受験に至る過程~の続きです。
中学生の勉強もしたことないまま、大学受験への勉強が始まりました。
とりあえず親が塾へ行こう!と言ってきたので、集団授業の塾へ行くことに決めました。
そして初の授業、長文読解の講座でした。
長文用のテキストを渡されて、ぼくは思いました。
「え、これはさすがに無理だろ・・・?英文がめちゃ羅列されてるし、、知ってる単語とか I くらいだよ・・・。。。」
そう、ぼくは完全に大学受験をなめきっていたんですね。
そもそも普通だったら中高で合計6年間、普通の人は学校+家で宿題やらをして勉強するわけですからね。高2の冬だったので、だいたいみんな5年分くらいは英語を勉強してきてるわけですよ。
それに対して自分が英語を勉強したのは・・・this is a penくらいしか読めないよ・・・となりました。
そのときまず挫折みたいな、こんなの追いつける気がしないという絶望感が襲ってきました。
でもそんなんでやめれるほど自分の意志も弱くなかったし、早稲田に行きたかったので、とりあえず英語はすごいかんたんな中学生用の参考書を買って勉強を始めました。数学はなぜか±の計算も怪しいのにもかかわらず、白チャートから始めました。
最初はほんとにつらかったです。
英語もまず単語ほぼすべて分からないし、数学にしてもどう勉強していいか分からなくて、ただ白チャートの基本事項をノートに写して満足してました(笑)。
まず勉強のやり方自体を知らなかったんです。
知らなかったけれど、とりあえず塾にはさぼらず行っていました。ちなみにそのときぼくがバカすぎてめちゃくちゃ目立ってたらしいです(笑)。
そんな感じでめちゃくちゃがむしゃらにつっぱしったのが受験の開始時期ですね。
英語とか数学ともについてもこの記事で書きたかったんですけど、結構エピソードみたいなものが多いので、また違う記事で書きますね~。
少し前からこのブログを毎日更新してます。
更新を再開した理由は、単純に更新したかったからです(笑)。
ぼくは大学入学後、いまいち自分のやりたいこととか興味があることが分かりませんでした。
基本的にぼくは何かに没頭してないと人生がくそつまらないと思ってしまう人間なんで、大学入学後くそつまらないなーと毎日思ってたんです。
なんとなく大学は楽しいと自分に無理やり言い聞かせて生きていたんです。
でも、ああこれなんか違うな・・・と思い始めて、自分のやりたいことを懸命に探すことにしました。
とりあえず、TOEICの勉強を始めてみました。
まあおもしろくもつまらなくもないけど、そもそも英語に興味がない・・・ので、たいして本気になれませんでした。勉強してるとすごくストレスたまるし、勉強しても達成感なかった感じ。
じゃあ次は何があるかなーって考えると、あったんですよ。
不登校なってネトゲ廃人なってそっから 大学受験目指すっていう普通じゃない過程を語りたい。どこまで人間墜ちても、人間やろうと思えば這い上がれるてきなことを発信したいなーと思ったんです。
そういう理由で今、ブログを書いてます。
こういう自分の大学入学後とかの生活をみてると、ほんとに自分はやりたいこと以外やりたくないし、やらない人間なんだなーと改めて思いました。
うん、やっぱりやりたくないことはやらないにつきますね。
更新を再開した理由は、単純に更新したかったからです(笑)。
ぼくは大学入学後、いまいち自分のやりたいこととか興味があることが分かりませんでした。
基本的にぼくは何かに没頭してないと人生がくそつまらないと思ってしまう人間なんで、大学入学後くそつまらないなーと毎日思ってたんです。
なんとなく大学は楽しいと自分に無理やり言い聞かせて生きていたんです。
でも、ああこれなんか違うな・・・と思い始めて、自分のやりたいことを懸命に探すことにしました。
とりあえず、TOEICの勉強を始めてみました。
