政策に関する意思疎通、インフラの連結性、貿易の円滑化、資金の融通、民心のつながりを実現していこうという構想である。簡単に言えば、中国のリーダシップで中国を中心とした「中華秩序」を構築しようという試みである。



腐敗国家が他国のお金を管理できるのか
 2012年10月、米紙ニューヨーク・タイムズは、「裕福でない家庭の出身で庶民への思いやりが深いことで知られる中国の温家宝首相」に関し、指導部入りした後に一族が「27億ドル」もの財産を蓄えていると報じた。「庶民派」と言われた温家宝がこのような状態である。
 日本では考えられないことだが、中国では政府高官の私生活や資産の状況は闇に包まれており、個人情報は国家機密とみなされている。温家宝首相の報道がなされた後、中国国内では温家宝首相に関するネットでのアクセスが制限されたという。もちろんその他の政府高官に関しても、アクセスが制限されることはよくあることだ。そうした中で、一部の政府高官が賄賂等によって年間に蓄える個人資産は数十兆円にも上るとの指摘もある。
 果たしてそんな国に他国の財産を預けて、クリーンに公平に運用できるといって誰が信頼するだろうか。まずは自分の国の資金管理を厳正にすべきである。


中国を大国化してはならない
 以上見てきたように、今の中国の手法や方向性を見ると、平和的に発展できない以上、中国を決して大国化させてはならないと私は思う。そうであるならば、拠出したお金が何に使われるかという問題点以前に、中国の国益のために設立されるAIIBに協力、もしくは参加する必要はない。中国の大国化は、長期的に見てアジア進出する日本企業にとってもプラスにはならない。
 昨日安倍総理が訪米し、前代未聞と言えるほどの高待遇を受けた。上下院で演説する機会を得ただけでなく、日米同盟の重要性をオバマ大統領と共同で国際社会に向けて発信した。なぜここにきて日米同盟がしっかり再認識されるようになったのか。もちろん安倍総理の外交努力もあるが、ようやくアメリカが中国の覇権主義の脅威に気づいてきたからではないだろうか。
 中国はフィリピンやマレーシアだけでなく、近年ヴェトナムとも領土問題で対立を激化させている。2011年7月、ヴェトナムは集団的自衛権が行使できない日本は頼れないので、さっそく米国に依頼し、ヴェトナム中部のダナンで米軍と合同訓練を行った。もちろん中国に対するけん制、抑止力向上のためである。アメリカもこうした東南アジアからの支援要請に応えるのも大変であり、中国への抑止政策の一環として日米同盟を位置づけるようになったのだろう。
 AIIBを論じるにあたってはもっと大きな視点で中国の意図を見る必要がある。

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司法は科学よりも科学的に勝るのか
 「司法は科学よりも科学的に勝るのか」、判決を聞いて私はこのように感じた。
 4月14日、福井地裁は、関西電力に対して、「債務書(関西電力)は、高浜発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない」という仮処分判決を言い渡した。
 その理由を簡単にまとめると、①基準地震動(700ガル)を超える地震が発生する可能性がある、②基準地震動以下の地震によって重大事故が生じる可能性がある、③使用済燃料が格納容器のような堅固な施設によって閉じ込められていない、以上三点である。
 そしてその上で結論として、「(原子力規制委員会が策定した)新規性基準は、緩やかに過ぎ合理性を欠く。新規制基準に適合しても本件原発の安全性は確保されない。そうである以上、新規制基準に高浜原発が適合するか否かについて判断するまでもなく、原告が人格権を侵害される具体的危険性が認められる」とした。
 まさに「原子力規制委員会」が議論に議論を重ね策定した「世界一厳しい新規制基準」を、いとも簡単に否定してしまったのである。


日本の英知を結集した原子力規制委員会
 3年前の2012年、東日本大震災の教訓から、二度と原発事故を繰り返さないために、民主党野田内閣において、民主党、自民党、公明党三派共同で「原子力規制委員会設置法案」が国会に提出され成立した。同法に基づいて設置された「原子力規制委員会」は、紛れもなく日本のみならず「世界の英知」と言っても良いくらいの知見を集め、数年の審議を経て「世界一厳しい安全基準(=新規制基準)」を策定した。
 ちなみに同委員会の委員長には、原子炉工学の権威で元日本原子力学会会長の田中俊一氏が着き、委員長代理には東大名誉教授、地質学者で元日本地震学会会長及び元地震予知連絡会会長の島崎邦彦氏が着いた。その他の委員も、地質学者や放射線医学者などを含め、まさに日本を代表する専門家たちが、イデオロギーや党利党略を超えて日本の安全と安心のために着任した。

