次に、諌臣かんしんとして立たれたいっこくかんぎょうについて。
 せんせいは、この正本堂しょうほんどう崩壊に至るしゅうもんかんぎょう顛末てんまつをもって広宣こうせん流布るふ確信かくしんをこうべておられます。

 「しゅうもんにおける遺命ゆいめいしゅ完結の姿は広宣こうせん流布るふのモデルケースである。
 今度は、日本にっぽんこっを単位とした大きなげんしょうが起きてくる。
 すべては、だい聖人しょうにんさまのお力による。
 私達はそのお手伝いをさせていただいているのである」と。

 これまでせんせいは、二度に渡っていっこくかんぎょうを行っておられます。
 第一回は今から27年前の平成9年7月16日、五十万のしんほうを背景として『日蓮にちれんだい聖人しょうにんに帰依しなければ日本にっぽんは必ず亡ぶ』の一書をもってなされました。
 ざい以来の最大とわれるだいすいせいの出現を御覧になられたせんせい仏法ぶっぽうによって起こる天変と地夭は必ず相呼応するものであれば、だいすいせいが出現してだいしんが起こらぬはずがなく、またそれこそこく侵逼しんぴつの前相であれば、このだいをいよいよいっこくに告げ知らしめん」敢然かんぜんいっこくかんぎょうに立たれたのであります。
 第二回は、それより7年後の今から20年前の平成16年4月28日、百万のしんほうを背景として『日蓮にちれんだい聖人しょうにんに背く日本にっぽんは必ず亡ぶ』の一書をもってなされました。
 このかんぎょうしょをしたためられた所以ゆえんについてせんせいはかくおおくださいました。

 「なぜこの書を著わしたかといえば、日本にっぽんはすでに亡国ぼうこくの前夜を迎えている。
 ではその亡国ぼうこくはいかなる災難によってもたらされるのかといえば、間もなく始まる巨大きょだいしんの連発を号証としてこっさんじょうしょうだいきん大疫病だいやくびょう等の災難が続発し、その後に亡国ぼうこくの大難たるかいほんぎゃくこく侵逼しんぴつが起こり、ついに亡国ぼうこくに至る。
 これ、日本にっぽん一同だいだい日蓮にちれんだい聖人しょうにんに背き続けてきたゆえである。
 しかし、もしこのことを前もってぜんにっぽんじんに告げ知らしめておかなければ、亡国ぼうこくの大難が起きた時に日本にっぽんの人々はただ恐れおののくだけで、この大難が何故起きたのか知るよしもない。そうであれば、日蓮にちれんだい聖人しょうにんに帰依することもない。されば、その時日本にっぽんは本当に亡んでしまう。
 よって前もって『日蓮にちれんだい聖人しょうにんに背くゆえに亡国ぼうこくの大難が起こる』ということぜんにっぽんじんに告げ知らせ、もって日蓮にちれんによりてほんこくはあるべし』金言きんげんを仰がんと本書を著わした次第である」と。

 また、いっこくかんぎょうに臨まれる精神について

「私は、へつらって分かってもらおうとはおもわない。
 『よし憎まば憎め』とのおもいですべてをだい聖人しょうにんさまに任せたてまつる。
 そして『諸天しょてんの働きを待つ』というおもいである。
 たとえ国中の者が悪口を嘲笑ちょうしょうしようとも、もしった通りになったらその時はどうする。この確信かくしんで私は行く」と。

 さらに、いっこくかんぎょうにより諸天しょてんが必ず動く確信かくしんをかくべられました。

 「この本仏ほんぶつとくぜんにっぽんじんに知らしめる戦いをなすのは誰か。
 それは、今濁乱の世に生まれ出でた百万の地涌じゆ大集団だいしゅうだん以外にはない。
 もしこの戦いを見て諸天しょてんが見て見ぬふりをするならば、諸天しょてんは必ずだい聖人しょうにんさまから罰を受けると私は確信かくしんしている」と。

 当時多くの人々は日本にっぽん亡国ぼうこくせまるも、たくに遊ぶ子供のごとくさとらず、らず、おどろかず、ぢず」であり、また、顕正会を怨嫉するがっかいしゅうもんの無道心のやからに至っては「顕正会はだいしんこく侵逼しんぴつだのと世間を脅している。そんなことが起こるはずがない」とあっちゅうしょうしておりました。
 しかし、その後の日本にっぽんの姿を見れば、まさしくせんせいかんぎょうしょい置かれた通りの世相となっております。
 たとえわるくちえたとしても、これらのげんしょうを否定できる者は一人もおりません。具体的にげます。


令和6年 8月24日 8月度 総幹部会 浅井会長指導

令和6年 8月26日 8月度 男子部班長会 行成総男子部長指導