まあおもしろくもつまらなくもないけど、そもそも英語に興味がない・・・ので、たいして本気になれませんでした。勉強してるとすごくストレスたまるし、勉強しても達成感なかった感じ。
じゃあ次は何があるかなーって考えると、あったんですよ。
不登校なってネトゲ廃人なってそっから 大学受験目指すっていう普通じゃない過程を語りたい。どこまで人間墜ちても、人間やろうと思えば這い上がれるてきなことを発信したいなーと思ったんです。
そういう理由で今、ブログを書いてます。
こういう自分の大学入学後とかの生活をみてると、ほんとに自分はやりたいこと以外やりたくないし、やらない人間なんだなーと改めて思いました。
うん、やっぱりやりたくないことはやらないにつきますね。
ネトゲに飽きてネトゲをやめたあと、ぼくは家族といる時間がすごく増えました。
2、3年間あんまり家族と話したりしてなかったので、いろんなことを話しました。ネトゲ廃人だったときのこともめちゃくちゃ詳しく話した記憶があります(笑)。
家族と話してると、「ああ、おれにも戻る場所はあるのかもしれないな」と考えられてすごく心地よかったし、楽しかったんです。
そんな感じでネトゲをほぼやめて数ヶ月経ってきたときに、そのネトゲの掲示板を見てたら学歴について語られてたんですよ。
「おまえらは低学歴だろw~~は東大だし、~~は明治だし」みたいなフレーズを見たんですたまたま。
そこで初めて、学歴ってあるほうがかっこいいんだなと素直に感じたんですよね。
ぼくはその頃、自分の高校名も言いたくないし、それをコンプレックスとしていました。
やっぱり学歴あったほうがカッコイイよなーと思い始めて、じゃあ早稲田行けば解決じゃん!楽勝~!と楽観的に考え出しました。当時はどんだけ高い壁を登るかもしらずに・・・!
それで、母親とか父親に「おれ早稲田行くわ早稲田!まじでおれ早稲田行くから!!」と宣言するようになっていて、両親も「いいじゃん。がんばれよ!!」みたいに応援してくれたんですよ。
普通だったら、「いやおまえが早稲田とか無理だろ笑」ってなるじゃないですか。たとえ自分の子供だとしてもね。だって中1から全く勉強しないでネトゲしてた息子(笑)ですからね。
だけど、自分の両親は応援してくれて、ぼくも1年くらい猛勉強すりゃ早稲田くらいいけると楽観的に、でもなぜか自信を持っていました。
たぶんこの自信はネトゲをあほみたいにできたんだから、他のこともあほみたいにできるようになるてきな考えからの自信だったと思います。
こんな感じで根拠のない自信から早稲田を目指しだしました。
根拠のない自信なのに、おれならなんでもやればできるって思い込んでスタートを切りました。
今思うと、このおれならやればできるっていう感覚?錯覚?はすごく大事だなと思います。
自分で自分を奮い立たせるような誓いのようなもの。厨二病っぽいけれど(笑)こういうアツイ想いが人間を動かすんだな!と!
2、3年間あんまり家族と話したりしてなかったので、いろんなことを話しました。ネトゲ廃人だったときのこともめちゃくちゃ詳しく話した記憶があります(笑)。
家族と話してると、「ああ、おれにも戻る場所はあるのかもしれないな」と考えられてすごく心地よかったし、楽しかったんです。
そんな感じでネトゲをほぼやめて数ヶ月経ってきたときに、そのネトゲの掲示板を見てたら学歴について語られてたんですよ。
「おまえらは低学歴だろw~~は東大だし、~~は明治だし」みたいなフレーズを見たんですたまたま。
そこで初めて、学歴ってあるほうがかっこいいんだなと素直に感じたんですよね。
ぼくはその頃、自分の高校名も言いたくないし、それをコンプレックスとしていました。
やっぱり学歴あったほうがカッコイイよなーと思い始めて、じゃあ早稲田行けば解決じゃん!楽勝~!と楽観的に考え出しました。当時はどんだけ高い壁を登るかもしらずに・・・!