 田中委員長は同委員会のHPで以下のように述べている。
 「原子力規制行政への信頼が完全に失墜している中で発足する原子力規制委員会は、国民の厳しい目をしっかりと受け止めながら、規制の強化を行うことが責務です。東京電力福島原子力発電所事故への反省を一時も忘れることなく、独立性と透明性を確保し、電力事業者等と一線を画した規制を必ず実現させなければなりません。すべての規制について不断の改善を行い、日本の原子力規制を常に世界最高レベルのものに維持してまいります。放射線による影響の不安と向き合って毎日を過ごしている人がいるということが、私の心から離れることはありません。JCO臨界事故の経験や、これまでに得た知識、私が持ちうるすべてを、原子力の安全を確保するための新たな規制に注ぎこむ決意です。」


裁判所によって犠牲にされる国益
 このように公正・公平・中立な立場で日本の英知を集結し設置された「原子力規制委員会」が、まさに日本の安全と安心のために二年以上も議論を重ねて策定した「世界一厳しい新規制基準」が今回、科学的知見を持ち合わせていない福井地裁によって「新規性基準は、緩やかに過ぎ合理性を欠く」「新規制基準に適合しても安全性は確保されない」「新規制基準に高浜原発が適合するか否かについて判断するまでもなく…」と、いとも簡単に否定されたのである。
 あたかも裁判所が、原子力に関する世界最高の知見を持ち合わせた原子力規制委員会よりも、科学的知見において優っていると言わんばかりの判決である。
 しかも司法の判断は絶対であり、仮差し止め処分は有効で、再稼働に支障をきたすおそれが出てきた。再稼働に支障をきたすことにでもなれば、当然関西電力の経営を悪化させ、それによる更なる電気代の値上げ、引いては日本経済全体の悪化という事態にもなりかねない。
 裁判所は、今回の仮差し止めで生じるであろう国民的損害について補償することはしない。そういう裁判所が無責任に今回の判決を出したことに、私は非常に憤りを感じる。


事実誤認だらけの裁判所~田中委員長の指摘~
 この様なことがあっても良いのだろうか。田中委員長は福井地裁の判決を受けて、「判断の前提となる幾つかの点で事実誤認が有り、新規性基準や審査内容が十分に理解されていないのではないか」と裁判所の判決を痛烈に批判した。
 事実誤認について言えば、例えば裁判所が「外部電源と主給水双方について基準地震動に耐えられるように耐震性をSクラスにすべき」と判示したのに対して、田中委員長は「外部電源のところですけれども、外部電源について、SBO(全電源喪失)を防ぐということで、我々は非常用電源とか、いわゆる電源車とかバッテリーとか、色々な要求をしています。外部電源は商用電源ですからCクラスですけれども、非常用電源についてはSクラスになっています。ですから、ざっと見ただけでもそういった非常に重要なところの事実誤認がいくつかあるなと思っています」とコメントしている。

 またもう一つ裁判所の事実誤認について挙げれば、裁判所が「使用済み燃料の給水設備の耐震性をSクラスにするという各方策がとられるべき」と判示したのに対し、田中委員長は「耐震重要度分類で給水設備はBだと書いてありますけれども、これはSクラスです。…プールの水が無くなったのではないかということが非常に懸念されたわけですね。ですから、プールの水がなくなるというのは非常に重要なことですから、そうならないようにということで、プール自体も、プールに給水するところも、あるいはプールの水を監視する水位計等も、みんな耐震上はSクラスにしています」と判決の誤りを指摘している。

 この他にも判決の内容に関して田中委員長は、幾つも重要な事実誤認を指摘し、既述の裁判所が仮差し止めの根拠とした3点について明確に反論を行い、裁判所は「新規性基準や審議内容が十分に理解できていない」と痛烈に批判したのである。


「裁判所万能論」を廃し、国民の利益を守れ
 裁判所は万能ではない。まして科学的分野においては、研究所を裁判所が兼ね備えているわけもなく、尚更万能とは言えず、科学的見地において確立された事柄に、本来口を挟むべきではない。
 裁判所ができることは、示された「新規制基準」に高浜原発が適合しているかどうかを判断することに尽きる。なぜならば「新規制基準の妥当性」を判断できる能力を裁判所は持たないからである。
 現に「原子力規制委員会」も、福井地裁の仮処分決定によって「新規制基準を見直す必要性は無い」という考えを示している。当然のことだ。間違いだらけの判決に従った方が危険だ。

