まことに、この『諸法しょほう実相じっそうしょう』のもん有難ありがたもんでしょう。何とももったいないおおせですね。
 私達は、みんなそれぞれ『自分なんか言うに甲斐なきぼんだ』と思ってるんです。

 ところが、だいしょうにんの御眼から見れば、その三毒さんどくごうじょうぼんが、今『有難ありがたい』と言う気持きもちを起こして南無なむみょう法蓮ほうれんきょうとなえて広宣こうせん流布るふに立つ。これはもうぼんではない。本仏ほんぶつ眷属けんぞくである。
 ゆえに「地涌じゆさつ」とおおせ下さる。

 そうですよ。けんを見てごらんなさい。毎日毎日殺人が続きますけども、欲と怒りとおろかしさでじゅうまんしたそのようなこのしゅじょうの中で、いかなる宿しゅくえんだいしょうにんさまを「有難ありがたい」と感ずる事ができた。本尊ほんぞんさまを信ずる事ができた。
 そして、自分のたちでもって「よし、ひとでもこの仏法ぶっぽうすすめていこう」というそういうけつに立つ者はすでにもうぼんではないですよ。これは、本仏ほんぶつ眷属けんぞくである。
 ゆえに、だいしょうにんさまは「地涌じゆさつである」とこうおおせあそばす。
 私達がそういうようなたちになれた事も、ことごとくこれはほとけさまのお力なんですね。
 例えば見てごらんなさい。ほん仏法ぶっぽうが渡来した時に、我馬がのうまが、仏法ぶっぽうの深い事はわからなかったけれどもどうです。あの迫害はくがいの中でもって、まれてもたたかれてもなお三宝さんぼうあおがん」と言って、本当に、フラフラになりながらも「どうしても自分はこの仏法ぶっぽうを信ずるんだ」とこう言った。これはどういう事です。そのような気持きもちになったのはほとけさまの力でしょう。
 鑑真がんじんが中国から日本にっぽんに渡って「何としても日本にっぽんに渡って天台てんだい三大さんだいとどけたい」と言って、目が見えなくなってしまった。
 にもかかわらず、3度もこうくわだてて、沖縄おきなわ漂着ひょうちゃくして、日本にっぽんに渡って奈良ならみやこに入った。このような突き上げられる一念いちねん。こういう気持きもちを起こしたのもほとけさまのお力でしょう。
 いかにいわんや末法まっぽうしゅ本仏ほんぶつの力においておや。
 三毒さんどくぼんが次々と時来たらば、本仏ほんぶつ眷属けんぞくとして目覚めざめてくるんです。
 そして、お題目だいもく真剣しんけんとなえて広宣こうせん流布るふけつに立つ。
 このような者は、ことごとく地涌じゆさつでなかったらどうしてそのような気持きもちが起こせるであろうか。ここに、だいしょうにんさまおおせになっておられる。
 そして、だいしょうにんさまのお力によって、今顕正会員は、ことごとくこのような地涌じゆさつの命に目覚めざめてる。
 だから、ひととして使めいのない者はいないんです。そして、続々と地涌じゆさつは出てくる。
 この地涌じゆさつきゅうごうして、このうねるようなだい潮流ちょうりゅう日本にっぽんおおう時が広宣こうせん流布るふであります。

 だいしょうにんさまだいまととする」おおせられた広宣こうせん流布るふはもう近いですね。さいしゅう段階だんかいですね。
 ボケっとしてるにっぽんじんも「このままでは日本にっぽんがおかしくなっちゃうんじゃないか」とみんなかんじてきました。

 どうです、最近にいたっては「きゅう温暖おんだん」と言うんでテレビから新聞から「温暖おんだん」「温暖おんだん」の大合だいがっしょうでしょう。
 「このままではほっきょくなんきょくも氷が溶けてしまう」「じょうしょう食糧しょくりょうが取れなくなってしまう」「みずもなくなってしまう」「人類じんるいはどうなるんだ」みんなそんな事をさわぎ出した。
 顕正会では前々からそのことをねんしておったけど、今になって人々がさわぎ出した。これはさわぐだけなんです。「どうしたらすくわれるか」これはわからない。
 これがだいしょうにんさまのお力によって、諸天しょてんしゅを受ける以外にないんだ」とわかった時が広宣こうせん流布るふなのであります。
 それを先んじて知った私達こそ、地涌じゆさつ面目めんもくにかけて何としても戦って、だいしょうにんさまこたたてまつろうではありませんか。


平成20年 6月8日 浅井先生指導