それで、母親とか父親に「おれ早稲田行くわ早稲田!まじでおれ早稲田行くから!!」と宣言するようになっていて、両親も「いいじゃん。がんばれよ!!」みたいに応援してくれたんですよ。
普通だったら、「いやおまえが早稲田とか無理だろ笑」ってなるじゃないですか。たとえ自分の子供だとしてもね。だって中1から全く勉強しないでネトゲしてた息子(笑)ですからね。
だけど、自分の両親は応援してくれて、ぼくも1年くらい猛勉強すりゃ早稲田くらいいけると楽観的に、でもなぜか自信を持っていました。
たぶんこの自信はネトゲをあほみたいにできたんだから、他のこともあほみたいにできるようになるてきな考えからの自信だったと思います。
こんな感じで根拠のない自信から早稲田を目指しだしました。
根拠のない自信なのに、おれならなんでもやればできるって思い込んでスタートを切りました。
今思うと、このおれならやればできるっていう感覚?錯覚?はすごく大事だなと思います。
自分で自分を奮い立たせるような誓いのようなもの。厨二病っぽいけれど(笑)こういうアツイ想いが人間を動かすんだな!と!
なんだかんだで、ぼくは高校に入学することができて高校生になることができました。
高校生になったから生活が変わるかな・・・?と思いきや、実は生活はほぼ変わりませんでした。
定時制の高校で、昼から夕方にかけて学校に行ける仕組みの学校だったので、相変わらず真夜中までネトゲ三昧でした。
高校生になったからか、自分の知性(笑)も育ってきて、ネトゲ内で自分は変化し始めていました。
ネトゲにはそのネトゲのコアな層があります。
本当にコアな層で、社会人が毎月の給料のほとんどを使ってなれるようなネトゲ廃人層です。そのゲーム内で有名になってしまうような、ゲームは遊びじゃない層です。
ぼくは気付くとその層に憧れていました。普通とは違う圧倒的な火力(ゲーム内のステータスの高さ)やカリスマ性に。
そうなるためには毎月最低十万くらいのゲームへの課金は必要です。
しかしそんなことできるほどの財力は全くありませんでした。
じゃあどうするかっていうと、ゲーム内で稼ぐしかないというふうになりまして、ゲームが次第にゲームから遊びじゃないものへとなっていきました。
そうなるとそこ以外見えなくなったので、学校は単位を落とさないレベルまで休みまくって、学校へ行ったら爆睡して、歩きながらゲームのことを考えるというキチガイみたいな生活が始まりました。
ネトゲにいれる時間は減ったのに、ネトゲのやり方は中学生の頃の引きこもってた以上に上手くやっていました。
そんなこんなでゲームを本気でやりまくってると次第にゲーム内でお金が貯まってきて、コアな層に入っていけるだけの資金が貯まり、毎月そのくらいの資金も調達できるほどのノウハウを身につけていました。
そうしてガチなコア層の仲間がたくさんできていきました。
で、ネトゲでのガチなコア層は結構すごいんですよこれが。
ただの社会不適合者かと思いきや、ニートだったとしてもやたらゲーム内で頭がキレる人もいるし、逆にリアルな世界で金持ちでどっぷりネトゲに課金する人もいたりでまわりが面白い人たちになってました。ちなみにぼくのやっていたネトゲではRMT(リアルマネートレード)をしている人が多く、普通にゲーム内で稼いでリアルでも生活できるレベルでした(笑)。
あと、そのネトゲのすごいところは、装備が十数箇所あるんですけど、そこ一箇所に現金10万とか普通にかけちゃえるところなんですよね。
そしてネトゲなのである一定期間がたつと、その数十万円する装備がゴミになるという。これもまたネトゲの醍醐味なんですけど、結構ネトゲの強い話しです。
こんな感じで高1の頃は、ネトゲ廃人層を駆け抜けていました。かなり刺激的で楽しかったです。
でも高1の終わり頃に、もうそのゲームに飽きを感じ始めました。