 関西電力は今回の判決を受けて「速やかに不服申し立ての手続きを行い、再稼働に向けたプロセスへの影響を最小限に留めるべく、早期に仮処分命令を取り消していただくために、今後も高浜発電所3、4号機の安全性の主張・立証に全力を尽くしてまいります」とコメントしている。
 また安倍総理もこの判決が出された後、「原発については、いかなる事情よりも安全性を最優先することとし、原子力規制委員会が、科学的・技術的に審査し、世界で最も厳しいレベルの新基準に適合すると認めた原発について、その判断を尊重し、再稼働を進めていくのが政府の一貫した方針です」と国会答弁を行っている。
 我々政治・行政は今回の判決が出た今、尚更国民の生活が悪化しないよう、最善を尽くしていく必要があろう。


裁判所が間違えた場合はどうするのか
 今回の判決を行った裁判長は、これをもって名古屋の家裁に異動になるようだが、裁判所が特定のイデオロギーや偏見に基づいて判決を行う、あるいは事実について誤認や誤解をして判決を行っていたのでは、「法の支配」は中立性を失い、極めて不公平・不当なものになってしまう。更にそれが国益に影響を及ぼす場合、その損失は計り知れない。
 「三権分立」で言う「立法」と「行政」は間違いを犯したら選挙で否定され権力を失う。あるいは政権が交代し、権力が入れ替わる。つまりいわば「訂正機能」あるいは「引責機能」があると言っても良い。しかし「司法」にはそれがない、もしくは機能していない。唯一存在する「国民審査制度」は、罷免された裁判官はこれまで1人もいないことからもわかるように、実質機能しているとは言えない。裁判所は、いわば「否定さない次元」で絶対的な権力を振るっているのである。
 従って我々国民、特に政治家は「裁判所は全て正しい」という見方を改めなければいけないということを今回の一件で再認識し、更に「裁判所が間違える可能性」に備え、何らかの対策を考えておかなければならないと思う。「国民審査制度」の見直しもその一つだろう。

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「極めて不十分な安全保障法整備」
 昨年7月1日、集団的自衛権行使容認を含め、安全保障政策全般にわたり見直しを行う旨記した文書が閣議決定された。そしてそれを踏まえて、昨年末自民党内で安全保障法整備推進本部が設立され、現在に至るまで法整備に関する会議が行われてきた。しかし、せっかく国民的な議論を盛り上げ、安全保障法を大きく変える良いタイミングであったにもかかわらず、そこで決定された内容は極めて不十分と断じざるを得ない。
 そもそも大きく変化する国際社会の中で、我が国の平和と安全を維持し、国際的な義務と責任を果たすと謳い策定された昨年7月1日の「閣議決定」では、「切れ目の無い対応を可能とする国内法制を整備する」、「自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにする」という文言が記されていた。
 しかし、実際様々な議論を経た後まとめられたものは、我が国の防衛について「切れ目」が存在し、国際平和協力活動に関しても「幅は狭く」、「十分」とは到底言えない。


「切れ目のある離島防衛」
 まずは尖閣諸島周辺に関する防衛についてである。中国による「領海侵犯」は月3回から5回、公船によって定期的になされている。接続水域に対する侵入は月20回から50回に及ぶ。中国の意図は、既成事実を積み上げ、尖閣諸島周辺は日本の実効支配が及んでいないことを法的に証明することであり、領海侵犯そのものが目的と言っても過言ではない。実効支配が揺らげば、当然「日米安全保障条約第5条」の対象からも外れる。
 確かに、国際法では国連海洋法条約において「無害通航権」が認められているが、中国が行っている通行は、これには当たらない。加えて、同条約の25条では「沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置を取ることができる」とされている。公船に対しても、比例性は担保しつつも、必要な措置を取ることはできる。つまり日本は中国公船の領海侵犯に対し、法的には「それを防ぐために必要な措置をとることができる」のである。しかし現在の日本は、外国公船が上陸を標榜して進んでくる場合に、それを防ぐ必要な措置をとる法整備がしっかりなされていない。これは武力行使に至らない侵害、いわゆる「グレーゾーン事態」とか「マイナー自衛権」として議論されているが、今回の法整備でもしっかりとした結論が出されておらず、「切れ目」となっている。


