で今私達も、大聖人様のために一生懸命御奉公をしているようでありまするが、実は、振り返ってみれば「大聖人様にかえって自分達は守られていたんだ」という事に必ず気がついてくる。
これは、私は御遺命守護の戦いにおいて身をもってこれを体験したんですね。
「御遺命を守り奉るに、かえって大聖人様に顕正会は守って頂いたんだ」
という事を、これは本当に肌身に感ずる体験であります。
簡略に申しまするが、大聖人様の御遺命というのはどういうものかと申しますると
「広宣流布の暁に、日本一同の総意をもって国立戒壇を建立し、ここに本門戒壇の大御本尊様を安置し奉るべし」
という事なんでしょう。
「これこそまさに国の柱が建つ事である。日本全体の魂が日蓮大聖人になり奉る事である」という事は「立正安国」という事がここにおいて完結するんですね。
まさに、正しい仏法が立つから日本国は安泰になる。そして、世界平和の鍵がここにある。
ゆえに、大聖人様がこれを門下一同に御遺言(すなわち御遺命を)あそばしたわけであります。
ですから、日興上人以来本宗の歴代貫首上人は、ことごとく、この広宣流布の暁の国立戒壇を熱願してこられた。
池田大作も自ら
「国立戒壇こそ大聖人の御遺命である。宗門700年の宿願である」
と叫んでおった。
ところが、政治野心に燃える池田大作は「国立戒壇・国立戒壇」と言うといろんな所から批判を受けてくる。邪宗は全部反対する。「これを言うと選挙に不利になる」という事を考えて、何より選挙が第一であるから「国立戒壇を抹殺しよう」という事を思ったんですね。
そこで「国立戒壇なんか御書にない」という事をしきりに言いだした。
言うだけでは人は信じない。そこで「偽物を作ろう」という事になった。
それがいわゆる
「現代においては民衆で建てるべきだ。国立なんかはないんだ。要するに、学会が800万いるから、800万が集まって建てれば、それが民衆立の戒壇であり、現時における、現代における御遺命の戒壇なんだ」
と言って、学会員から350億円の供養をむしり取ったんですね。
そして、大石寺の境内に俄かに正本堂という巨大な建物を建てて「これこそ日蓮大聖人の御遺命の戒壇だ」と偽った。彼が一人で言ったって誰も信じない。
そこで、彼は宗門で誰も背けぬ絶対権威である時の貫首、すなわち法主を籠絡したんですね。金の力でその心を溶かし切っちゃった。そして、権力でもって背後からいろいろと力を見せつけた。
それですっかり時の貫首が池田大作と心を合わせて、その大きなたばかり、見え透いたこの大誑惑に協力をしてしまったんですね。
どうですか、時の絶対の最高権力を持った池田大作と、背けぬ権威である法主が一体となったら宗門で誰が背けますね。
でまた一般僧侶もことごとく「学会にお世辞を使ってれば金が入ってくる」という事で末寺の僧侶は全部数億の金をみんな持ったんです。みんな学会から受けた供養であります。
そして、ホテルなんかに呼ばれてはみんなでもって御馳走になっておる。
こういう事を繰り返していくうちに、僧侶も全部心が溶けてしまった。大聖人様の事をみんな供養する者がなくなってしまった。
しかも、彼ら僧侶は、学会の暴力体質を陰ではまた恐れておったんですね。
学会というのは金で誑かすと同時に、常に暴力でもって脅かしておった。
でその一例もいくつかありまするが、小笠原慈聞という老僧を学会が「気に食わん」と言って、本山でもって青年部がいっぱい集まって担ぎ回して、そして、裏の墓所の所まで連れて行って土下座させて詫び状を書かせてる。こういう事があって大きな問題になった事がありました。
それから、大阪の蓮華寺で崎尾正道という僧侶がいた。
で「これが気に食わん」という事で、青年部がピケを貼って「学会員は誰も入れない」と生き干しにしてしまう。そんな事でもってついに崎尾正道は宗門を離脱致しました。
それから四国の大乗寺でもって秋山慈本という僧侶がいた。
これがやっぱり「言う事を聞かんのが気に食わん」という事で宗門追放を致しました。
これらの手先になっておったのは全部時の貫首ですよ。学会の言いなりになって擯斥してしまった。
それから、本山の仲居を務めておった所化頭(所化の教育係の)的場正順という僧侶がいた。これも「生意気だ」という事でもって、これは、池田大作自ら指揮を取って数十名の男子青年を率いて、潤井川という川があるんですが、そこに的場正順を裸にして「水葬礼」と称して川に投げ込んだんですね。
こういうような事をみんなが眼前に見てて『ああ背くとおっかない』と思った。
そして、従っていればいくらでも金をくれる。
こういう事でもって、法主を盾として、池田大作が陰でもって一体となって「正本堂こそ現時における事の戒壇なのだ。国立戒壇なんか御書にない」と言ったら、全部の者は「そうだそうだ」と言った。
時の宗門の機関誌を見てごらんなさい。もう全てのページがそれで埋め尽くされて、時の貫首を始めとして主だった僧侶がことごとく筆に口に
「もうすでに広宣流布なんだ。そして、昭和47年には御遺命の戒壇が建つんだ。これこそ大聖人様の御念願であり、歴代猊下の宿願とする所であった」
なんて言って、みんなそんな事を羅列していったんですよ。
平成21年 4月12日 浅井先生指導
- 鳩摩羅琰三蔵の故事
- 学会・宗門の御遺命破壊
- 日蓮大聖人の御守護によって進んだ顕正会の戦い