このゲームでくそ強くなれた。ゲーム内でも「うわ、あいつやべえやつだ」みたいになっていても、意外とおもしろくなくなってきたんですよね。ああこんなもんかみたいな。
例えると、山をがんばって登って、その後見えた景色にもう飽きてきたみたいな。
それ以上登るところもあんまりなかったしね。
そうなると一気にそのネトゲに興味がなくなってきたんですよね。というか、ネトゲなんて所詮どれもこんなもんなんだろうな・・・と思い始めました。
ネトゲをしてた人がやめると、掲示板とかブログとかに「まじこのゲームはクソゲーだわw」とか言ってやめる人が多いんですけど、なんとなくその気持ちが分かりました。
高校生になったから生活が変わるかな・・・?と思いきや、実は生活はほぼ変わりませんでした。
定時制の高校で、昼から夕方にかけて学校に行ける仕組みの学校だったので、相変わらず真夜中までネトゲ三昧でした。
高校生になったからか、自分の知性(笑)も育ってきて、ネトゲ内で自分は変化し始めていました。
ネトゲにはそのネトゲのコアな層があります。
本当にコアな層で、社会人が毎月の給料のほとんどを使ってなれるようなネトゲ廃人層です。そのゲーム内で有名になってしまうような、ゲームは遊びじゃない層です。
ぼくは気付くとその層に憧れていました。普通とは違う圧倒的な火力(ゲーム内のステータスの高さ)やカリスマ性に。
そうなるためには毎月最低十万くらいのゲームへの課金は必要です。
しかしそんなことできるほどの財力は全くありませんでした。
じゃあどうするかっていうと、ゲーム内で稼ぐしかないというふうになりまして、ゲームが次第にゲームから遊びじゃないものへとなっていきました。
そうなるとそこ以外見えなくなったので、学校は単位を落とさないレベルまで休みまくって、学校へ行ったら爆睡して、歩きながらゲームのことを考えるというキチガイみたいな生活が始まりました。
ネトゲにいれる時間は減ったのに、ネトゲのやり方は中学生の頃の引きこもってた以上に上手くやっていました。
そんなこんなでゲームを本気でやりまくってると次第にゲーム内でお金が貯まってきて、コアな層に入っていけるだけの資金が貯まり、毎月そのくらいの資金も調達できるほどのノウハウを身につけていました。
そうしてガチなコア層の仲間がたくさんできていきました。
で、ネトゲでのガチなコア層は結構すごいんですよこれが。
ただの社会不適合者かと思いきや、ニートだったとしてもやたらゲーム内で頭がキレる人もいるし、逆にリアルな世界で金持ちでどっぷりネトゲに課金する人もいたりでまわりが面白い人たちになってました。ちなみにぼくのやっていたネトゲではRMT(リアルマネートレード)をしている人が多く、普通にゲーム内で稼いでリアルでも生活できるレベルでした(笑)。
あと、そのネトゲのすごいところは、装備が十数箇所あるんですけど、そこ一箇所に現金10万とか普通にかけちゃえるところなんですよね。
そしてネトゲなのである一定期間がたつと、その数十万円する装備がゴミになるという。これもまたネトゲの醍醐味なんですけど、結構ネトゲの強い話しです。
こんな感じで高1の頃は、ネトゲ廃人層を駆け抜けていました。かなり刺激的で楽しかったです。
でも高1の終わり頃に、もうそのゲームに飽きを感じ始めました。
このゲームでくそ強くなれた。ゲーム内でも「うわ、あいつやべえやつだ」みたいになっていても、意外とおもしろくなくなってきたんですよね。ああこんなもんかみたいな。
例えると、山をがんばって登って、その後見えた景色にもう飽きてきたみたいな。
それ以上登るところもあんまりなかったしね。
そうなると一気にそのネトゲに興味がなくなってきたんですよね。というか、ネトゲなんて所詮どれもこんなもんなんだろうな・・・と思い始めました。