「幅は狭く、不十分な国際協力」
 今回の政府与党が決定した安保法制は、肝心な時に自衛隊が活動できないように縛るものだ。例えば、自衛隊が非戦闘地域で「日本や国際社会の平和のために活動する他国軍」に後方支援を行っていたところ、支援していた軍に対しどこかの国または国に準ずる組織が攻撃を加えた場合、日本の自衛隊は後方支援を中止し撤退しなければならない。つまりまさにこれから給油等の支援が必要な時に、日本の自衛隊は協力できなくなることになる。これで果たして「幅広い支援活動」で「十分に役割を果たす」と言えるだろうか。
 また、集団的自衛権発動に関しても他国では見られない「存立危機事態」の認定という基準が設けられた。例えば「9・11同時多発テロ」をきっかけに、米国はアルカイーダをかくまうアフガニスタンに自衛権の行使を行った。これに対し当時NATOは集団的自衛権を発動し、日本は「非戦闘地域」において「後方支援」を行った。今回の法整備では、日本もNATO同様に集団的自衛権を発動できるようになることが期待されたが、集団的自衛権発動には「存立危機事態」の認定が必要とされることとなった。そしてアフガン攻撃はそれに当たらないことが確認された。これも国際社会や同盟国からは「不十分」と思われるだろう。
 私は米国のアフガン攻撃のような事態が起こった場合、集団的自衛権を発動するかどうかは時の政府の判断であり、発動しないという判断をすることもあると思うが、法整備は十分に行っておくべきだと考える。


「拉致被害者の救出を阻む憲法9条」
 そしてもう一つ大きな問題は、「邦人救出」についてである。先般行われた拉致議連の会場でも問題点を指摘したが、昨年の閣議決定や自民党が取りまとめた方針でも、「邦人救出」には「当該領域国の受け入れ同意がある場合」という限定が付け加えられている。つまり日本政府は北朝鮮による拉致被害者を物理的に救出することはしないと断言したに等しい。北朝鮮が邦人救出に同意するはずないからだ。
内閣府や外務省によれば、「受け入れ国の同意が必要」という限定を加えた理由は「憲法9条」による制約だという。
 拉致問題は、被害者家族も高齢になり、時間的制約がある。家族会も救う会も、文字通り今年が拉致問題の「最終決戦の年」としている。政府はこのことをきちんと認識して誠意をもって全力を尽くすことができているだろうか。今回の「邦人救出」に関する法整備に、「受け入れ国の同意がある場合」という限定がついていることは非常に残念でならない。実際に特殊部隊を作って救出作戦をするかどうかは能力的にも課題があり難しいとしても、日本人を救出するためには「受け入れ国の同意がない場合」もできるように法整備しておくことは、北朝鮮に対する圧力にもなり、必要なことだと私は考える。


「9条が原因なのか、それとも覚悟が無いことが原因なのか」
 これまで挙げてきた問題点の原因は、全て「憲法9条の制約」だと政府役人は答弁している。しかし本当にそうだろうか。「憲法9条」のどこを読んでも拉致された被害者を救出できないとは書いていない。国際法上も自国民救出については、「憲法9条」の禁じていない「自衛権」で説明されることが多い。まして日本人拉致事件のように、国家が首謀し、組織的に大量に日本人を拉致し監禁し、工作員として教育し、国際的なテロ事件を起こすような場合、邦人救出を行っても、当然、最小限度の「自衛権の行使」で説明できる。もっと言えば、先に述べた集団的自衛権行使も国際平和協力活動も、すべて憲法解釈の変更を行うだけで十分説明できる。にもかかわらず憲法解釈の変更、更にはそれにかかる法整備をしないのは「覚悟」が無いとしか言いようがない。つまりすべては恣意的に行使できないように、憲法を言い訳に使っているのである。
 先日、ある米国出身の弁護士が「憲法9条は、米国に刃向かった日本に対する制裁措置・ペナルティだ」と語っていた。日本国憲法をつくったGHQは、まさに「制裁」として「憲法9条」を入れたのだろう。しかし日本人は、その「制裁」としての憲法9条を、あろうことか逆に非常に高く評価し、守ってきた。アメリカ人から見ると、不可解あるいは滑稽に見えるだろう。
そして今、その「憲法9条」が邦人救出を阻み、日本の国際協力を阻止している。政府が言うように、拉致被害者救出に全力を尽くすというのなら、「そんな憲法は改正すべきだ」と叫ぶのが政府の仕事であろう。
 もっとも私は現行憲法でもすべて十分対応できる解釈が可能だと思っている。つまり全ては政府、ひいては国民の「覚悟」の問題なのだと思う。

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