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不登校から早稲田へ

自分の経験を混ぜ込みつつ、受験生に向けた記事を書いていきます。たまにブログっぽい記事もあるかも!

人と群れてばっかりいる人は成長する機会を逃しますよ。


人といることで、楽しみを共有できたり、互いに励ましあうことができたり、良い側面もめちゃくちゃあります。これは計り知れないくらい、ぼくたちは他者と関わりあって生きていますね。


でも、いつもいつも事あるごとに人と一緒にいるようでは、自分の成長のために時間を使うことができません。


いつも書いてますけど、結局は人生努力次第です。どれくらい正しい方向に努力したかで、自分の夢や目標を実現することができます。


人といつもいつも一緒にいたら、明らかに努力量は減りますよね。これは明白です。


じゃあ人と関わらないのかっていうとそれもまた違います。


ぼくなんかの場合は人との関わりがあるからこそがんばってるということも普通にあります。まあ大学入学後はわりと怠けてるので、がんばってませんでしたが。


人と会う時に、やっぱりかっこいい自分を見せたいじゃないですか。おれこんなことしてるんだぜふっふーんみたいな。


見栄っ張りといえば見栄っ張りですが、これもまた人生の楽しみであるし、自分の身の丈以上のことを語らなければ見栄っ張りではなくて現状をただ話しているだけです。


そういうふうに他者とかかわるときに自信のある自分でいたいということも大きいですよね。


まあ結局は人生自己満足なんですけど、満足できないまま人生終わるのって嫌じゃないですか。


じゃあもうがんばるしかないな。うん。みたいな結論ですね~。


授業は息抜き程度に考えるのがいいです。


まあ、今は授業が無駄だとか、無駄じゃないとかそういう議論もしたいところではあるんですけど、それは人それぞれじゃないですか。人の話しのが理解しやすい人もいれば、そうでない人もいます。


個人的には、授業はあまり好きじゃないですけど、東進とかそこらへんの一流の授業はやっぱり聞くと分かりやすいんじゃないですかねー。だって、東進の講師陣は日々授業を研究して、研究し尽くしてるわけですからね。それで授業の質が低いわけないだろてきな考えです。


逆にそこらへんのまあまあ有名な塾とか予備校の授業は微妙でしょう。そんなんをがっつり受けるなら参考書でやったほうが絶対良いです。


とまあ、話題がそれてしまいましたけど、授業ってのは息抜き程度に考えるのがオススメです。


まず授業は、絶対に講師の話しを聞くという時間が一番長いです。


この状態はいわゆる、ぼくの嫌いな受け身的な状態です。


でもこの受け身的な状態が有効である場面もあります。


それはしっかりと参考書や問題集を使って、勉強してる人で疲れてきたときとかですね。


参考書や問題集での勉強はやはりマンネリ化します。1日中やってたら普通に飽きます。


けれど、授業というシステムは人もたくさん集まるし、講師が話すしで受け身的な姿勢にはなってしまいますが、勉強特有のマンネリ化がかなり解消されるものであると思います。


というわけで、授業は受けさせられるんじゃなくて自分の勉強リズムのなかにうまく組み込んで利用しましょうということでしたー。

受験生でも浪人生でもある程度は外にでることをおすすめします。

なぜおすすめするかというと、一日中勉強できればそれは最高ですけど、それって無理じゃないですか。いや普通に無理ですよ。精神的におかしくなります。

でしかも、精神がおかしくなってから元の平常の状態に戻すのってめっちゃ大変です。

なので狂ってしまうまえに、ある程度外にでたりして気分転換をしないと受験勉強が続かなくなります。

まあ例を挙げるとまさにぼくの場合なんですが。ぼくは自宅浪人したので、受験が近づくにつれてもっと勉強しないと!もっと!!!おお!!!もっとだー!!うおりゃーー!!って感じで自分を追い詰めまくってたんです。

それを続けてると、どうなるかっていうと逆に勉強できなくなります。勉強することが、本来は目標に向かっている努力から楽しいと思ってたはずなのに、急につらいものへと変わります。そうすると勉強ができなくなって精神的にやばくなってきます。精神的にやばくなってくると受験とかもうどうでもよく思えてきて、鬱病みたいになります。

こうなる前にある程度、これも受験勉強のためだと考えて、外に出たり気分転換をするようにしたほうがいいです。これは間違いないです。潰れてからだと戻るまでつらいですよ。

なので、外にでて散歩したりして気分転換しましょう。散歩が楽しすぎて勉強に戻れない人っていうのはあまりいませんし、散歩は良いですよ。
人と差をつけるには、徹底的に成長するスピードを上げる以外道はないです。

これはポテンシャルとか才能とかそういう言葉で片付けるのではなくて、努力量ということです。人と圧倒的に差をつけるには努力量で圧倒するしかありません。

才能は確かに世の中存在します。ぼくみたいな人間がいくら努力したって、100mを10秒切るのは不可能です。

でも才能があまり関係しない世界、つまり受験などの積み上げ型のものは、努力量がものを言います。

人と圧倒的に差をつける、人を追い抜くには努力の量を限界まで高めていくしかありません。

と、まあこれは自分に言い聞かせてる内容でもあります。

人生は大学受験に成功したら終わりというわけじゃありません。むしろそれからその大学受験した経験をどう活かすか、どう大学生活をおくるかなんですよね。

どこに行っても、人間は必ず流されて生きてしまいがちな生き物です。たとえ目標があっても、目先の楽しさとか雰囲気にのまれがちです。

でもぼくはそうやって生きていくのがすごく嫌なので、自分がたとえその時つらかろうが自分のために自分に鞭を打つしかないと思ってます。まあ自分を高めるのは結局、なかなかつらいということですね!うん、つらい!

でもやりたいから、なりたい自分があるからがんばる。それで良いんだと思います。

秋から冬にかけて、受験生は過去問をやりますし、どの塾でも予備校でもやらされますよね。


で、まあなんか雰囲気的に過去問は神!これはまじで神アイテムだ!!みたいなこう意味不明な風習があるんですよ。過去問すればなんか良いだろてきな。


でもそれって間違ってて、普段の参考書とか問題集をきっちりこなせてるやつは最初からある程度過去問でも良い点数取れるし、逆にもともとのインプット量が少ないのに過去問ばっかやっても点数は上がりません。点数上がったとか感じるなら、それは数こなしてるからたまたま運良く分かる問題がたくさんでただけです。


だから、過去問ばっかやってりゃいいわけじゃないです。


過去問の良いところは、出題傾向や範囲がある程度のめぼしがつくことと時間配分に慣れることくらいです。


あと、模試の復習って結構時間かかりますよね。それと同じで、過去問もできなかった問題をしっかりとできるようにする作業をしないとただの作業ですので、しっかりと復習をする必要があります。


そう考えると、過去問をあほみたいに受ける私大のやつ全部買ってもどうせ全部やりきれませんよ。


自分の時間の許す範囲で過去問を研究するなりして、それ以外は参考書や問題集でインプットするほうが効率が良いです。まあ、英語の長文とかは過去問で勉強しても良いかもですけどね。


過去問を徹底的に研究したところで、自分のインプットしてある知識量が不足してたら問題解けませんからね。それじゃ本末転倒です。