ネトゲをしてた人がやめると、掲示板とかブログとかに「まじこのゲームはクソゲーだわw」とか言ってやめる人が多いんですけど、なんとなくその気持ちが分かりました。
さてさて~ぼくの経験した高校受験について書きたいと思いまーす。
ネトゲ廃人だったぼくは当時、全く高校についてなんて考えていなかったのですが、ぼくの両親がそろそろ高校について考えようと言ってきたのが、たしか中3の冬くらい?でした。
基本的にぼくの両親は、ぼくがすることに口は出しません。というか、最初はある程度言ってくるんですけど、ぼくが自分のしたいようにしかしないので結局ぼくのしたいようにさせてもらってました。
なので、両親はぼくが中2から中3まで引きこもってひたすらネトゲをしててもそっと見守ってくれていました。
実際、両親からしたらたぶん発狂ものだったと思う!し、発狂ものだったそうです。
でも、高校だけはどんなところでもいいから行ってほしかったみたいで、ぼくにその話しをしてきました。
最初は、高校なんて行きたくないしどうでもいいわーと思っていたんですけど、母親も泣いてたんで、とりあえず行くかなと考え始めました。
普通に考えて内申がないんで普通科の高校に入学はできない現実と家にお金がなかったので私立は行けない現実がありました。
でも東京にはチャレンジスクールとかいう不登校の人とか勉強ができなさすぎる人が行ける都立の高校があったんでそこに行くことに決めました(親と先生が)。
テスト内容は作文と面接と事前に書いて出す作文みたいなやつで、何から何まで親とか先生がやってくれました。
実はそのときに出会った中学の担任の先生と、ぼくの事前に出す作文みたいなのを考えてくれたおばさんとか言っちゃだめですね、おばさんがいて、その人たちがぼくの人生を社会から離脱したぼくを社会へと引き戻してくれました。この話しは後々しましょう。
事前に出す作文を手伝ってもらったっていうか、内容をすべて考えてもらってる期間、ぼくは中学校に行かなければならなくて、行っていました。
昔いじめてきたやつとかに会ったら怖い、ていうか人に会うのが怖くて学校に行くのがすごくつらかったのを覚えてます。
作文の内容を考えてもらっている間、ぼくはすでにネトゲ中毒だったので早く帰りてーみたいなことをボヤボヤ言ってたそうです。
で、後々知ったんですけど担任はぼくのことをぶん殴りそうになってたらしいです(笑)
当たり前のようにぶん殴りたくなりますよね。おまえの人生なのになんでおまえが人にやってもらって帰りたいとか言ってんだよってね。ぼくだったらぶん殴るっていうか見放しますね!
でもさっき登場したおばちゃんが必死に担任を止めて、ぼくの母親が謝ってなんとか事前作文を出すことができました。
そして高校受験当日は、高校受験とは思えないようなお葬式みたいなムードで行われました。
みんな親と一緒にきてて活気がないことないこと。
ああこれが社会底辺なんだな、と中3にして知り、感じました。
受験した感想は、作文も普通に書けたし、面接もいけた気がするーとか思っていたらなんと普通に落ちました笑。
そこでもう2次募集をぼくは受けたくないなーと思ったんですけど、ここは親が2次はとりあえず受けるだけ受けろ!!とめちゃくちゃ説得してきたので、ぼくはとりあえず受けにいきました。
たしか締め切りの前日の夜とかにまた作文書いた気がします。ほんと自分の人生なのに自分の人生じゃないものかってくらいやる気も興味も当時はなかったんです。
そして2次募集の試験を受けに行って、作文でてきとーに大学いきたいでーーすみたいに書いたら受かってました。
倍率が2次だからくっそ高かったのになんで受かったんだろう?という疑問しか頭にありませんでした。
こうしてぼくは自分の力を一切使わず、他人の力だけで高校に入学することができましたとさ。
こう振り返ってみると自分のクソ野郎っぷりが引き立ちますね笑!!
