そしてせんせいは、昭和63年にいけだいさくほんもん改称の大陰謀を見抜かれるや、身を捨ててほんもん改称の陰謀粉砕の戦いに打って出られました。
 もし大石寺の名称をほんもんに改称したら、大石寺の正本堂しょうほんどうがそのままほんもん戒壇かいだんとなり、正本堂しょうほんどう誑惑おうわくが完結する。
 これ、ほんぶつ遺命ゆいめいの完全破壊、さんだいほう蹂躙じゅうりんを意味しております。
 せんせいは、学会・しゅうもんほんもん改称を目論んだ平成2年の4月『正本堂しょうほんどう誑惑おうわくし、ざん清算せいさんを求む』と題したかんぎょうしょをしたためられました。
 この一書をもって正本堂しょうほんどう誑惑おうわくの根を断ち切り、戒壇かいだんだいほんぞんに対したてまつる不敬を一日も早く解消したてまつらんとされたのであります。
 申すまでもなく、正本堂しょうほんどう誑惑おうわくの根とは、にっけんが教学部長時代にあらわした『国立こくりつ戒壇かいだんろんの誤りについて』『ほんもん戒壇かいだんの本義』という2冊の悪書であります。
 これを書くに当たっては、いけだいさくの指示の下で学会の教学部首脳並びに学会の弁護士・けんグループが邪智を出し合い、それをにっけんがまとめたとわれている。
 日蓮にちれん正宗宗務院教学部長の名をもって『さんだいほうしょう』の御聖意をズタズタに破壊したのであります。
 まさしく『しょ』の

どうあくにんにょらいしょうぼうやぶがたし、ぶつとうかならぶっぽうやぶるべし、しんちゅうむしとらうんぬん

金言きんげんの通りであり、にっけんこそしんちゅうむしその人であります。
 せんせいは、このかんぎょうしょを平成2年の元日から実に4か月の間一室にもり書き上げられました。
 国立こくりつ戒壇かいだんを否定して正本堂しょうほんどうを「遺命ゆいめい戒壇かいだん」とするにっけんの巧みなたばかりに対し、せんせいはありとあらゆる金言きんげんじゅうおうじんに引かれて、また、政治学、憲法学まで駆使くししてかんなきまで一刀いっとう両断りょうだんされ、返す刀でだいしょうにんさま甚深じんじんの御聖意、ほんぶつの究極の大願たる遺命ゆいめい国立こくりつ戒壇かいだんの本義を豁然かつぜんと顕わされました。
 そのさばきはだいしょうにんの下種仏法の奥底おうでいを極めつくされたあさせんせいにしか絶対ぜったいぬものであります。
 せんせいは、このかんぎょうしょをしたためられた直後にかくおおせられました。

 「このかんぎょうしょを書きながら強く感じたことがある。
 それは、にっけんの深く巧みなる誑惑おうわくを破折しているうちに、自然と国立こくりつ戒壇かいだん実現への道がはっきりと浮かび上がってきたことである。
 けんしょうかいいっこくこうへの戦いの道がこの悪書のおかげではっきり見えてきた。
 私は書きながら『すべだいしょうにんさまが手を取って教えてくださった』ということはだに感じ、喜び抑え難きものを覚えた」と。

 まさしく、平成2年のかんぎょうしょこそほんぶつ遺命ゆいめい破壊という未曾有みぞうの大悪にとどめを刺されると同時に、国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうへの大展望だいてんぼうひらかれたせんせい大忠誠だいちゅうせいの結晶、こうの歴史に永遠にかがやく比類なき大著だいちょであります。


令和7年 10月16日 浅井昭衞先生三回忌法要 浅井会長御挨拶