ここに、つつしんで一筋ひとすじ忠誠ちゅうせいつらぬかれたせんせいの激闘におけるだいあらためてげさせていただけば

1、第六天の魔王がこう前夜の正系門家に打ち下り、ほんぶつ一期の遺命ゆいめいを破壊せんとした時、日寛にっかん上人しょうにんなんを基にただお一人身を捨ててかんぎょうに立たれ、ついににせ戒壇かいだん正本堂しょうほんどう崩壊ほうかいに至らしめたこと
2、死罪に等しい解散かいさん処分しょぶんをもって、かえってこう最終さいしゅう段階だんかいしんぎょうにして忠誠ちゅうせいあかしたる遥拝ようはい勤行ごんぎょう確立かくりゅうされたこと
3、遺命ゆいめい破壊という未曾有みぞうの大悪をもって、かえって遺命ゆいめい国立こくりつ戒壇かいだんの本義を瞭然りょうねんかがやかされたこと
4、二度にわたるいっこくかんぎょうを始め、誰人も否定できぬ3つのげんしょうを示された広告文こうこくぶんをもってにちれんによりてほんこくはあるべし」との重大御聖意を日本国に広く顕わされたこと
5、あらゆる弾圧を乗り越え、だいしょうにんさまこころに異体同心する三百万にならんとする地涌の菩薩の大集団を出現せしめられたこと

 このようなだいぎょう、一体誰人ができましょうか。
 まさしく、66年に渡るせんせいの激闘こそ、順縁こうをあそばすほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにんどうそのもの。
 そして、それを為されたせんせいこそおん元初がんじょ以来だいしょうにんさま随伴ずいはんしてこられた大宿縁のお方としてはいするものであります。
 天魔に誑かされたじょくらんの正系門家にあってぜんけんほうにょれんざいすいのごとく一切の濁りに染まらず、富士大石寺の源流、峻厳しゅんげん極まるざいしんじんこう前夜によみがえらせることぜんしょうしょのお方でなくして決してぬものであります。
 かかるせんせい確立かくりゅうされたこう最終さいしゅう段階だんかいの自行と化他のしんぎょうこそ遥拝ようはい勤行ごんぎょう広告文こうこくぶんであります。
 この遥拝ようはい勤行ごんぎょう広告文こうこくぶんで、せんせい国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅうへのゆいがんせっ熱誠ねっせいいっこくにみなぎる時、広宣こうせん流布るふは必ず成るのであります。
 私達は何と偉大な師匠のとしてこう最終さいしゅう段階だんかいの重大ほうこうが叶う身となれたのか。
 その宿縁をおもえば有難ありがたさにむせぶの他はありません。
 そこに私は、発足から実に66年、だいしょうにんさまに対したてまつ大忠誠だいちゅうせいのみで命尽くまで遺命ゆいめい成就に戦われたせんせいの激闘の重みを一分いちぶんでも知るとして、そのを継ぎ、師匠の御念願をじつとすることじんじゅうの師恩に報いるすべと心しております。
 五百万学会員を救い、共に遺命ゆいめい成就のほうこうに連ならせていくことも、しゅうもんに五体投地のざんをなさしめ、遺命ゆいめいたる国立こくりつ戒壇かいだんしょうせんせしめることも、そして、いよいよ第三度のいっこくかんぎょうに立ち、国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅう実現のお手伝いをさせていただことも、すべては、そのほうおんおもいによるものであります。
 かくして、ついに遺命ゆいめいが成就し、国立こくりつ戒壇かいだん戒壇かいだんだいほんぞんさまがお出ましあそばすの時、せんせいの御遺影を胸に天生原あもうがはらまでの4kmの道のりの御供おんともをさせていただき、最後苦楽を共に戦いきったけんしょうかいの幹部一同して霊山にましますせんせいに対し「ここに、せんせい逝去せいきょの折に固めた紅涙こうるいちかいのまま、せんせい願業がんぎょうすべてを果たさせていただきました」両眼りょうげんたきごとくれないの涙をしたたらせて御報告申し上げたい。
 それ以外に私がのぞむものはありません。
 されば、本日のさんかいを機にいよいよぜんけんしょうかいは打って一丸、せんせいが命を焦がして熱願された国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅう驀進ばくしんし、もって、あさせんせいにおうなずきをいただごとなるほうこうつらぬいてまいろうではありませんか。


令和7年 10月16日 浅井昭衞先生三回忌法要 浅井会長御挨拶