でも、今はめちゃくちゃ両親と中3の頃の担任の先生とれいのおばちゃんには感謝でいっぱいです。この人たちがいなかったら今の自分はいないんだろうなーとほんとに思いますし、あのクソ高校(自分を母校をクソとか言っちゃだめです)に行ったからこそ感じたものがありました。
こういう経験は自分の人生の糧、しかも人と違いすぎる糧になってると思うので、今は悪くないと思ってます。
ネトゲ廃人だったぼくは当時、全く高校についてなんて考えていなかったのですが、ぼくの両親がそろそろ高校について考えようと言ってきたのが、たしか中3の冬くらい?でした。
基本的にぼくの両親は、ぼくがすることに口は出しません。というか、最初はある程度言ってくるんですけど、ぼくが自分のしたいようにしかしないので結局ぼくのしたいようにさせてもらってました。
なので、両親はぼくが中2から中3まで引きこもってひたすらネトゲをしててもそっと見守ってくれていました。
実際、両親からしたらたぶん発狂ものだったと思う!し、発狂ものだったそうです。
でも、高校だけはどんなところでもいいから行ってほしかったみたいで、ぼくにその話しをしてきました。
最初は、高校なんて行きたくないしどうでもいいわーと思っていたんですけど、母親も泣いてたんで、とりあえず行くかなと考え始めました。
普通に考えて内申がないんで普通科の高校に入学はできない現実と家にお金がなかったので私立は行けない現実がありました。
でも東京にはチャレンジスクールとかいう不登校の人とか勉強ができなさすぎる人が行ける都立の高校があったんでそこに行くことに決めました(親と先生が)。
テスト内容は作文と面接と事前に書いて出す作文みたいなやつで、何から何まで親とか先生がやってくれました。
実はそのときに出会った中学の担任の先生と、ぼくの事前に出す作文みたいなのを考えてくれたおばさんとか言っちゃだめですね、おばさんがいて、その人たちがぼくの人生を社会から離脱したぼくを社会へと引き戻してくれました。この話しは後々しましょう。
事前に出す作文を手伝ってもらったっていうか、内容をすべて考えてもらってる期間、ぼくは中学校に行かなければならなくて、行っていました。
昔いじめてきたやつとかに会ったら怖い、ていうか人に会うのが怖くて学校に行くのがすごくつらかったのを覚えてます。
作文の内容を考えてもらっている間、ぼくはすでにネトゲ中毒だったので早く帰りてーみたいなことをボヤボヤ言ってたそうです。
で、後々知ったんですけど担任はぼくのことをぶん殴りそうになってたらしいです(笑)
当たり前のようにぶん殴りたくなりますよね。おまえの人生なのになんでおまえが人にやってもらって帰りたいとか言ってんだよってね。ぼくだったらぶん殴るっていうか見放しますね!
でもさっき登場したおばちゃんが必死に担任を止めて、ぼくの母親が謝ってなんとか事前作文を出すことができました。
そして高校受験当日は、高校受験とは思えないようなお葬式みたいなムードで行われました。
みんな親と一緒にきてて活気がないことないこと。
ああこれが社会底辺なんだな、と中3にして知り、感じました。
受験した感想は、作文も普通に書けたし、面接もいけた気がするーとか思っていたらなんと普通に落ちました笑。
そこでもう2次募集をぼくは受けたくないなーと思ったんですけど、ここは親が2次はとりあえず受けるだけ受けろ!!とめちゃくちゃ説得してきたので、ぼくはとりあえず受けにいきました。
たしか締め切りの前日の夜とかにまた作文書いた気がします。ほんと自分の人生なのに自分の人生じゃないものかってくらいやる気も興味も当時はなかったんです。
そして2次募集の試験を受けに行って、作文でてきとーに大学いきたいでーーすみたいに書いたら受かってました。
倍率が2次だからくっそ高かったのになんで受かったんだろう?という疑問しか頭にありませんでした。
こうしてぼくは自分の力を一切使わず、他人の力だけで高校に入学することができましたとさ。
こう振り返ってみると自分のクソ野郎っぷりが引き立ちますね笑!!
でも、今はめちゃくちゃ両親と中3の頃の担任の先生とれいのおばちゃんには感謝でいっぱいです。この人たちがいなかったら今の自分はいないんだろうなーとほんとに思いますし、あのクソ高校(自分を母校をクソとか言っちゃだめです)に行ったからこそ感じたものがありました。
こういう経験は自分の人生の糧、しかも人と違いすぎる糧になってると思うので、今は悪くないと思ってます。