そして、だいしょうにんさまのこの御振おふいによって、私達がじょうぶつさせていただける三大さんだいほうかくりゅうされた。
 あとめつ弟子でしにおいては、何としてもだいしょうにんさまに応えたてまつって命もしまずにこの大法だいほうひろめなければいけない。
 ここに、日興にっこうしょうにん

いま広宣こうせん流布るふせざるあいだは、しんみょうてて随力ずいりきづういたすべきこと

とこうおおせになられた。
 しかし、もんの歴史を見てごらんなさい。
 だいしょうにんにゅうめつ老僧ろうそうにっしょう日朗にちろうとう高弟こうてい)は、たちまちにおくびょうの風に吹かれて師子ししおうの心をうしなった。法をしむ心をまったうしなってしまった。
 だから、だいしょうにんめつわずか数年のうちに「天台てんだい沙門しゃもん」と名乗なのったでしょう。「日蓮にちれんだいしょうにん弟子でし」と名乗なのると幕府の弾圧だんあつがある。で「天台てんだいしゅう僧侶そうりょでございます」と言って逃げてしまった。
 これすなわち「おくびょう」という事なのであります。
 その中で、日興にっこうしょうにんがただひと

日興にっこう一人いちにんほんしょうぞんじて、本懐ほんがいたてまつそうろうべきじん相当あいあたっておぼそうらへば、本意ほいわするることそうろう

「自分一人いちにんが、だいしょうにんさまの正しい仏法ぶっぽうを知っておる。
 そして、だいしょうにんさま遺命ゆいめいじょうじゅすべきそのたちにある者であれば、このほんを、一日として忘れた事はない」

おおせられた。
 この日興にっこうしょうにんおおせ、これがいわゆる富士ふじもんりゅう大精神だいせいしんですよ。

 ところが、広宣こうせん流布るふぜんになって、どうですか、ふたたしょうによってだい遺命ゆいめいかいされんとした。

 池田大作はだい慢心まんしんおくびょうしんを起こした。
 「だい慢心まんしん」とは、彼は「自分は国王こくおうだ」という事まで言い出したんですね。
 そして、もう1つの「おくびょうしん」とは「国立こくりつ戒壇かいだんこんりゅう」と言えば国中の抵抗ていこうがある。ひょうろんはんする。このはんを恐れて国立こくりつ戒壇かいだんててしまった。
 そして「しょう本堂ほんどう」というにせ戒壇かいだんを作った。宗門の僧侶そうりょは全部これにへつらった。
 これらの学会並びに宗門の僧侶そうりょは、全員がだいしょうにんさまに対するちゅう誠心せいしんがない。法をしむ道念どうねんがない。師子ししおうしんがない。
 ゆえに、だいな時にいたって、こうぜんに「遺命ゆいめいかい」という事を何とやってしまったわけですね。遺命ゆいめいかいしようとしてしまった。


平成20年 11月2日 浅井先生指導